1/3 「あれ、キルアじゃん」 「……?」 多くの男たちの吐瀉物やたくさんの悲鳴が飛び交う混沌とした飛行船内。 彼ら―――ハンター試験の受験希望者たちは、受験会場に向かう飛行船の中で凄まじい揺れに耐えていた。 外は嵐。強風に煽られ激しい雨が飛行船を打つ。雨音と形容するには鋭すぎる、銃弾を受けているような音が飛行船の屋根から伝わり、より受験者たちの酔いを誘っていた。 そんな慌ただしく且つ凄惨な状態の船内で、転がる大人たちを軽い身のこなしで避け平然としている子供がひとり。ただでさえ難関と言われるハンター試験に参加する大人たちに混じって、その少年は周りから浮いている。 特徴的なふわふわとした白い猫っ毛を揺らし、その少年―――キルア=ゾルディックは先程自分の名を呼んだ人物に目を向けた。 そこにいたのは、一言で言えば、不審者。 黒く長いコートに、頭には深く被られた帽子。背中には一振りの日本刀を担いでいる。一目では顔が見えず、男女の区別も付け辛い。 その人物はキルアと同様、揺れに全く動じず転がる受験者たちをひょいひょいとかわしていた。時折避けるのが面倒くさいのか、足元で呻く男達を無慈悲にも蹴り飛ばしている。 理不尽な行動はさておき、キルアはその黒コートの人間をぎろりと睨んだ。 自分の顔見知りにこんな人物はいない。にも関わらず暗殺一家であるキルアの名前を知っている事は、少なからず彼に警戒の念を抱かせた。 しかしその刺すような視線を受けても、相手は大して動じることなく肩をすくめた。 「おいおい何だよ、ちょっと会わなかったからって忘れたのか?」 口ぶりからしてどうやら知り合いらしい。 こんな怪しげな知り合いなんていただろうか、と眉を潜めるキルア。そもそも家族以外の交友関係などほぼないに等しいはずなのに……と。 「あ、」 そこまで考えてキルアは声を漏らした。そういえば一人いた。ゾルディックの人間ではなく、しかもかなり頻繁に会っていた知り合いが。 彼はその黒づくめに近づく。見えづらかった帽子の下の顔をそっと確認すると、今しがた頭に浮かべた顔が見えた。 「ルー姉!」 「そ。久しぶり」 彼女―――ルーシャはそう言って笑った。最も帽子を深く被りすぎているせいで、こちらからは口元しか見えないが。 「なんだびっくりしたー!いきなり知らないヤツに名前呼ばれたのかと思ったじゃん」 「そっちこそ、ちょっと会わなかっただけなのに私のことすっかり忘れてるだなんてな。あーあ冷たいなー」 「あ、いや……そりゃ悪かったけどさ、普通分かんねーよそんな隠すみたいに帽子かぶって。てか最近ウチに来てないけど、何してたんだよ?」 「いや、色々あったんだよ」 知り合い、というよりは家族に接するような軽さで(ゾルディック家の家族関係はそんなものではないが)二人は言葉を交わす。張りつめていたキルアの雰囲気が少しだけ緩んだ。 「しかも何で声変えてんの、あとその変装みたいなカッコ」 「ああコレ?これはな、ハンター試験の対策だ」 今、女であるルーシャは本来の声とは違う低い男の声で話していた。キルアがすぐに彼女をルーシャと認識できなかったのはこのせいである。 彼女はこういった声帯模写、所謂声真似を得意とする。精度が良く、老若男女どんな人物の声でも彼女にかかればだいたい再現することができるらしい。 以前、キルアの声を出して遊んでいた時。仕事の件でキルアを探していた彼の兄が、弟の声真似をしていたルーシャにちょっとした悪戯ではめられ、その結果二人とも兄に殺されかけた、という失敗談さえある程である。 それのどの辺りが彼女の言う“対策”なのかいまいち理解できなかったが、とりあえずそれより気になることがあったためキルアは言葉を続けた。 「まあそれはともかくさ、なんでルー姉がハンター試験受けてんの?」 「師匠にそろそろ資格とれって言われたんだよ。確かに色々と便利だしな、ライセンスは」 「ふーん……」 「お前こそどうしたんだよ?