3/4 今から時は少し遡り数日前。 ルーシャは自室でいつものようにネットサーフィンに勤しんでいた。マウスのクリック音とキーボードを叩く音だけが響く部屋は薄暗い。僅かについた電灯があるものの、部屋の光源はほぼパソコンの画面から放たれた光だけだといってよかった。 部屋とは対照的に明るい電気の光を受け、暗闇に浮かび上がるルーシャの顔はあまり見れたものではない。寝不足なのか目が開いていない彼女の表情が、その光景をより一層不気味なものへと変えていた。 ふと、その時。部屋に備え付けられた電話が鳴る音が彼女の耳に届いた。作業を中断しなければならなかったことに若干苛立ちを覚えながら、のろのろとした動作で備え付けの受話器を取る。 「はい」 「やぁ◇」 破壊されかねない勢いで受話器が叩きつけられた。 「………なんだ今の」 気を取り直し画面の前に座り直した。 ピンポーン。 「…………」 今度は部屋のチャイムが鳴った。恐らくは先程の電話の相手。ルーシャは数秒も考えない内に居留守を使うことにした。気配も完全に消して、画面に向かう。当然先程の電話の主の声が聞こえるが、全て無視を決め込んだ。 「いるんだろう?顔ぐらい見せておくれよ◆」 「…………」 「話があるんだ◇」 「…………」 「……やっぱりいた◆」 「…………。……ようヒソカ。何勝手に入ってきてんだよ変態」 「話があるっていったじゃないか◇」 先程ドアの前にいた彼は、既にルーシャの目の前へと姿を見せていた。いつものピエロのメイクを今日はしっかりとして。 「出てけ」 自分の作業を邪魔されたことに大きく舌打ちをしてルーシャは立ち上がる。彼―――ヒソカを部屋の外へと放り出すべく。 しかしヒソカの力は彼女が思ったより強かった。分厚い筋肉はいくら押しても動かない。そんなルーシャを滑稽に思ったのか、ヒソカはくすくすと笑った。 「誰かーーー!!ゴン来てく―――ん!」 「ダメだよ夜遅くそんな大声出しちゃ◇」 助けを呼ぼうとしたルーシャはすぐさまヒソカに口を塞がれる。しばらく抵抗を試みたが、先程の通り力の差は歴然だ。振りほどくのを無理だと悟った彼女は諦めて大人しくなった。 暴れるのを止めたルーシャをみて目を細めたヒソカは、静かに彼女の口元から手をどける。その手をそのまま寝癖がついたルーシャの髪をすく作業に移らせた。 大して気にすることもなくされるがままになっていた彼女はそこではた、と何かを思い出してふと部屋に視線を巡らせた。 「“夜遅く”?今何時だ?」 「時計ぐらい見ておきなよ◇」 ヒソカは壁の時計を指差す。ちょうど針は12を指していた。 「もしかして深夜の0時?」 「そう◆」 「……すっかり昼間だと思ってた」 「割りと不健康だねキミ◇ちゃんと寝ないとお肌が荒れちゃうよ?」 「ほっとけ!……そんで?」 そう言ってルーシャは目の前の彼を見上げる。 ルーシャは女にしては背が高いが、しかしそれ以上にヒソカも長身である。その為、必然的に出来る身長差によりルーシャの方が上を向かなければ、二人は目を合わせることが出来なかった。 どうしたんだい?と可愛らしくもない仕草で首を傾げるヒソカをぎろりと睨んで彼女はぴしゃりと一言。 「なんでそんな非常識な時間帯にお前は来たわけ?」 「だって、昼間に部屋に来てみたらキミ寝てたんだもん◇」 「もんとか言うな……え?」 (なんか今、凄い重大なことを聞いた気がする……) 開きかけた口を閉じた。 正直、詳細を聞くのが怖い。 しかし詳しいことを尋ねる前に、ヒソカの口から次に出た言葉により、その思いは瞬時に忘れ去られたのだった。 「任せるなんて言ったけど、もう我慢できなくって来ちゃった◇ゴンとの戦闘日の一週間後……7月17日に戦おう◆」 □□□□ 「てことで、約1週間後に試合決定」 「アホかーーーー!!!!」 ドゴン、と人間の拳が本来たてるものではない重々しい音がした。それを受けたルーシャはかなりダメージを受けたらしく、痛みに頭を抱えて転げ回りそうになり、しかし理性でなんとかそれを留める。 涙目になりながら彼女の口から苦痛の声が漏れた。 「いっ…………!!!いてェ!!」 「なんで一言も相談しねェんだよルー姉!!相手はあのヒソカだぜ!?いくらルー姉でも相手が悪い!ゴンみたいに殺されない保証はどこにもねーんだぞ!?」 一気にキルアはまくし立てた。自分達に一言も言わず一人で決めてしまった彼女にかなりお怒りのようだ。まだ痛む頭をさすりながらルーシャは弱々しい抵抗を試みる。 「だって、言ったら絶対止めるかなって……」 「当たり前だろ!!」 「ま、まぁまぁキルア。もう決めちゃったことなんだしどうしようもないよ」 ゴンがそう宥めたお陰かとりあえずキルアは落ち着いた。彼の猫目は未だにぎゅっと吊り上げられたままではあるが。 キルアがここまでルーシャに対して憤慨するのは珍しいことだった。いつもは彼女の調子に振り回されたり、軽口をたたいて殴られたりしているキルアは、普段とは違い心の底から怒りを露にしている。彼のその様子に眉を潜めたルーシャ。不思議に思ったのはゴンも同じで、二人は自然と顔を見合わせる。 