キリコさん宅の「ふたつぼし」設定で書かせて頂いた短編になります。





 今朝の天気予報では昼を過ぎた頃からにわか雨だと言っていたが、運よくまだ降っていないらしい。すぐそこまで迫っている雨雲を見上げて、彼は早足で黒酢中学校の校門を潜った。
 花沢輝気は中学二年生の身で一人暮らしをしている。彼の持つ類い稀な超能力がそれに大きく関わっているのだが、そのせいか元来の性格か、彼は年齢の割りにはしっかりとした少年だった。料理はもちろん、普通の男子中学生ならほとんど母親に任せているだろう身の回りのことをすべて自分で行っているのだ、当然といえば当然かもしれない。
 今日の夕飯に使う豚肉を求め、スーパーまでの道を急ぐ。この間丸ごと刈り取られた頭頂部には、充分過ぎるほどの毛髪が乗っており、街行く人の視線を集める。しかしさほどそれを気にする様子もなく、輝気はやっと見えてきたスーパーの看板に歩調を早めた。
 自動ドアをくぐり、野菜コーナーで安売りしていたキャベツをカゴに入れる。魚介コーナーをそのまま通りすぎ、お目当ての肉が並ぶ場所までたどり着いた輝気の目に、一つだけ残った豚肉が映った。
 この時間にしては残っているのはこれだけか。やけに少ない。
 ふとその上を見上げると、『本日限定セール』の文字。すっかり安売りセールを忘れていたらしい。

(あと一つだけだなんて危なかったな。とりあえず間に合っ―――)

「ああっ!」

「あれ?花沢?」

 最後の豚肉を今まさに取ろうと手を伸ばしたところだった。横から入ってきた腕が見事と言わざるを得ない手際で豚肉をかっさらっていったのだ。
 どこか聞き覚えのある声に豚肉を持つ手から視線を辿る。長い黒髪を背中に流し、改造されたセーラー服に身を包んだ少女。先日、黒酢中であの超能力者―――影山茂夫と同等に渡り合い彼の暴走を止めた、みょうじなまえであった。

「お、お前、あの時の傷は大丈夫なのか……」

「ん?あーぜーんぜん!もうすっかり元気よ!何、花沢も買い物?」

「ああ、今日の夕飯の買い出しをね……って、そうだ豚肉!僕が今取ろうとしていたんだ!」

「もしかしてこれのこと?フフン、残念ね。先に手に取ったのは私よ!今晩は他の食材を使うのね」

「クッ……まあ、悔しいが仕方がない」

「あら、やけに引き際がいいじゃない、アンタ本当にあの花沢くーん?」

 驚いたようになまえは大きな目を更に見開いた。
 別にどうしても豚肉を食べたいというほどでもない。実際自分が手に取ったものを横取りされた訳ではないのだ、なまえは何も間違ったことは言っていない。大人しく引き下がるのはあまり気乗りしなかったが、ここで食い下がっても立場が悪くなるのはこちらである。

「いいよ、今回は君に譲ろう」

「なんか大人しいわね……。ま、そっちがそういうなら遠慮なく。じゃあねー」

 大して考え込むこともなく、あっけらかんとした態度で、アカリはひらひら手を振った。
 そう言えば彼女も買い物ということは、普段から自炊でもしているのだろうか。離れていき食材をカゴに入れていくアカリは、意外にも手際が良い。服装や性格からはあまり想像がつかなかったが、料理もそこそこ出来るのかもしれない。

「?」

 と。
 少し先の方で豆腐を眺めていたなまえが、ずかずかと大股でこちらへと戻ってきた。輝気が持つカゴの中身を一瞥し、ニヤリと含み笑いをする。

「花沢は今日晩御飯、一人?」

「?まあ、一人暮らしだからね」

「へえ初耳!じゃあ、ちょっといいこと思い付いちゃったから付き合ってよ」

「は、はあ?」


□□□□


「こーんにっちはー!先生、一人ゲストが来たわよーッ!!」

「あ、なまえ……と、花沢君?」

「影山君!」

 スーパーを出てから荷物を全て持たされた輝気は、「いいから着いてきて!」と笑うなまえに大人しく従った。なぜ自分がこんなことをしなければいけないのか、と内心不満だったが、彼女が一体何を思いついたのか、それが多少気にはなった。
 以前は敵対していた者同士だが、その一件から自分は改心をしたつもりだし、彼らとは同じ超能力を持つ仲間として交流を深めたい気持ちもなくはない。そんな思考を巡らせる内、結局雨に降られまいと走るなまえの背中を輝気は追いかけていたのだった。
 そしてたった今連れてこられたここ、霊とか相談所。名前からしてとんでもなく胡散臭い事務所だが、部屋に入ったすぐそこのソファには、先日自分と超能力対決(実際ほとんど相手になどされなかったが)をした少年、影山茂夫が座っていた。

