ハロウィンにクリスマス、お正月に節分と、和洋入り乱れた日本の行事は常に忙しない。街のムードは季節ごとに色を上塗りするようにころころと移り変わり、それぞれの店頭には打ち合わせもなしに同じ文字が並ぶ。少し前まで商店街中に漂っていた甘ったるい匂いは今ではすっかり消え、並ぶ文字は『バレンタインデー』から『ホワイトデー』に変わっている。世間の変わり身の早さに感動すら覚える程だと呆れ変えりながら、霊幻は自分の事務所に向かおうと足を早めた。

 賑やかな通りを抜けると、いつもの見慣れた道が姿を現す。馴染みのある落ち着く空気を吸い込んで角を曲がった所で、偶然にも毎日目にするアシスタントの後ろ姿が見えた。

「おーいフミ、」

 この時間ならちょうどバイト終わりで事務所に向かう途中だろう。そう考えて軽く声をかけ、立ち止まった小柄な背丈の隣に小走りで並ぶ。お疲れ様、と返したフミは普段の柔らかい笑顔でこちらを見上げた。
 道路を挟んだ向こう側にはこじんまりとした公園があり、子供の遊ぶ声が小さく聞こえてくる。歩道のない道のため時折通り過ぎる車に気を配りながら、長閑な空気の中、二人は至ってくだらない話をしながら歩いた。

「今日の昼飯パンじゃねーのか?」

「ごめんなさい、実は今日全部売り切れちゃって」

「そんじゃ久しぶりに外で済ませるか。ちょうど金も入ったし」

「いいじゃない。近くのファミレスにする?」

「いや、確か最近出来たイタリアンあっただろ、あそこ行こうぜ。お前食いたいっつってたじゃねーか」

「あら珍しい、覚えてたのね」

「お前毎回毎回一言多いっつの!連れてってやるんだし素直に喜んどけ」

「はいはいありがとう、すごく嬉しいわ」

「ったく……」

 口を尖らせ軽い悪態をついた霊幻は頭の中でここからそのレストランまでの最短距離を辿っていく。徒歩ではやや遠いが今日は天気も良く暖かい。のんびりと散歩がてらに歩くのもいいだろう。
 ふわりと柔らかい風が吹き、霊幻は薄く目を細める。三月中旬のぬるい空気が肌を撫でるが、程よく乾いた気候ときつすぎない日差しが相まって気分は良い。しかしその風を大きく吸い込んだ時、鼻腔に微かに届いた甘ったるい匂いに微睡みかけた頭がはっきりと冴えた。明らかに近くから発しているそれの元を辿ろうと、霊幻は隣を歩くフミに目を向ける。

「おいフミ、お前なんか菓子でも持ってんのか?」

「えっ?どうしたの急に」

「いや、なんか甘い匂いするから」

 考える素振りを見せたフミの視線が少しの間宙に彷徨う。そのあとすぐ何かを思い出したのか、彼女は一人で頷いた後霊幻に見せるように口の中でころりと何かを転がした。頬に丸く突き出たものにおおよその見当がつき、小さくああ、と納得の声を漏らす。

「飴玉か……」

「バイト帰りに貰っちゃって。バレンタインのお返しですって」

「ほー………………え?」

 危うく聞き流すところだった台詞に間抜けな声を上げてしまった。霊幻はもう一度ゆっくりと、彼女の言葉を頭の中で繰り返す。バレンタインはおおよそ一ヶ月前。先程通ってきた商店街が霊幻の脳裏に浮かび、そういえばそろそろそういう時期だったと腑に落ちた。

 いや、問題なのはそこではない。
 直ぐに頭を振った霊幻は当の一ヶ月前を思い出す。
 元々料理上手な上凝り性なフミは毎年バレンタインにチョコレートを手作りしている。それを毎年食べるのは当然霊幻の仕事だった。今年だって、甘すぎない味を好む彼の舌に合うように彼女はチョコ味のパウンドケーキを焼いていたはず。そして霊幻はしっかりそれを食べ切ったはずだった。

