水で薄めた水彩絵の具をこぼしたような空。この明るさを見ると、夏だなあなんて思ったりする。
机の間をくぐって影踏み。すとんと落ち着いた場所は松井の机の上。
ちょっと、借りる。
いつものような数列や英単語みたいな色気のないものではない、可愛い落書きでデコレーションされた黒板。と、チョークを握るみょうじ。

「お前一人でこれやったのかよ」

「違うよ。さっきまではみんなも居たの」

こっちを振り向くこともしないで、まるで事務的な会話をしてるみたいな言い方。
黒板の中央、でかでかと書かれた球技大会の文字を意味もなく見つめる。こんなことしたい訳じゃないんだけど。何となくゆったりとした放課後の教室に感化されてしまったのか。

「千昭くんはやっぱりソフトに出るの?」

「ん、あぁ。そうだけど」

「勝てそう?」

「わっかんねー。俺実際にちゃんとしたゲームしたことねぇし」

みょうじはそっか、と大して興味もなさそうに呟き、クラスの名簿を手に取った。白いチョークで名前の順に記されていくクラスメートの名前。
また、話しかけずらくなった。
決して達筆とは言えない字で紡がれる文字には不思議な魅力でもあるようで、あまり退屈だとは感じないけど。やっぱりその、二人きりなんだからさ。多少緊張はしてしまう。

「真琴っていう字、可愛いね」

唐突に響いた声に少しびくりと肩が揺れた。みょうじが握る白いチョークが真琴の「琴」を紡いでいる。

「可愛い、か。あいつには似合わない形容詞だな」

「じゃあ誰に似合う形容詞だと思うの?」

予想外の質問だった。当然だけど言葉に詰まり、微妙な空気が何だか重くて湿っぽい。
そこで初めて、みょうじと目が合う。
透き通った黒いビー玉みたいな瞳は、やっぱり俺のことなんかには興味もなさそうにぼんやりとこちらを見つめる。

「……言わねー」

落ち着かない手をポケットに入れたり出したり。いつの間にかみょうじはまた黒板の方を向いてしまっているし。
サッカー部のむさい掛け声や、軽音部が奏でるベースの低い音が遠くの方で響いているのが、妙に心地好い。それだけ穏やかな空間だということだ。この教室も、二人きりという状況も。
真琴や功介と居る時と同じ安心感。あ、でも二人と居る時とはまた少し違うかもしれない。
それを理解したのは、みょうじが間宮千昭と、ぽつり呟きながら俺の名前を紡いだ時だった。見馴れたはずの、呼ばれ馴れたはずの名前が、熱を帯びてじんわりと体内に染みていく。
蝉がうるさく鳴いている外は、うっすらと空が青くなって来ている。ああやっぱり、夏だ。
ばくばくと音を立てる心臓は気持ちよく痛くて、体じゅうの血管が変なリズムを奏でる。

「千昭くん、どうしたの?」

そう言われて意識が急にはっきりした。何を、ぼーっとしていたんだろう。

「悪ぃ」

「いや、あの……手」

繋がれた手。俺のと、みょうじの。
いつの間に、なんて言ったらわざとらしいと笑われるだろうか。でも本当に無意識の内だった。
この感じは何だ。浮遊感みたいな、おぼつかない感じ。少しずつ頭ん中が白くなっていく気がする。
俺は、手を繋いでいることに浮き足立っているのか? 嬉しい、のは確かだけど。
駄目だ。
これ、知らない感情だ。
「千昭くん?」

「……あー、その。続き書かせてもらい、たくて」

「クラスの子の名前の?」

「そう」

自分を落ち着かせるように、声に出さず「そう」と呟く。何度も。
離れた二人の手。
手を繋ぐって行為はもっと恥ずかしいものだと思っていたけど、違ったかもしれない。
そんな青々しい感情うごめく俺の心じゃない。もっと心の深いところで、大切な感情が動き出している気がするんだ。
やっぱりまだ、名前は解らないけれど。
「頑張れ」って赤いチョークで書かれた文字がやたらと脳の隅っこら辺にちらつく。明日、ホームランの一本くらい飛ばしてやりたいなァ。


放課後、空中遊泳




*****
中学校の時は行事の度に黒板をデコレーションしたなあ、という思い出から。
クラスの子の名前書くのはもはや十八番でした。
そう言えば高校生になってからやってないや。

時かけキュンだわー。

100725
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