「あれ?先生いないわね」

「師匠なら飛び込みの依頼が来たからって外に出ていったよ」

「ええ〜〜ッ!晩御飯に間に合うんでしょうね……」

「あのみょうじ……これはどういう訳なんだ?」

 状況が飲み込めずに輝気はそう尋ねた。手には未だにスーパーの袋が提げられている。それを受け取って台所に運びながら、なまえはいつもの調子で答えた。

「だって花沢、今日一人なんでしょ。なんか豚肉譲ってもらったのも借りを作ったみたいで嫌だし」

「えっとつまり……食事にお邪魔していいのかな?」

「そういうこと!せっかくだし私の手作り料理、しっかり味わっときなさい!」

「えっ!?君が作るの!?」

「なァーによ!そんなに予想外だってーの!?」

 台所の前に立つなまえは、長い髪を纏め上げ、エプロンをちょうど身につけていたところだった。ポニーテールにした黒髪が遊ぶように揺れたが、振り向いた彼女は膨れっ面で腕を組んでいる。
 とにかくそこで待ってて!と語気荒くソファを指差し、直ぐになまえは調理を始める。手伝いを申し出たがそれも断られ、やや手持ちぶさたになった輝気は数秒迷った末、モブの座っているソファの隣に腰を下ろした。

「花沢君、なまえと何処かで会ってたの?」

「偶然、スーパーでね。残ってた豚肉の取り合いになりかけて、どうせなら一緒にってことだと思うよ」

 なんの説明もなしにここまで連れてこられたが、先の説明で大体は把握できた。どうせならここへ来る途中で話してくれても良かったのに、と輝気はここから少し離れたなまえの背中に視線をやった。

「そういう影山君は、なんでその、こんな事務所に?」

「ここは師匠の事務所なんだ。時々バイトさせてもらってる」

「バイトって、中学生なのにいいのか?」

「時給300円貰ってるから」

「ダメだろそれ。色々と」

 初対面の時からなんとなくそう感じていたが、モブは人の感情や、心の機微などにとことん疎い。その師匠とやらは、恐らくモブの超能力を利用しているのではないだろうか。
 一瞬でモブの師匠、霊幻新隆の本心を見抜いた輝気だったが、一度も会ったことのない人間を罵るようなことも言えず、騙されているのでは、と開きかけた口をすんでのところで閉じた。本当に超能力の師匠であるなら、自分も一度会ってみたいものだが。

「明日部活内で長距離マラソンがあって、タイムも取るからなまえがガッツリ体力つけなきゃってご飯作ってくれることになったんだ」

「へえ、キミ部活入ってるのか。どういう部活?」

「肉体改造部っていって―――」


□□□□


「お待たせ!」

 目の前に置かれた大きなどんぶりに二人から歓声が上がった。
 多めによそってある飯の上には千切りキャベツ、そしてカラリと揚げられた豚カツ。タレは別の小鉢に入れられて隣に並んでいる。

「やっぱり気合い入れるならカツでしょ!なまえちゃん特製の味噌ダレ付きよ、召し上がれー!」

「いただきます!」

「いただきます」

 二人一緒に手を合わせ早速箸を取る。味噌ダレをかけたら、白い湯気が微かに立ち上る丼の一番上、狐色のカツを箸で摘まむ。噛んだ瞬間、口の中で衣がさく、と音を立てた。

「……!」

 しっかり噛み締めると、決して高くない豚肉の旨味が口の中に広がるような気がした。タレの甘辛い濃厚な味もカツによく合っている。輝気も一人暮らしをしているため毎日自炊はしているが、自分が作った料理とは全く違う味付けが新鮮だった。思わず目を見開いた彼に、なまえはどうだ、と得意気な笑みを向ける。

「うん、美味しいよ!やっぱり自分で作るのとは全然違うね」

「フフン、でしょでしょ?」

「これならいつでも花嫁にいけるんじゃない?」

「あーら、私の魅力にやっと気がついたのかしら?」

「中々いい物件かもね、今のうちに予約でもしておこうか?」

「おかわり!!」

「おっモブ結構食べるわね!はいは〜〜い……」

 席を立ったなまえは踊るような足取りで台所まで空のどんぶりを持っていった。それを見送りながら自分のどんぶりに乗った千切りキャベツを咀嚼していると、不意に真横から視線を向けられている気配がする。

