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まともに抵抗さえできず連れられた裏路地は、大通りから近いものの人の気配は薄い。高い建物や電柱に日の光を遮られ、そこは薄暗く湿っぽい空間だった。その突き当たりの袋小路までヒソカは手を引かれる。壁に押し付けられながらしゃがみこむ形で小柄な魔獣と顔の高さを合わせられた。

「ふふふ、ヒソカさんだーいすき!」

「……だーいすき、なら拘束を解いてくれないかい?」

「え?でも離したら逃げちゃうじゃないですか」

ぎゅう、と背中に腕を回し、身体を密着させてくる魔獣。少女の華奢な体躯は、力を入れれば折れてしまいそうな細さだ。女性独特の柔らかさと微かな花の香りが、本当に彼女が獣なのかと疑わせる。しかし笑う度に口元から覗く鋭い八重歯と本能にぎらつく瞳が、明らかに普通の人間とは違うことを物語っていた。
まるで恋人同士が身を寄せあうような光景ではあるが、これから行われるのは間違っても二人っきりの秘密の逢瀬ではない。
主導権が自分にあることを確信し、満足気に微笑んだ魔獣は、ヒソカからゆっくりと離れる。未だ片手は繋いだままの状態で、もう片方の手にオーラを集め始めた。
渦巻きながら丸を型どったそれは、水晶へと物質変化を遂げた。

(具現化……かな?)

「私ね、占いがだいすきなんです!ヒソカさんからもらった血で、今日のあなたの運勢、占ってさしあげましょう!」

おどけた台詞と共に、水晶がまばゆい光を放った。昼間にも関わらず暗い路地裏が、一瞬だけ明るさを取り戻す。瞬きもせずにそれを覗き込む魔獣は、言動とは反して真剣な表情で一心に光を見つめている。“占い好き”というのは本当らしい。
数秒の後、魔獣は見えました!と水晶を再び本来の霧状のオーラへと戻した。
身体の自由を奪われたとはいえ、まだ余裕は充分にあったヒソカは、いつも彼女にしているようににっこり笑いかけた。

「どうだったんだい?」

「うーん、“予想外のハプニングが起こってびっくりさせられそう!相手の言葉をしっかり聞いて受け入れましょう”だって!ラッキーアイテムはシフォンのワンピース……あ、今私が着てますよ!ヒソカさん!」

魔獣はそういって自分のスカートの裾を手で揺らす。占いに出ているのはまさに私のことだ、そう言いたいらしい。しかし一方でヒソカはというと、なんとも曖昧な表情でそれに応えた。
彼女がいつかこうして自分を狙いにくるのは分かっていた。特にハプニングと言えるような出来事ではないはずだが。

「だからね……」

そんな彼の心中などいざ知らず、魔獣は上機嫌でまたしても抱きついてくる。鼻が触れそうなほど近づいた魔獣は、にんまりとした笑みを浮かべていた。
今まで清楚な印象だった彼女には似ても似つかない妖艶な表情で、口調さえがらりと変えて吐息混じりに呟く。

「だから……あなたは私がもらうわ。逃がさないんだから」

「……随分言葉づかいが変わったけど、それが素かい?」

「ええ。最初からこんなにがっついてちゃ男は寄ってきてくれないでしょう?」

「……今までのは演技だったって訳か◇」

ヒソカの問いにくすくすと声を漏らし、魔獣は軽く首を傾けた。自分の罠にまんまと嵌まった馬鹿な男をあざ笑うどこか見下した瞳は、既に獲物を捉えた強者の目をしていた。

「だって、みんな好きでしょう?か弱くって可愛い女のコ」

「…………」

もう一口、とヒソカの首筋に吸い付く魔獣。血に濡れた牙と唇。そこから覗く赤い舌は酷く扇情的で、先程とは違い彼女本来の獣の臭いを僅かに放っていた。

「……ク、」

「?」

「……ク、クククッ…!可愛い女のコ、ねぇ◆」

唐突に笑い始めたヒソカに、魔獣は眉を潜め、埋めていた顔を離した。怪訝そうなその表情は、次の瞬間怯えへと変わる。
今まで我慢していたモノが一気に溢れだし、魔獣の身体を覆った。よく言われるねばつくような自分のオーラは魔獣にも大層気持ちが悪いようで、肩を掴む細い指が僅かに食い込む。
だがその傷跡を気に留めることもなく、今までの反動で制御が効かないヒソカはくつくつと笑みを漏らした。

「……もう、我慢できないかも…◇」

ようやくいつもの彼に戻った訳だが、魔獣からすれば、今までの優しい好青年から豹変したその表情はあまりにも差がありすぎる。
反射的に嫌悪感を露にした彼女は思わずヒソカから目を反らした。ようやく騙されていたのが自分だと気がついたようだ、小さく舌打ちをする音が聞こえた。

それが、少しだけ“彼女”と重なる。

「キミ、そっちの性格の方が断然イイよ◆」

「……そう?」

気圧されても余裕の態度を崩さない魔獣の強がりが可愛らしく見えたヒソカは、ますますオーラを蠢かせた。これぐらいの方がやはり楽しい。
なんて。
馬鹿馬鹿しい。
全て、ルーシャを通して見ているものだというのに。
そう言えばに最近顔を合わせる時間が減った。ああそうだ、この魔獣の相手をし始めてからだ。早く終わらせたい。終わらせて、彼女に――――

「……ああ成る程、タイプが違ったのね。“彼女”、可愛いっていうより綺麗なタイプだものね」

「……“彼女”?」

唐突に魔獣が発した一言に、ヒソカの表情が一瞬だけ固まった。

「この子に懸想してるのね。でも彼女、見たところあなたに興味はなさそうよ?」

「誰のことを、言ってるんだい?」

「ふふ、あなたの血から色々情報を貰ったのよ」

魔獣の目は虚空を見つめている。言動からしてヒソカの記憶を覗いているらしく、不愉快さが彼の胸に渦巻いた。

“彼女”とは、恐らく。

「これ脈なしだわ。あなた全然相手にされてないじゃない」

残念ねえ、口元に弧を描く魔獣はちっとも残念そうな口振りではない。

「でも“彼女”、なんかガサツだし言葉づかいも乱暴ね……なんでこんな子が好きなの?ヒソカさん」

あんまりいい趣味してないんじゃない?と眉を潜めた後、ようやく魔獣はヒソカに向き直った。

「まあ、どっちにしてももうあなたは私のよ。せっかくこんなにも美味しいんだもの、ゆっくり味わってあげるわ」

未だ出血が止まらない首筋の血を舐めとる。少しずつ、少しずつ、となぶるような彼女なりの愛撫は、しかしヒソカの命を削っていくものでしかない。
誰も通らない静かな裏路地。微かな風が道端の紙くずを転がした。

「遠慮するよ◆」

「………ッ!?」

勢いよく正面から身体を押し、ヒソカと魔獣は引き離された。何故、そう訴える表情をどこか遠くに見ながら、ヒソカは最期に、と告げる。

「あ、そういえば答えておくよ◇なんで“彼女”が好きかって?」

咄嗟のことで身体が言うことを効かないまま、魔獣は硬い路面に背中をぶつける。
その直後、細長い何かがいくつも頭に刺さった感覚と激痛が魔獣を襲い、呆気なく彼女は意識を手放した。

「――――だから、だよ◇」

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