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「遅いよ◇」

「ゴメンゴメン、ちょっと仕事が長引いちゃってさ」

路面に倒れ伏したソレが動かなくなって、新たな声が路地裏に響いた。どう聞いても謝っているように思えない無機質な声で、イルミ=ゾルディックは薄い気配のまま姿を表した。

「ヒソカが殺気立ってくれてて助かったよ。オレの気配を紛れさせやすかったし」

「近くに来てたのは分かってたからね◆それにしてもいつまで待たせる気だい?おかげで気晴らしになるどころか余計疲れたよ◇」

さして興味もなさそうに「ふーん?」と首を傾げるイルミ。彼にとってヒソカの悩み事など、昼御飯よりもどうでもいいことである。最も、普段から悩み事など持つより、周りに振り撒いているヒソカだからこそ珍しいことではあるものの、イルミからしてみればだから?といった具合である。

「もう少しでヤっちゃう所だった◇」

「げ、危なかった。まあ予定より長く付き合わせちゃったし、その分の報酬は振り込んどくよ。“ソレ”の処理は担当に頼んどいたから、そのままにしといて。それじゃ、お疲れさま」

本当に用件のみを告げて、イルミは去っていった。相も変わらず淡々としたもの言いと態度は、ヒソカからしてもちょうどいい距離を保てる相手である。
再び誰もいなくなった暗いそこからヒソカもさっさと退散するべく、足元に転がる死体を避け、大通りへと足を進めた。
少し熱を持った首筋を触る。
もう既に出血は止まっていたが、触った感覚から恐らく小さな噛み傷が二つついている。

数日は残るであろうその跡を、ヒソカは力任せに擦った。



□□□□



いつも通り買ってきた食材を冷蔵庫に詰め、空になった袋を片付ける。用事を済ませて廊下に出たちょうどその時、前方に見知った後ろ姿を見つけた。
すらりと細長いシルエットに長く伸びる金髪。つかつかと歩く足取りは速い。
にやりと口角を上げたヒソカは、足音を立てずに彼女の傍へと近寄った。特に気配を消している訳ではないため、後ろから近づく自分のことは気づいているだろうが。

「ただいま、ルーシャ◆」

「…………ああ」

ぶっきらぼうに返したルーシャはこちらに振り向くことさえせず、自分の部屋へ向かう。おかえり、の言葉もないことに若干寂しさを感じながらもヒソカはその後ろについて歩いた。
ここ数日魔獣についていたおかげで彼女といられる時間がめっきり減ったため、後ろを歩いている間しばらくヒソカは上機嫌だった。しかし歩き続けて少し、前を歩く背中から感じる雰囲気に彼は首を捻った。

「何かあったのかい?」

「……別に、そんなことない。というかいつまで着いてくる気だ」

普段通りの言動、普段通りの表情。
端から見ても何一つ違和感などない。ヒソカに対する態度がおざなりなのはいつものことであるし、呆れたような溜め息も何度も聞いていた。

「いいじゃないか◇つれないねェ◆」

言葉ではそう受け流したものの、やはりルーシャの様子はどこか不自然に見えた。表情には出ていなくとも、“嘘つきの勘”とでもいうのか、何となく彼女のオーラを感じ取ったのだ。
そのまま着いていく意志を見せると、溜め息を吐きつつも黙ったルーシャ。自室に入り扉を閉めたところで、(部屋にまで入ってくることは既に諦めたらしい)ヒソカは彼女の右手に紙袋が握られているのに気がついた。

「なんだいそれ?」

「え?……あ、ちょっと!」

その紙袋を奪ったところで初めてルーシャの表情が変わった。それを視界に映してから、ヒソカは中に入っていた柔らかい布を引っ張り出す。
白いレースがふんだんにあしらわれたそれは、ふわふわと風になびくシフォンのワンピース。

「おい、返せ!」

「コレ、キミが?」

取り返そうとするルーシャの手を上手く避け、袋から取り出したそれを両手で宙にかざす。
可憐な少女にいかにも似合いそうな華奢な服は、少し引っ張れば破けてしまいそうなほど薄い。
デザインは違うものの、つい先程まで自分と共にいた少女が着ていた物だ。

『ラッキーアイテムはシフォンのワンピース!』

ヒソカは、知らずに顔を歪めていた。

「似合わないよ◆」

ぴたりと、ルーシャの手が止まる。

「キミにはこれ、似合わない◇いつも着てるやつの方がよっぽどいいよ◆」

袋に入れ直したそれを机に置いて、ヒソカは自身が発した台詞に一瞬固まった。

……正直、全く似合わないなんてことはないと思う。
彼女は目鼻立ちも整った美人なのだ、着ればそれなりに見えるはず。
本当に反射的に、きっぱり“似合わない”と言ってしまった自分に驚く。あの魔獣と同じ服装、それだけで嫌悪感を露にするほど子供ではないのに。

「……ふーん」

しん、と静まり返った部屋にルーシャの呟きがやけに大きく聞こえた。顔を上げると、彼女は口角を無理矢理上げて笑っていた。小さく揺れている双眸は、偽の顔を繕う余裕さえないといった様子だ。
少し気分を変えて違った系統の服を着てみようという、ただそれだけの可愛らしい女心を踏みにじってしまった。それに多少焦りを見せたヒソカは不自然ではない程度のフォローを入れる。

「今のキミじゃ、って意味さ◇もう少しおしとやかになったらどうだい?そうすればきっと似合うよ◆」

「なんだそれ、フォローのつもり?別に好きで買った訳じゃねーんだよ、これ」

「それじゃ、誰かにプレゼントかい?」

「いいや、私のだ」

「?」

突如知らされた事実にヒソカは首を傾げた。好きでもない服を何故買ってきたのだろうか。よく分からない。頭に疑問符を浮かべる彼に構わず、ルーシャはずんずんと自分の前に迫ってきた。一瞬前の笑顔は、今はない。

「お前のせいだ、ヒソカ」

「は、……?どういうこと、」

言い終わる前にいきなり胸ぐらを掴まれ、息をつまらせる。何を、と驚く暇もなく、ヒソカはぐいと顔を引き寄せられ。

『予想外のハプニングが起こってびっくりさせられそう!相手の言葉をしっかり聞いて受け入れましょう』

不意に思い出されたのは、もうどうでもいいはずの魔獣の言葉だった。

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