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「キルア……あいつ後でぶっ飛ばす………」

言葉とは裏腹に、ルーシャはその場に力なく崩れた。エレベーターのドアが完全に閉まって三人の姿が見えなくなり、彼女の背中からなんとも言えない悲壮感が漂う。暫しその状態で固まっていたルーシャだったが、今度は後ろにいるヒソカを警戒して方向転換し、ぎろりと彼を睨んだ。

「そんなにボクが嫌かい?」

「ああ」

「傷つくなぁ◆」

全く傷ついた様子を見せずにヒソカはクックックッと喉を鳴らして笑う。ルーシャの視線が敵視から不快なものへと変わった。

「とりあえずこっちへおいでよ◇」

くい、とヒソカは指を軽く引いた。それと連動して身体がが引っ張られる感覚に抵抗するルーシャ。といえど身体中に貼り付けられたオーラに耐えうるだけの力もなく、情けなく床に這いつくばる形で結局彼女はヒソカの元へと行き着いた。

「……ッククク…!」

「素で笑うな畜生」

流石にみっともない姿を見せたと思ったらしい。恥ずかしさに素早く体を起こしたルーシャは顔を背けて床に座り込む。しかし一連の動作を終えてもしばらく笑い声は続いた。
ようやくそれが収まったころ、今度はルーシャをまじまじと眺め、「男嫌い、ねェ……」と独り言のように呟くヒソカ。何かを含んだような言い方に、だから何だとルーシャは半ば投げやりに吐き捨てた。

「なんで男が嫌いなのかと思ってさ◆こうやって普通に話しているとそんな風には見えないけど」

「確かに会話は普通に出来るけど、そう言われてもな……思い出せないんだよ、何でそうなったか」

「思い出せない?それ……変じゃないかい?」

「…………」

ルーシャは沈黙した。

一般的に恐怖症というものは、これまでの人生の中で何か恐怖を体験し、それに対するトラウマができることで発現するものである。
だが彼女の場合、そのトラウマになるような経験の記憶がそもそも無いため、恐怖する理由がないのだ。
しかしそう話したヒソカに反論する形でルーシャは言葉を返した。

「そんなの人それぞれだろ?一言に恐怖症といっても、『なんとなく』苦手だっていう人もいない訳じゃない。好き嫌いと大差ないと思うんだけど」

「でもキミのそれはもっと深刻だ◆何か原因がなきゃそこまで過剰に拒否反応なんか示さないんじゃないかい?」

妙にもっともらしい言い回しにルーシャは暫し考え込むが、それでもヒソカの意見を肯定することはなかった。
女性恐怖症、男性恐怖症のように異性に恐怖を感じたり接触することを嫌がる人間は少ない訳ではない。確かに自分ほど頑なに男に触れることを嫌う者は限られはするだろうが、理由の有る無しなど些細なこと。自分のそれとて例外ではない。

これまではそう思っていた。

しかし……

そんな風に思考に沈んでいたルーシャは、隣の空気が僅かに動く気配を感じふと顔を上げた。

「っ……!」

その途端目の前に接近してきた顔。
思わずルーシャは後退りしたが、離れる顔をヒソカは追いかける。結局15センチ程の距離でヒソカはピタリと接近を止めた。

「な……何だよ」

少々狼狽えながらもそう呟いたルーシャをヒソカは返事も返さずしばらく見つめる。そして何を考えたのか、いきなり腕を掴んだ。
当然、反射的に彼女の身体はそれを振りほどこうと動いた。

「……!やめ、」

「まぁまぁ◇別に何もしない――」

なだめるような口調のその声はルーシャが拳を振り上げたことにより途切れる。あっさりとそれを受け止めて、彼は掴んでいた腕を離した。
そこで彼女の追撃は止まった。

「…………」

「反射的に手が出ちゃう訳だ◇」

「まぁ、な」

「じゃあ、今からキミの手を握る◆」

「は?」

いきなり発したその台詞に訳が分からず眉を潜めるルーシャ。一体何のつもりだ、そう言おうとした彼女の声を遮って「実験◆」とヒソカは笑った。

「それ以上は何もしない◇心の準備をする時間をあげるよ◆」

「…………」

そう。
彼女が先程考えていたのはこれだった。
事前に触れられると分かっていて、もしくは触れられたとして、果たして自分はそれを我慢できるのか。
シルバとの仕事の時に感じた違和感が、未だにルーシャの中にモヤモヤとした霧のように残っている。ヒソカの意図は分からないが、この違和感の正体を暴きたいと思ったのは確か。
ルーシャは少し考え、「じゃあ…いいぞ」と自身では初めて、異性に触れられることを許したのだった。
ヒソカの指がルーシャの手に触れる。覚悟してはいたし大して怖いとも感じなかった。しかし、

「!」

「……え?」

その手は、確実に力を込めて目の前の顔へと拳を振り上げていた。
ヒソカはそれを避けると同時に手を離す。途端にガスの抜けた風船のように、彼女の腕はぱたりと力を失った。未だ理解できず自らの手を見つめるルーシャにヒソカは問いかけた。

「今のは、無意識かい?」

「いや、無意識っていうか……寧ろ抑えようとしたんだけど」

「でも『我慢してるけど、やっぱり耐えられない』という感じではないね◆」

ヒソカはうーん、と似合いもしない仕草で首を傾げる。ルーシャ自身も疑問を感じざるを得なかった。
身体が動いたことを認識さえできず、気づいたのは手が殴る動作を終えた後。どう考えても、意思とは別に身体が動いているようにしか思えない。

「身体が勝手に動くなんて、まるで操作されてるみたいな――――」

「まさか、念だったり◆」

念?
これが?

一瞬浮かんでから、直ぐにない、と思うような可能性の低い考えだったが、ヒソカが口にした途端、そのあやふやな感覚は次第にルーシャの頭の中で輪郭を形作っていった。
まるで今までそれを考えさせるまいと、思考の扉を閉じられていたような。
妙に生々しい現実味を帯びたその感覚に、ルーシャは複雑な面持ちで少し上にあるヒソカの顔を見上げた。

「……ヒソカ?」

「……!」

隣にいる彼は何故か驚いた表情で固まっていた。
数回呼んでようやく返ってきた反応の遅さに、何かあったのだろうかと再び声をかける。

「おい、どうした?」

「……どうやらアタリだったみたいだ◆」

「は?何が?」

「ルーシャのそれが念の仕業だったってこと◇」

その確信めいた口調の理由が分からず、詳しく問いただそうと口を開く。しかし彼女が声を発するより早く、ヒソカはいつもの飄々とした調子で“彼女にかけられた念”について話し始めた。

「発動条件は二つ◇『男に触れていること』と『男に触れられているという意識があること』◆この二つがそろうことで、キミは正常な考えが出来なくなり暴れるみたいだ◇」

「…………はい?」

「条件を聞いただけならただの恥ずかしがり屋な女のコだねェ◇随分面白い念だ」

「あの、」

「あ、因みにこの事実をかけられた本人が認識した瞬間、念は解除されるみたいだよ◇」

「ちょっと、」

「もうボクに触れても大丈夫じゃないかな?」

「それよりちゃんと説明しろ!!!」

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