「どうしたのキルア?なんからしくないよ?」 「何がだよ!」 「いや、なんかいつもと違うっていうか……なあ?」 「ねえ?」 「ッ……知らねェっ!」 一瞬だけ目を見開き、それから視線を泳がせ、それと同時に頬を赤らめたキルアはプイ、と音が鳴りそうなほど勢いよく顔を背けてさっさと自室へと帰っていった。 どかどかと音をたてて歩いていくその背中を見送った二人は一緒に首を傾げた。 「なんなんだろう?」 「なんなんだろうな?」 □□□□ 『ゴン選手VSヒソカ選手!!いよいよ注目の一戦が始まろうとしております!!』 実況の声もかき消されそうな凄まじい歓声が闘技場を包みこむ。 7月10日、ゴンVSヒソカの試合。 やはりあのヒソカの試合だからか、ギドやリールベルトとの試合とは桁外れの観客が会場を埋め尽くしていた。試合前にも関わらず早く始めろ、などと野次が上がる中、屈強な男たちに混じってルーシャは持っている団扇を扇いだ。 「あづーーー。この熱気耐えられん」 「これぐらい我慢しろよー」 「ムサい男どもの巣窟だぜここ?私にはキツいよやっぱり」 横には、この前彼女に怒声を放っていたキルア。今は調子を取り戻したのか、いつものように会話が交わされている。しかし一見普段通りの彼も、ルーシャからはどこかよそよそしい態度をとっているように見えた。 嘘をつくのが上手いキルアなので、彼女も確信は持てなかったが。あくまで勘、である。 「あ、ゴン出てきた」 キルアのその声に、隣を盗み見ていたルーシャはリングに視線を戻した。ゆっくりとした足取りで戦闘開始位置に歩いていくゴンの姿はここからではかなり小さい。しかしその背中からは彼なりの決意が見てとれた。 『さぁー、そして反対側のゲートが開き始めたァ!!ヒソカ選手の登場だァーーーーー!!』 ヒソカが出て来た瞬間、歓声が一気に大きくなる。もう爆音とさえ呼べるその騒音にルーシャだけでなくキルアもさすがに軽く耳を塞いだ。 ヒソカはごく軽い足取りで進んでいき、ゴンの目の前で立ち止まった。決意を秘める瞳にヒソカが映り込む。ゴンの真っ直ぐなその目とは反対に、彼は欲望と快感に浸る歪んだ顔をしていた。 その表情と呼応するように、彼の纏うオーラは禍々しさを増す。 「…………うわぁ」 「っ……すっげーオーラ」 二人して声を上げる。 彼の強さはそれだけで一目瞭然だったが、ねばついたオーラの蠢く様は、これから獲物をいたぶる快感に身を捩るようだった。まさにヒソカらしいその異常な迫力は、観客を興奮させるのには充分だった。 『ポイント&KO制!!時間無制限一本勝負!――――始め!!』 会場の盛り上がりも最上級に達する中、試合は開始した。 審判の声と同時にゴンは走った。一瞬後にリングで起こった無数の拳のやりとりに観客は言葉を失う。 そんな中、ふとキルアが声を発した。 「……なぁ、」 何?とルーシャ。 「オレさ…ルー姉が……なんていうか……その、憧れだったんだ」 「あ、こがれ?」 ああ、と顔を背けて頷くキルア。 唐突に明かされた事実を呑み込めないでいるルーシャには構わず、せきを切ったようにキルアは一気に言葉を紡いだ。 「ルー姉は、いつもオレの前を歩いててさ、いつも……堂々としてる。絶対にオレの前では負けたことないし、余裕も崩さない」 キルアの言う意味が分かったと同時にルーシャの顔色が変わる。キルアは続けた。 「だからヤだったんだ、ルー姉がヒソカと戦うの。ルー姉が負けるとこなんか、見たくなくて」 『すっ…すさまじい攻防です!!実況をさしはさむスキさえありませーーーん!!』 ゴンの連続攻撃に会場が沸く中、キルアの声はやけにはっきり彼女の耳に届いた。 「…お前にしては素直に言ったな」 ふー、と溜め息を吐いたルーシャは静かにそう言った。 リング上のゴンが再びヒソカに飛びかかると同時に、彼女は横に座るキルアに顔を向けて続けた。 「キルアが正直に言ってくれたから、私もはっきり言うぞ。……キルアは私のことさ、何だと思ってんの?」 「……え?」 予想外のその言葉にキルアは目を見開いた。彼はてっきり“そんなに心配してくれてありがとう”、そう言った類いの返事が帰ってくると思っていたのだ。 「そりゃ嬉しいけどさ、私だって負けることはあるしキルアの前をずっと歩いてる自覚なんてない。お前が見てる私のそのイメージ?理想?……悪いけど捨ててくんない?」 「…………」 「私は何でもできる完璧な超人じゃない。普通の、みっともなくて情けない人間だ」 「…………」 「人間、なんだよ。ただの」 途中から彼女の目はキルアを見ていなかった。ぼんやりとした眼差しは何処か遠くに向けられている。 普段と違うルーシャに戸惑いを隠せず、どうした、と言いかけて口をつぐんだ。直前に彼女から聞いた言葉を思い出す。 「……ルー姉、今ゴンの試合中だから」 「あ……ごめんごめん!」 「いや、話降ったオレも悪かったよ」 へらりと笑った“いつも”のルーシャを“いつも”のように見ることは出来なかったが、キルアの中にあった靄は、ほんの少し晴れたような気がした。 [前] | [次] 戻る |