電気をぱちっと消すと一瞬にして部屋が真っ暗になった。殆ど何も見えない空間で携帯を手探りで探し当てぱかっと開く。突然の眩しさに目が痛んで思わずごしごしと擦った。

画面の右上に出ている時計はもう夜中の二時を過ぎていた。明日は休みとは言えそろそろ寝ないとさすがに体にも悪い。携帯を枕元に置いて私はごろんと布団に寝転がった。ふわふわの布団にもふっと顔を埋めて私は重い瞼を閉じる。冬が過ぎそろそろこの羽毛布団ともお別れだ。温かい布団にくるまりながら私の意識は段々と遠くなっていった。完全に眠りにつこうとしていた、その時だった。

ヴー、ヴー、とマナーモードにしている携帯のバイブ音が耳元で鳴り始める。それとともに眠りかけていた私の意識が呼び戻されて大変不快な気分になった。こんな時間に誰だ。最初はメールかと思っていたがやけにバイブ音の鳴る時間がやけに長いからきっと電話だろう。
イライラしながら携帯をひっつかみ、画面を開くと出てきたのは「松野先輩」の四文字。
また厄介な人がかけてきたものだ。いつも何かとちょっかいを出してきては飽きると忽然といなくなる松野先輩。顔が良いからモテているけれど正直私は彼があまり好きではない。
だが一応先輩だ。何の用かは知らないが電話を無視なんてしたら失礼だし、増してや相手は松野先輩。バレたらファンの人にけちょんけちょんにされるのがオチだ。
重い体を起こして私は渋々電話に出た。

「もしも「あっ名字。出るの遅いよー、もう寝てるかと思って焦ったじゃん」

ええ寝てましたとも。お前さんのせいで無理やり起こされたんですよ。私の睡眠時間どうしてくれるんですか、このやろう。


とは言えない。

「あ、えっと、一応寝てマシタ、はい」

「あーなんだやっぱ寝てたの」

「いやわかってるならかけないでくださいよ」

えへへーごめん、と反省の色が見られない松野先輩に呆れて言葉も出ない。本当に何がしたいんだこの人は。

「それであの、今日はどうしたんですか。何もないなら寝たいなぁ、なんて」

「あーそれなんだけどね、ちょっと下降りてきてくれない?」

おぉっとぉーっいきなりわけがわからないことを言い出す松野選手!どうする名字!

「え、いや、あのですね…今何時かわかりますか?」

「ああ、丁度三時過ぎた頃かな」

「えっと、先輩は大丈夫なんですか?こんな時間に…」

「全然大丈夫だよ」

「い、いや、でも私的には大分問題ある時間だと思うんですよね…あはは」

「うーん、まあそうだね」

「…」

携帯越しから先輩が早く来いと言わんばかりに黒い笑顔を浮かべているのが嫌という程伝わる。

「…少し待っててください」

観念すると私は先輩の返事も待たずにぶちっと通話を切った。わざわざ着替えるのもめんどくさい。とりあえず椅子にかけてあるジャケットを身に纏いもう既に眠りについている両親が起きないよう、私はそっと階段を降りていった。

サンダルを履いて静かにドアを開けるとすうっと冷たい風が私の横を通り過ぎた。春とは言えやはり夜は寒い。というか今気づいたけど私髪とかしてないし顔も洗ってないじゃない。よりにもよって松野先輩にこんな姿を見せることになるとは、なんだか変な気分だ。

家を出てすぐそこに松野先輩はいた。やっ、と元気よく挨拶をする彼はイライラするほど元気がいい。いつものようにぱっちりした目に爽やかな笑顔。眠さなど少しも感じられない。

「わーやっぱり眠そうだねぇ」

「そんなこと言って家には返してくれないくせに」

「あはは」

この腹黒野郎、腹黒野郎、腹黒野郎。いつもと全く変わらないこの腹黒さ、どういうことなのさ、おいおい。
変わっているのはいつも被っている猫耳の可愛らしい帽子を被っていないことと、ちょっと色っぽく乱れてる髪の毛とか…って何を考えてるんだ私のばかやろう!

