図書館という空間は現実世界とは空気の流れが違う、そんな気がする。まあ実際はそんな筈はないのだけれど。そんな空気感が好きだから私は此処で働いていると言っても過言ではないと思う。
午後四時、少し早めに仕事を上がった私は、古い童話集を手に取った。来館者のための机に向かい、ラベンダーのような色した表紙をめくる。つんと香る古ぼけた紙の匂いと午後の柔らかい光は、愛しいほどに相性ぴったりだ。 
気付けば閉館の十五分前になってしまっていて、周りの人たちも帰る支度をし始めた。そんな中私は暢気に背伸びをして、ふっと机に視線をずらす。そこにあるのは、おびただしい数の落書きたち。いくら注意を呼びかけても減ることはなく、むしろ毎年増えていっている。
誰々が好きだとか、絶対に試験に受かるだとか、不恰好な相合い傘だとか。図書館で働く者としては止めてほしい行為なのだけれど、その落書きの一つひとつに誰かの想いが詰まっているのかもしれないと思うと、眺めるこちらもほんのり温かい気持ちになってくる。
見知らぬ誰かの想いを汲むかのように指で落書きをなぞっていく。そしてある落書きに触れた瞬間、世界が傾いていくような感覚に襲われた。

「絶対に二人で元の体に戻ってやる」

この落書きを書いたのは誰か。そんな思慮をしている時間なんて必要なかった。浮かんだのはただただ眩しい、金色。
それを皮切りにしたように、脳裏に次々と浮かんでくるあの子の姿。よく山積み本と仲良く並んでた。机につっぷして閉館まで寝てたこともあったし。上の方の本が取れないんで梯子貸してくださいって言ってきた時の恥ずかしそうな悔しそうな顔は笑えたなあ。

「……何で消えないの」

そう小さく小さく呟いた。隣に座っていたおばさんが不審な目で私の方を見る。私はごしごしと落書きをこする。彫っちゃってあるんだから消えるわけないのに。この落書きみたいに、あの子はなかなか私の中から消えてくれない。
不思議なことに、あの子と過ごした日々は幸せという言葉でしか言い表せない。いつだって笑ってた。別れの時でさえあの子は笑っていたから、私もつられて「また明日」とでも言うみたいに「さようなら」と言ってお別れをした。
脳裏を過る思い出たちはこんなにも鮮やかにきらきらしていているから、余計に胸を締めつける。下を向いて、だけど涙がこぼれないように瞼を閉じたけど、睫毛が不安げに震えている。

「すいません。もう閉館なんですが」

「ごめんなさい。あと少しだけ」

泣くのを堪えている雰囲気が伝わったのか、声を掛けてきた人は静かに私の背後に立っている。ただ残念なことに、涙は止まるどころか溢れてくるばかり。

「……俺の声、忘れちゃったんですか」

「そんな訳ないじゃない」

「泣かないでください……なんて言える立場じゃないですけど」

「ほんとにね」

「俺のせい、ですよね?」

「……素直になっていいなら」

「はい」

「会いたかった」

涙を溜めた瞳でエドワード君を見る。二人の間に流れる空気は、やたらとほんわり、ゆっくりだ。
そうして、やっぱり私は図書館は現実世界とは空気の流れが違うと思ったりするのです。

「俺も会いたかったです」

そう言ったエドワード君は、やっぱり笑っていた。





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主催企画「此処」に提出。
図書館という空間が大好きです。

タイトル、カブリオール

101003
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