こんなところで」 その問いに、彼は視線を泳がせ、気まずそうに俯いた。 キルアが難関と呼ばれるこのハンター試験を受験することにしたのは、単に好奇心があったからだった。要は暇つぶしである。 毎年真剣に試験を受けている受験生の気持ちにしてみれば少々失礼な理由ではあるが、ルーシャが尋ねているのはそういったことではない。彼女の言葉の裏にある思惑まで正確に読み取ったキルアは、先程までの明るい表情を消して呟いた。 「オレ、もうあんなレール敷かれるような人生ごめんだよ。だから家飛び出してきた」 「へー、そっか」 「……親父に連絡とか、しないの?」 「え、別にしないけど?」 「……ホント?」 予想とは違う返事が返ってきたことで意外そうに顔を上げたキルア。目線を目の前の彼女に向けると、いつものように口の端を持ち上げ笑う顔。キルアを騙そうなどといった様子は全くない。 「そんな心配すんなって!たまにはいいじゃん、実家から離れて羽伸ばすのもさ」 「……良かったー!オレルー姉に連れて帰らされたら抵抗出来ねーもん」 ホッと安堵の息を吐くと共に、キルアの強ばっていた表情が元に戻った。よほど家に帰るのが嫌だったのだろう。 「じゃあとりあえず試験中は色々とヨロシク、ルー姉!」 そうカラリとした笑顔で言ったキルア。一瞬前の曇った顔とは大違いである。自分に害がないと分かった途端、ころりと態度を変える彼に苦笑したルーシャ。現金だとでも思っているのだろう。 「こちらこそ。あ、あと私からちょっと頼みあるんだけど」 「何?」 「試験中私のことはルー姉、じゃなくて“ルー”か普通に“ルーシャ”って呼んでくんない?」 「え、何で?」 「ハンター試験の対策だ対策!」 「はぁ?わっけ分かんねェの。ハンター試験で何で名前の呼び方にこだわるんだよ?というかさっきも思ったけど対策って何」 キルアは先程から疑問に思っていたことを口にする。事前に試験内容が分かるわけでもないのに何に備えようというのか。しかも、何の対策か訳がわからない。 そのことを追求されたルーシャは多少言いにくそうに、帽子ごしに頭を掻きつつ口を開いた。 「あー…、つまりな?試験会場では、男だと思って接してほしいってこと。ルー“姉”だと女だってすぐバレるし」 「もしかして……男嫌いだから?」 「そう男嫌いだから。」 「…………」 ルーシャは男嫌いであった。 以前、彼女の肩を抱いた男がいた。彼はルーシャの肩に触れたとたん鼻に拳をお見舞いされ骨が潰れた。またある時、彼女の手を握ろうとした男は逆に物凄い力で手を握られ骨が粉々になった。 普通に会話をする分には問題ないのだが、極度に男に近づいたり接触することがルーシャは何より苦手であったのだ。 他にも彼女に近づき手を出そうとした男たちはいたが、皆例外なく大怪我を負わされている。彼女曰く、反射的に拒絶反応で手が出てしまう、ということらしい。 「なるほど男性恐怖症対策って訳か」 「だってハンター試験は圧倒的に男多いし女は目立つだろ?出来るだけ他の受験生たちとは接触を控えたいんだよ!」 「それで男だと偽って目立たないようにしてるってこと?」 「そういうこと!」 「…………」 まくし立てるように言ったルーシャの出で立ちを、キルアは上から下までじっと見つめた。 帽子に黒のロングコートは下手すると犯罪者と見紛いそうな服装で、街中などではかなり目をひきそうである。彼女はそれが一番目立たないと思っているようだが、どう考えても悪目立ちだ。 それに、性別を隠す上でルーシャの姿にはもうひとつ決定的な問題点があった。 「それ男装してるつもり?遠目なら分かんねーけど、顔見たらすぐに女だってバレバレだぜ」 沈黙。 「と言うわけでよろしく頼んだぞ」 「おいオレの話聞いてた?」 キルアの言葉と飛行船が地上に降りた重低音が響いたのは同時だった。 [前] | [次] 戻る |