しとしと。雨が上から下へと降っている。窓の屋根から落ちる雫の一粒ひとつぶを目で追っている内に寝てしまっていたようで、玄関がエンヴィーを迎える音で目を覚ました。

「おかえり」

「だから何度も言ってるじゃん。ここは僕の家じゃないんだから、おかえりって言葉はオカシイよ」

「そうだね」

「言うの止める気ないくせに」

暗い玄関から明るいところへ出たエンヴィーの姿は、血と泥と雨にまみれていた。滴る雫が、私の見ていた雨に似ている。
洩れた月光、まどろみ、液体。

「人を殺してきたの?」

「うん。三人くらいをぐさり」

「えぐいね」

そ?と可愛く微笑むエンヴィーの腕を引っ張って、私の横たわっているベッドに無理矢理沈ませる。この白いシーツは今日洗濯したところだったっけ。

「僕今汚いから、甘えたいならまたあとでね」

「いいの、汚れても。また洗濯すればいいだけ」

「僕がよくないもん。血がついたままなんてキモチワルイ」

「いいじゃない。あとでいつもみたいに二人でお風呂に入れば」

「いつもって、二人で入ったことないじゃん」

そ?と、今度は私が可愛く微笑む番。エンヴィーはそれに気をよくしたのか、頭を私のお腹にぐりぐりと擦り寄せてきた。
窓から薫る雨のにおいが、段々と感覚を麻痺させていくように漂う。何だか気持ちいい。私は二人で過ごすこういうふにょふにょした時間が好きだ。

「隣の町に『えれべーたー』ってやつが出来たの、知ってる?」

ほこりっぽくて、汗くさいエンヴィーの髪を梳きながら「うん」と答える。バンダナを取られてまとまりのなくなった黒髪が、私の指に絡まりつく。

「明日さぁ二人で行ってみようよ」

「えれべーたーに?」

「そう」

エンヴィーから何処かへ出掛けようなんて言われるのは大分久しぶりで、思わずぽかんとしてしまう。「なに、嫌なワケ?」という不機嫌そうな声が聞こえてきて、ハッと我に返った。

「なんで?」

「なにが」

「エンヴィーが自分から何処かへ出掛けようなんて、珍しいじゃない」

「そう?」

「うん。私が買い物行きたくてもすぐに却下するし。えれべーたーに何かあるの?」

「別に。ただ」

「ただ?」

「『死ぬ』を体験したいんだ」

「死、を」

「えれべーたーってヤツは重力喪失現象を体験出来るって、ラースが言ってたから」

「……どうして重力喪失現象と死が結びつくの?」

想像力が足りてない、エンヴィーにいつもそう怒られる。多分、今も呆れられている。私の想像力の無さは、雰囲気までをもぶち壊してしまったようだ。
エンヴィーから目を背けるかのように、再び窓の外を見る。外で鳴く蛙の声を、見る。それを遮るように、まるで僕から意識を反らすなとでも言うように、エンヴィーの声が静かに部屋に響き出す。
洩れた月光、まどろみ、液体。

「……生きてるってさ、重力によって地球に囚われてる状態だと思うんだ。だから、死ぬってことは重力から解放されて、地球からパッと離れちゃうことだと思うんだよ」

「よく分かんない」

「いいよ、分かんなくて。どうせ君たち人間は直ぐに死ってモノに直面するだろうから。すぐに分かるよ。……でも僕たちは違う。死を体験するなんて気が遠くなる程先の出来事だし、もしかすると死を体験すること自体有り得ないかもしれない」

「だから?」

「今の内に、君が生きてる内に、一緒に死ぬって感覚を体験しときたいなあ、と」

分かったような、分からないような。嬉しいような、嬉しくないような。そんな言葉をそんなに呆気なく放られたら、私だって困惑くらいしてしまう。ただ、エンヴィーにとって、えれべーたーに一緒に行く相手が誰でも良かった訳じゃないんだということだけは確かに分かった。そして、私はそれが確かに嬉しかった。

「私たちは不便な身体を引きずってるね」

「はぁ?それは君だけでしょ」

「……そうだね」

寂しそうに目を伏せたエンヴィーの表情が、やたらと美しくて。私は不意に同情とかいう、彼が一番嫌う感情を抱いてしまった。



重力の有効期限



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企画「少年と星は呼吸をやめない」さんに提出。
素敵な企画に参加させていただき、ありがとうございました。

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