「……なんだい?影山君」

「……えっ、何が?」

「いや何が、じゃなくて……じっと見つめるもんだから、何かなと思って」

 言葉が出てこないのか、声も出さぬままぱくぱくと口を開閉させるモブ。思いきり目が泳いでいる理由が分からず最初は首を傾げたが、人のささいな心の機微を読み取るのが上手いのが輝気だ。まして分かりやすいモブの心を見透かすのは、彼にとっては簡単なことだった。

「みょうじと楽しそうに話してるのが気に入らないかい?」

「えっな、なんで分かったの……?」

 感心して呟くモブのあまりの素直さに、吹き出しそうになった口を押さえた。普通はそんなことないと誤魔化すものだろうに、とことんこの少年はずれている。
 しかしそんな彼も仄かな恋心を見抜かれたことに恥じらったのか、普段の仏頂面からは想像もつかないほどに赤面していた。真っ黒な髪から覗いている耳たぶは茹で上がったタコのような色をしている。

「ヘーイお待ち!……どしたの?」

 戻ってきたなまえの声に面白いほどに跳ねたモブは、明らかに怪しい動きで姿勢を正した。なまえの方は、二人の微妙な空気に訝しげな表情を浮かべながらモブのどんぶりを食卓に置く。

「ああ、気にすることないよ。ちょっと話が盛り上がってただけさ」

「なによなによ、気になるじゃない!」


□□□□


「今日はありがとう」

「気が向いたらまた来てもいいわよー」

「なまえ、ここ師匠の事務所だから勝手にとは行かないんじゃ……」

「んー?細かいことは気にしない!じゃあね〜花沢」

「ああ、ご馳走さま。また呼んでくれると嬉しいな」

 事務所の扉を閉め、階段をゆっくり降りる。外に近づくにつれ地面を叩く水の音が輝気の耳に届いた。さっきから雲行きは怪しかったが、とうとう降りだしたらしい。事前に洗濯物を入れてきてよかった、と小さく安堵して、鞄の中から折り畳み傘を取り出そうとした時だ。
 上から少々荒くドアを開く音。振り返ると、傘を手にモブが階段をかけ降りている所だった。

「花沢君!雨降ってたみたいだから、良かったらこれ使って」

「あ、僕折り畳み傘持ってるから大丈夫だよ」

「そっか、よかった。……あ、あの、」

「?」

「僕、競争ごとって得意じゃないんだけど、頑張るよ。絶対負けたくないから」

 なんのことを言われているのか分からず目を瞬かせる輝気。対するモブの眼差しは真剣そのものだった。あの超能力対決でさえ見たことのない目だ。一体何のことを、と頭の中で思い返して数秒、彼が告げたのは"宣戦布告"だったことにようやく気づき、肩の力が抜けた。

「は……はは、ははは!大丈夫だよ、心配しなくとも彼女を取ったりはしないさ」

「えっ……?」

「だって―――まあ、これは言わないでおくか。じゃあまたね、影山君」

「?うん、じゃあ……」

 曖昧な返事にやや戸惑いながらも、モブは手を振って輝気を見送る。同じように片手を上げた彼は、雨の中事務所を後にした。
 雨足は先程より増し、遠くに建つビルは霞んで見えていた。そういえば、夜になるにつれ雨も激しくなると天気予報では言っていたような気がする。
 夕食を食べていたせいか室内にいたせいか、 外はひどく寒い。いや、先程の事務所が暖かかったのだろうか。肌が粟立つ感覚を覚えた輝気は、足元が濡れるのも構わず歩調を早め、

「…………」

不意に、足を止めた。

 既に例の事務所は遠く、曲がり道を来たため建物の影など見えもしない。日も落ちた時間帯、加えてあまり人通りの多い道ではないため、通りにいるのは輝気一人だけだった。
 モブは気付いていないのだろう。
 彼を見るときと、輝気を見るときのなまえの表情の違い。
 普段は勝ち気で明るい少女が、目尻を下げて柔らかく微笑む顔に魅了されなかったとは言えば嘘になる。

「……羨ましいくらいだよ、影山君」

 あの笑顔が自分に向くことは、恐らくないのだろう。
 自嘲の色が見えた自分の言葉に、誰に向けるでもなく苦笑して、輝気は再び家路を辿った。
 人気のない道に響くのは彼を包み込む雨音だけである。


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