そんな私の姿を面白そうな顔でじっと見つめる松野先輩。余りにも見つめてくるもんだから送られてくる視線がくすぐったい。

「せ、先輩…?」

「んー?」

「どしました?」

「ん、ああ、パジャマのボタン開いてて下着見えてるなあーって」

「はよ言わんかい!!」

羞恥心から振り上げた腕は先輩にひょいっと難なく避けられてしまう。ああ、ほんとに下着見えてる。最悪だ。
ずうん、と沈む私に対しやっぱり名字は面白いなーとにこにこ笑う先輩に自然と溜め息が漏れた。何を楽しんでいるんだろうかこの人は。こちらとしてはかなり疲れるのだが。

早くもくじけそうになっている私に、突然容赦なく私の手を引いて公園いこっかなんて言い出す松野先輩。何故いきなり公園?と聞き返すのもめんどくさい。それに今までの経験から言えばこちらに拒否権なんてないだろう。
露骨にめんどくさそうな声ではいはいと返事を返せば先輩が首をこちらに傾けて小さく笑みを浮かべた。

少し大きい先輩の歩幅を私の短い足が頑張って追いかける。そんな私に気付いてくれて少しスピードを落としてくれる先輩。なんだ、ちょっとは優しいんじゃん。



なんていう甘いシチュエーションは一切ありませんでした。

しかもよく考えてみたら何故私先輩と手繋いでるんだ。すごい当たり前のように繋いでるんですが、え、何これ。
異性と手を繋いでいる、と改めて意識したらなんだかすごく恥ずかしくなって下を向いた。それに私が発している手汗が先輩と私の手が密着しているせいで余計べとべとするものだからあまり心地の良い物ではない。先輩の方がぎゅうっと握ってくるから尚更。

「名字手汗すごいね、もしかして緊張してるの?」

「ち、ちがいますっ!」

私がそう言ってもにやりと悪人顔を浮かべる彼はきっと確信犯である。全くこの人の扱いはいつになっても慣れないなぁ。


あれから何の会話もなく暫く歩いておよそ10分。大変気まずい時間を過ごした。主に私が。
さっきまで黙っていた松野先輩が「着いた着いたー」と言った場所は、学校近くの公園だった。普通の公園と変わらない、平々凡々な公園だ。最近は勉強が忙しいからこんな所に来る余裕もなかったため少し懐かしい感じがある。見たことのない新しい遊具があったり、錆び付いていて、使い込まれている遊具もあったり。幼心をくすぐられ、思わずテンションが上がってしまいそうになる。

公園には勿論私達以外に人はいない。静まり返った夜の公園に二人きり。時計はもう3時半になろうとしている。眠気なんてとうに吹っ飛んでいるけれど。

「とりあえず座ろっか」

「ですね」

近くにあった赤ベンチに先輩と一緒に座る。ちょっと距離をとって。

「なんでそんな距離とるのさ」

「だ、だって先輩意地悪だから」

何されるかわかんないでしょう。そう言うと少し困ったように眉を下げて笑う先輩。そんな切なそうな顔したって駄目なんだからな!この間春奈ちゃんにもらったブレスレット壊した恨みは消えないわよ!

「あははー困ったなぁ。今日はそんなつもりないから、こっちおいで?」

ね、と可愛く首を傾げてお願いする先輩。ぐっ、そんなことしても私の意志は変わらないんだから。頑として動こうとしない私に流石の先輩もまいったのか、ついに先輩は何も言わなくなった。ただ困ったような笑顔を絶やさないで空を仰いでいる。
つられてこっちも重たい首を上に向けて、真っ黒な空を見上げた。星も何もない空。

「何もないですね」

「うん、ないね」

短く返事を返した先輩。ちら、と彼に視線をよこすとさっきまでの笑顔は消え、少しさみしそうな表情を浮かべていた。暗くてはっきりとは見えないけれど、こんな先輩は見たことなくて、私は内心驚愕していた。

「てかさ、僕そこまで名字に嫌われてたんだね、ちょっとショックかも」

予想外の先輩の言葉にまた驚くことになる私。彼の寂しそうな表情はどうやら自分が原因だったらしい。確かに私だって人に"お前は嫌い"感を剥き出しにされたら寂しいけれど、でも、そこまで寂しそうにしなくたっていいじゃない。

松野先輩には私が入学してきた時からずっと意地悪ばかりされてきた。髪を引っ張られたりノートに落書きされたり、酷い時は私の好きな人をクラス中にバラされたり。口に出したら暫く止むことのない松野先輩の愚痴。そんな先輩のことは苦手だった。だけど反面たまに優しくしてくれる彼のことはとてもずるいと思っていた。

(バカ、松野先輩なんてもう知らない、だいっきらい!)

