呼び出されたから障子の前で佇んでいる。会いたいから来た。会いたくないから障子に掛けたこの手を引けない。
ぐらついている私の霊圧を感じ取ったのだろうか、遅いわ、という気だるそうな声がして、私は薄暗い部屋の中に引っ張り込まれた。この暗さは嫌いだ。
見慣れた隊長の部屋と、愛しいと感じてしまうこの匂い。今日はあの心地よいジャズは流れていないけれど。私がもの惜しそうにレコードを眺めているのに気付いた隊長は、少し口角を持ち上げてお得意の表情。
あああ、視界が滲む。
今日の仕事で起こった面白おかしいこととか、昼ごはんの鯖がパサパサしていて不味かったこととか、話したいことはたくさんあったけど、唇を噛みしめていないと今にも嗚咽が漏れそうだったから。隊長が楽しそうに話すこのジャズの曲の魅力について、首をかくかく振るしか出来なかった。

「なんや、元気ないなァ」

「……なこと、ない、ですよ」

「なんもない訳ないやろ。ほら言うてみ?」

ふるふると首を振る。隊長相手に隠し事なんて、無謀なことなのに。

「全く、みょうじ七席は強情な奴ちゃな」

その何気ない一言が、悪意の欠片もない一言が、引金になって塞き止めていた涙がこぼれた。。案外、いつだって、何かの引金なんて、そういうものだ。
夕刻の薄暗い廊下に響いた五番隊の女の子の高い声が、また私の脳内にがんがん響いて、痛いところをちくちく刺す。

「そんな呼び方嫌いです」

「はァ?」

「七席なんて呼ばれ方、したくないです。嫌いです」

しゃっくりが込み上げてきて、どうしようもなく悲しくて。ぐちゃぐちゃな心の内をそのまま言葉にするなんて幼稚なことをやらかした。大人な隊長は呆れるんだろうか、愛想をつかすんだろうか。怖いと言えばそうだけど、もうどっちでもいいや。

「いつもみたいに、なまえって呼んでくださいよぉ」

会話の端々に私の泣き声。泣き言。わがまま。
こんなことは初めてだ。隊長に近付こうと大人ぶっていた私が崩れてく。

「んなもん、呼んでほしいんやったらいくらでも呼んだるけど……」

なまえなまえ、と優しい声が頭の上から降ってくるから、堪らなくなって隊長の胸に飛び込む。ジャズのリズムに合わせるように、とんとんと隊長の大きな手が背中を叩く。まるで赤子をあやすように。

「何かあったんか」

今度は唇の隙間を通ってするりと言葉が出た。
夕刻の薄暗い廊下で聞いた私に対する陰口。ただの七席が隊長と恋仲だなんてありえない、という私も気にしていた内容の陰口だった。だからだろう、女の子のその一言は予想以上に重く重く心にのしかかった。座官入りしてるだけでも結構なものよ、自信持ちなさい、なんて友達は言うけれど、隊長との距離は平隊士だった時と変わった気がしない。遠すぎるのだ。
そう打ち明けたら、何やそれ、と顔をしかめられてしまった。
分かっている、身分の差など気にする必要はないということくらい。しかも一国の王子様と町娘なんて大袈裟なものでもなんでもない身分の差なんて。でも、そう割りきってしまえるほど器用ではないのだ。しょうもないと言われても、気になってしまうものは仕方がない。

「俺と一緒に居んの、つらいか?」

背中を叩いてくれていた手が止まった。呼吸が浅くなって、筋肉が思う通りに動かなくなる。
何だかんだ言って、もう離れられないところまで来ちゃってるんだって分かってるのに、わざわざ隊長にこんな台詞を吐かせるなんて。

「私って嫌な女ですね」

「なんや急に。そんなんずーっと前から分かっとったわ」

「酷くないですかそれ」

「強情で可愛げないし、生意気で、口だけは達者やし」

「……そんなにたくさん嫌なところがあるんなら」

じゃあ、別れた方が楽ですか?
必然的に、瞬間的にその言葉が頭に浮かんだ。だけどそれを口にする前に、背中を包んでくれていた手に、頭をくしゃくしゃと撫で回される。

「せやから、さっき名前呼んでって甘えてくれたときめっちゃ嬉しかってんで」

空気を震わせたのは、気の抜けた「え……」という言葉。重かった瞼を持ち上げて隊長の顔を見れば、元々不細工な顔が余計不細工になっとるでェ、なんて失礼なことを言われた。そして「冗談や」とでも言うように、またくしゃりと頭を撫でられる。

「大体なァ。身分の差なんか、ソイツが意識せんかったら生じひんもんねやで。お前は俺を隊長として見すぎや」

「そんなこと……」

「ある。まァしゃーないっちゃしゃーないけどな」

隊長がおもむろに隊首羽織を脱ぐ。白いそれは、薄暗い部屋の中で発光しているように見えた。

「しゃーないけど、出来るだけ早う俺を男として見てえや」

嘘を暴かれた時によく似た感情が心の中を巡る。だけど、隊長に言い訳なんて出来やしない。ましてや更に嘘を重ねるなんて。
嘘やごまかしやらを取り払ったら、多分そこに残るのは傍に居たいという気持ちだけなのに。その気持ちだけで十分なのに。余計な感情まで抱えてしまうなんて、心って面倒な作りね。
平子さん、と小さく呼んだ声は、きっとサックスとやらの哀愁漂う音に紛れて隊長には聞こえていないだろうけど。



灰色が溢れ出した瞳



*****
軽い気持ちで書き出したのに、何だかんだですごく長くなってしまった…。
「ただただ好き」という気持ちだけで恋愛できることって、滅多にないんじゃないかと思います。

タイトル、etwas

101104
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