「隊舎の裏に植えてあったんだ」 そう言って檜佐木が差し出したのは九番隊の隊花である白罌粟の花だった。俯いていた顔を上げて彼の方を見ると、ふいと視線を反らされる。 ああ……。 「そういう、こと」 この九番隊に入ってから今までの出来事が、頭の中でフラッシュバックする。目が回った後みたいな気持ち悪さに、膝をついた。 「おい、どうした……」 「もう触んないで」 伸びてきた筋肉質な腕を、頼りにしていた手を、いつだって温かかった手の平を、拒絶した。 あからさまに傷ついたような顔をする檜佐木を見て、可笑しいじゃないかと嘲笑したくなる。 傷ついたのはこっちだ、馬鹿。 「この花、アリガタク貰っておくわね」 「お、おう。それより具合……四番隊に行った方が、」 「さよなら」 あっけらかんとしている檜佐木の横を通って自室に向かう。これでもかというくらい噛み締めた奥歯を少し弛めれば、それと連動しているかのように涙腺も弛くなった。 だめ、だめ、だめ。此処で泣いちゃ、駄目だ。いい女が台無しよ。 右手に握っている白罌粟に力を込める。部屋に飾っておけば、おまじないくらいにはなるだろう。 最近私たち上手くいってなかったもんね。仕事が忙しくてすれ違いばっかだったし、喧嘩だって多かったし。辛かったこと、苦しかったことならいくらでも思い出せちゃう。 そんなこと忘れちゃえばラクなんだから、と泣きそうな自分を誤魔化したとき、嘘はおよしよとばかりに右手を引っ張られた。 「檜佐木、離してよ」 「離さねーよ」 「しつこいってば。何なの」 「お前こそ何なんだよ。急にそんな『さよなら』とか……別れるみてェじゃん」 「そういう意味だったんだけど」 細い鋭い彼の目が、ショックを受けたように見開かれる。何その演技。 「何で急に別れる話になってんの?」 「はァ?檜佐木が言い出したんじゃん」 「言ってねェよ」 「確かに直接言葉にしてた訳じゃないけど。アレ、そういう意味なんでしょ?」 「アレ?」 「白罌粟の花」 白々しい。今更何の目的でそんな何も知らないみたいな顔すんの。眉を曇らすの。 「……もしかして『忘却』?」 「もしかしてって何よ。檜佐木はそういう意味でそれを私に渡したんでしょ」 「いや……違う」 顔に手を当ててため息を吐く檜佐木。俺は馬鹿か、とぽつりと呟いたあと、抱きしめられた。 泣くつもりなんかなかったのに、自然と涙が頬を伝う。情けない話、この腕の中から離れたくない。 「ごめん、ごめんな」 「何謝ってんの?私をフッたこと?」 「違う。アレは、白罌粟は、詫びのつもりだったんだよ」 くっついていた体が離れ、檜佐木に両肩を掴まれる。真剣な目、だ。 「最近まともに構ってやれてなかったし、大人げないことで怒ったりしたし、お前に寂しい思いいっぱいさせちゃったし」 「……そのお詫び?」 「のつもりだった。まさか『忘却』の意味に取られるなんて思ってなかったから。ごめん」 何だ、結局私が勝手に不安になって、勝手に意味を解釈し違えただけじゃないか。一人相撲ってやつ。 「わ、たしこそ、ごめん」 「その……一応確認なんだけどさ。別れるってのはナシだよな?」 「う、ん?」 「何で疑問型」 そして再び檜佐木の腕にぎゅうと抱きしめられる。耳許の低い声が「まじでよかった。お前がどっか行っちゃったら俺もう駄目だ」なんて呟いたから、多分今の私の顔は紅色だ。 「檜佐木、好きだよ」 「珍しく直球なんだな。俺は大好きだよ」 「じゃあ私は大大好き」 「俺は愛してる。って、俺ら馬鹿みてー」 二人でクスクス笑い合ったのなんて久しぶりだ。好きって気持ちがどうしようもなく高ぶって、体内がこしょばい。 「まじで焦ったんだからな」 「私だって悲しかった。白罌粟くれた時に目ぇ反らされたし」 「あれはだな……花を贈るなんてクサイ行為に照れてたんだよ」 「なんだ、そうなの」 「まあそれだけじゃないけど」 「え、何?」 「……お前の上目遣いの殺傷能力が高いってこと自覚しろよな」 あなたを直視することができないのは、睫毛が重いせい ***** 檜佐木さんは思いつきでお詫びに白罌粟の花を贈っただけなので花言葉までは考えていませんでしたとさ。 馬鹿な檜佐木さんが好きです。 不安になってる時って、どうしても人の言葉や行動を悪い意味に取っちゃったりしませんか? 101011 |