好きな人をバラされた挙げ句その人にふられた私は松野先輩にそう言い捨てた。その時の先輩の顔は視界が崩れていたせいでよく見えなかったけど、今思うとちょっと言い過ぎたなと思う。そしたら下校中、先輩わざわざ部活サボって私にゴメンって言いに来たんだ。片手にお菓子の入った袋を持って。

「…すみません」

何を言えばいいのかわからなくてふと頭に浮かんだ言葉を零した。よくわからないけど松野先輩の顔が見れなくて、私は縮こまるように足をたたんだ。嫌いじゃない、けど、苦手?すき?

「あーあ、せっかく好きって言おうと思ったのに何やってんだろ、僕」

「…はい?」

ちょっと待て、いきなりの展開についていけない。いや待て。早まるな私。幻聴だ、これは幻聴だ名前。いつも私をいじめてた先輩が私を好きなわけないじゃないか。そうだ落ち着け名前、深呼吸をすれば現実に戻れるきっと。それに幻聴じゃないとしても六秒後にはきっと「なんちゃってネー」なんて笑う松野先輩がいるはずだ。ウン。

「なんちゃってネー」

ほうら言ったああああ!松野先輩の行動を完全に見切った私はもう松野マスター!ヤッタネ私!
なんて思いつつ実は心の隅でちょっと期待してた自分がいたかもしれない。まあ当の本人は笑ってるし、あんまり気にしないことにしよう。そう思った矢先だ。どうやら私は完全に彼を嘗めていたらしい。

「なんて言うと思った?」

にやりと。いつもの悪戯顔を浮かべた先輩。気づいた時にはもう遅かった。私の視界に夜空をバックにした松野先輩が映る。無論、私は押し倒されたのである。口は弧を描き、その目はまさに可愛い仮面を被った悪魔の如く。逃げたい。そう思っても両手をベンチに押し付けられて足も馬乗りされてるせいで動かせない。

「は…っ、ちょ、たんまたんま!すとっぷ!意味わかんないんですけど!からかうつもりならやめてくださ」

「からかってなんかないさ。僕はいつでも本気だよ」

私の言葉を遮ってそう言うと先輩は私の頬に手を添え、ぐっと自分の顔を近づけてきた。思わず反射的に目を瞑り顔を背けてしまう。なんかされるっなんかされるうううう!なんて場の空気に合わない叫びをあげながら私は自分の両手が自由になったことにも気づかずパニック状態に陥っていた。するとどうだろう。叫ぶのをやめると上からくすくすと笑い声が聞こえてくるではないか。

「あ、れ…?」

「へへっ何かされると思った?」

やっぱ面白いなぁ名字って、と無邪気に笑っている人が一名。私はそこで初めて自分がからかわれていたことに気づく。

「やっやっぱりからかってたんですね!松野先輩のばーか!ばーか!」

「って言いながら顔真っ赤だよー」

「うっうううるさい!ばーかばーか!もう知らないっ」

最悪っ最悪っ。なんで私がこんな屈辱的な思いしなくちゃいけないのよ。ああもう早く帰って寝よう。とても無駄な時間を過ごした気がする。
馬乗りしている松野先輩を押し返しベンチを立ち上がると、もう帰りますから、とツンケンした態度で先輩に挨拶する。

「へっ、もう帰るの?」

「当たり前です」

「あっちょっと待ってよ」

大層焦った声で呼び止めるものだからさすがに人間として無視することはできなかった。しょうがない待ってやるかと立ち止まってはいはい、と振り向いた瞬間。いきなり先輩の顔が近づいてきたと思ったらほっぺたに何か違和感が生まれる。犯人は本日何度目であろう黒い笑みを浮かべて私を見ていた。

「油断は禁物だよ、名字」

それじゃオヤスミ。
軽く手をあげて笑顔で去っていく先輩を引き留める気力もなく開いた口も塞がらない。

ちくしょう、やられた。




110424 / リンゴほっぺにちゅう