「え、なに、俺以外にもチョコあげてたのお前」

「知らなかったの?バイト先の人には毎年あげてるわよ」

 何を今更と言いたげに黒い瞳を丸くして首を傾げたフミの顔を見て、力が籠った両肩がゆっくりと下がった。なんだ、と口にしそうになるのをなんとか抑え、霊幻は心の内で安堵の息を吐く。
 最近ではバレンタインは好きな異性だけに贈るものではなく、友人同士やお世話になった人に渡すことも特に珍しくはない。海外に比べて日本のこういったところはひどく曖昧でややこしいと物申したくなったが、だからこそ、自分はこうして毎年フミのチョコレートを受け取ることができるのだから、そこは白黒つけない日本の文化に感謝すべきところであろう。
 しかしその安心も束の間、再び開いたフミの口から吐き出された言葉にぴくりと耳は反応した。

「でもホワイトデーにお返しなんて初めてね。いつもはバレンタインに職場でお互い交換するんだけど、今年入ったバイト君は用意してなかったみたい。だから律儀に返してくれたのね」

「……『バイト君』?」

「ランチに行くなら後にとっておけば良かったわ、ヴェルタースオリジナル」

 それ、絶対に本命だろ。

こんな素晴らしいキャンディをもらえる私は、きっと特別な存在なのだと感じました―――。穏やかに語る初老の男性でおなじみのコマーシャルが脳内で自動的に再生される。
 ホワイトデーのお返しにキャンディ、しかもヴェルタースオリジナルとはうまいことをするものだ。いつもはそこまで動かさない表情筋が強張る感覚を必死に押し留め、霊幻は恐る恐るフミに尋ねる。

「で?もらった時になんて返した?」

「え?……まあ、ありがたく受け取ったけど。向こうも『受け取るのはこれだけでいいので』って」

「…………」

 つまり、“そういう気持ち”は込められているが受け取るのはキャンディだけでいいと言うことか。なんとも思わせぶりなことをする辺りなかなか駆け引きに長けていそうである。フミに向けられているものを正確に読み取った霊幻は焦り半分、不愉快な気持ち半分でほんの少し眉を寄せた。
 二人の間に少しの沈黙が空いた後、霊幻は何かに気がついてポケットの中身を漁る。
 ゴソゴソとし始めた彼を不思議そうに眺めたフミの眼前に、彼女より一回り大きな握り拳が掲げられる。掌を広げた上に転がされたのは、市販の袋詰めで安く売られているような飴玉の小袋だった。

「まあ、とっとけ」

「……これ禁煙用の飴玉でしょ」

「今それしか持ってねーんだよ」

「ランチおごってくれるんだから別にいいのに」

「いやそういうのはその、形だけでもというか、ほら、まあ……気持ちだから」

 自分でも情けない顔をしている自覚はあった。フミがそのバイト君とやらに特別な感情を持っていないことぐらい見ていれば分かったが、見ず知らずの人間に先を越されるのが気に食わないのもまた事実だ。毎年のことなのに今更初めてのお返し、しかもたまたま持っていた有り合わせのプレゼント。対抗するにしてももう少しまともなものを贈るべきだっただろう、これでは格好がつかないにもほどがある。
 顔を反らした先の青空に視線を固定する。どうせ次の瞬間には、おちょくった笑みを浮かべてこちらを覗き込んでくるのだ。子供のような意地の張り合いをしてしまったことに少しだけ後悔しながら足を早めようと大股に踏み出した矢先。
 ぼりん、と何かを砕く音が横から聞こえ、霊幻は振り向くまいと誓った顔を元に戻してしまった。
 痛そうなくぐもった音を響かせながら、フミが歯で思い切り飴玉を噛み砕いている。数秒もすると全て噛みきったのか静かになった彼女は、霊幻の赤い頬を見て想像していた通りのからかい混じりの笑顔を見せた。

「そういう大人げない所だけは分かりやすいんだから」

「…………うるせーよ」

 小さく聞こえる笑い声に頭をかきながら再び視線を外す。気恥ずかしさに耐える霊幻とは対照的に、三月中旬の空は憎たらしいほどに青い。口の中にあった飴をわざわざ噛み砕いた真意に彼が気づいたのは、頬の熱がすっかり冷めきった頃であった。

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