「で、何か言うことある?フミちゃん?」 「他の種目よりは……得意なの……本当なんだから……」 「あ、その、大丈夫でしたか?卓球台に頭ぶつけてた所、どうもないですか?」 「ありがとモブくん大丈夫……ちょっと心が抉られただけよ」 ああよかったです、と若干的外れな答えが返ってきたことに大きな溜め息をつきながら、フミはぐったりと肩を落とした。 勝負は言わずもがな、あっさりと霊幻の勝利。あれだけ啖呵を切っておいてここまで惨敗を喫するとは思っていなかったのか、項垂れた彼女は小刻みに震えている。 「せっかく温泉に入ったのにまた汗流しにいかないとね……」 「その前に飯だな。そろそろ時間だ」 壁に掛けられた時計を見て、霊幻は使っていたラケットと球を回収する。そのまま一行は部屋に戻ることなく食事会場へと向かった。 □□□□ 次々に運ばれてくる山の幸に舌鼓を打ち、存分に食事を味わった三人が再び部屋へと戻ったのは、それから一時間半たった頃だった。霊幻はこの旅館で飲んだ地酒の美味しさに夢中で、食事会場を出た頃にはすっかり千鳥足になっていた。因みにフミも彼と同じかそれ以上は酒を飲んでいたが、こちらの方は足取りもしっかりとしている。 「すっごく美味しかったわね!お土産にあのお酒買っちゃおうかしら」 「おうおう買え!!俺も飲みてえし〜」 「師匠大丈夫ですか」 「なに言ってんだ、俺はいつでも絶好調だぜ?」 そういった矢先、ふらついて段差に足を引っ掛けた霊幻の背中を慌ててモブが支える。中学生に肩を預けるという情けない絵面のままエレベーターを待つ二人に、思い出したようにフミが声をかけた。 「そうだわ、まだ時間もあるしまた温泉入ってこようかしら」 「酒まわるぞ?大丈夫かお前」 「さっきかいた汗を流すだけよ。あなたよりはしっかりしてるつもりだけど?」 嘲笑うような台詞には明らかな侮蔑が含まれていた。先程卓球で派手に負かされたささやかな復讐のつもりなのだろう。ケッと悪態をついてから、霊幻はモブに寄りかかっていた身体を起こし、さっさと行ってこいとばかりにひらひらと手を振った。 「僕たちは先に部屋に帰ってますね」 「ああ、この酔っぱらいを部屋まで送ってから行くわ」 「……大丈夫だからさっさと行ってこい。ったく俺も馬鹿にされたもんだぜ」 「あら、そう?じゃあ……モブくん、その人お願いね?」 「はい、いってらっしゃい」 くるりと背を向けたフミの背中を見送る二人。背筋の伸びたいつもより低い背丈が曲がり角で姿を消したその直後、エレベーターの到着する音が耳に届き、モブと霊幻は三階の彼らの部屋へと戻った。 襖を開けた先には、食事をしている間に用意されたのであろう布団が敷かれていた。贅沢な分厚い敷き布団は、寝転がってみると自宅のせんべい布団と比べるのもおこがましいほど柔らかい。しばらくその布団の感触を楽しんだあと、無言で起き上がった霊幻は、敷いてある布団の並びをもう一度確認した。 「三人仲良く川の字だな」 「?そうですね」 ははは、と乾いた笑いを聞いて、不思議そうにモブは首を傾げる。どうしたんですか、と遠慮なく尋ねた彼がその意味に気付くのには数秒かかった。 そういえば、と食事の際に食器を運んでくれていた女将を思い出す。個室だったため多少小話をしていたのだが、彼女はすっかり自分達を家族だと勘違いしていた。フミを奥さま、自分を旦那様、と最初に呼んだ時に否定した筈だが、どうやら他の中居たちには伝えていなかったらしい。 結局フミが大浴場から戻ってきた頃には、三つ並んだ布団の内一つは、襖を隔てた向こう側へと移動させられていた。 □□□□ 「じゃあ二人とも、おやすみなさい」 「おやすみなさい」 「ん、おやすみ」 ほとんど音を立てずに閉まった襖を見てから、布団に潜り込むモブと、電気を消し同じように床につく霊幻。フミが寝ている部屋に背を向けて、霊幻は瞼を閉じた。 (モブを連れてきて正解だな……) 心の中で小さく安堵の息を吐く。もしここに隣で寝る弟子の存在がなければ、今晩はフミと二人で同じ部屋に寝ることになっていたのだ。何年も共に過ごし慣れ親しんだ仲とはいえ、流石の霊幻も女性と同室で一晩寝ることには抵抗がある。 否、フミだからこそ、霊幻は彼女と二人きりではいられなかったのだろう。 とはいえ温泉に浸かった後で身体が休まろうとしているのか、初めは目が冴えていた彼も次第に微睡み、沼に沈みこむような感覚と共に眠りに落ちた。 「……え、きて……起きて」 心地いい眠りについていた霊幻の耳にその声が届いたのは寝静まってかなり時間が経ってからだった。身体を何かに揺らされる感覚に薄目を開ける。障子から漏れる弱い月明かりに浮かび上がるシルエットを眺め、それが横たわった自分のすぐ傍にいる者だと理解するのに数秒を要した霊幻は、未だ寝ぼけた頭で目を凝らしてその影を見つめた。 「……起きて」 「……!?」 切迫した小さな聞き覚えのある声に、一気に身体を起こす。 布団に潜った自分の手をしっかりと握り、切なげな顔でこちらを見つめる彼女は、今隣の部屋で寝ているはずのフミだった。 [前] | [次] 戻る |