練習が終わり、ぐだぐだと着替えている他の奴らを放っぽってオレは早足で校舎の中へと向かう。約束の時間を大幅に過ぎてしまっているという罪悪感がオレの足を急かして、さっき拭ったはずなのに、また汗がたらりと額を伝っていくのが分かった。
下校時間10分前の今、校舎の中には人っ子一人見当たらない。静かな校舎内に自分の足音が異様に大きく響くことに、なんだかどきりとしてしまい、教室に近付くほど足音を隠したいという心理が働く。その理由は分からないし、きっと特に理由なんてないのだ。強いて言うならば静かな空間特有の緊張感のせいだろうか。
差し込む西日が廊下を赤く染めていて、暑い。
そうこうしている内に彼女が待っている教室の前に着く。心臓を落ち着けるように一呼吸おいたところで、なぜか付き合いたてのころを思い出した。ノスタルジック、っていうのか? 都合よくこの気持ちをそんなロマンチックな心情のように捉えてしまうのは、きっとこの校舎の雰囲気がいけないのだ。もう付き合って半年以上になるというのに、この静かな空間の緊張感が飛び火して少し緊張してしまっているとか、ださいなあ。
なんて自分自身に呆れていると、教室の中から彼女の声が聞こえてきた。小さいけれど凛とした、かすみ草のような声だ。

「はやく孝介来ないかなぁ」

教室の窓は下段が磨りガラス、上段は普通の透明ガラスになっている。閉じられた教室の戸に隠れ、窓からそっと視線を伸ばした。
彼女は指先でなぞるようにして、そっとオレの机に触れている。
少し寂しそうな、心許ないその言葉と横顔に、背筋がぴりりと引き締まる。エナメルを握っていた手がゆるりと力を失った。
廊下の窓越しに広がる夕焼け空。大きな雲が夏だということを実感させる。カラスが二匹その空を真っ直ぐ横切っていく。あのカラスたちも、今から家に帰るのだろうか。そんなことを考えてしまうなんて、やっぱり今日の校舎の雰囲気は体に悪い。
下校時間5分前を知らせるチャイムが鳴り、はっと意識がはっきりし、気を入れ直すようにまたエナメルを握る手にぎゅっと力を込めた。
また一呼吸おいてから、教室の戸を大袈裟な音を立てて開ける。彼女が一度大きく肩を揺らしてからこちらを見た。ぱっと穏やかな表情になり、自分の席に置いてある鞄を手に戸の方へと小走りでやって来る。

「先生が早く帰れって言いに来たのかと思った」

「悪りぃ、遅くなって」

「いいよ。練習お疲れ様。それより早く校門から出なくちゃ」

そして二人で急いで校門まで走る。今度は、さっきとは打って変わったように静かな校舎の緊張感なんて気にならなかった。二人でいる、ということはこういうことなのかと頭の隅っこで考えて、柄でもない、と勝手に恥ずかしくなった。
無事に校門を出たところで、まだ息の荒い彼女が「セーフ」と笑う。同じように下校時間ぎりぎりで学校から出てきた奴らがうじゃうじゃと道路に溢れていて、早くここから抜け出したいと思った。彼女も同じ思いのようで、周りの喧騒に眉をしかめている。別にオレも彼女も賑やかなのが嫌いなわけではないけれど、お互い今はそんな気分じゃないみたいだ。

「孝介、コンビニ行こうよ。アイス食べたい」

「いいな、それ」

そう言うと彼女は満足そうに笑った。自分のエナメルと彼女の鞄を無理やりチャリの籠に突っ込む。不格好な姿がちゃんと影にも反映されている。
コンビニに向かって歩き出そうとした時に、不意にカッターの裾を引っ張られた。

「二人乗りで行こう」

「なんで」

「そういう気分」

「やだよ、しんどいし」

「待たせたお詫びに、ね?」

したたかである。ここでオレが突かれて痛いところをちゃっかり手札として使ってくるなんて。
さっきの教室での彼女の姿を思い出したオレに勝算はない。
はいはい、と大人しく荷台を叩く。彼女はスカートを気にしながらそこに跨り、してやったりというような笑みを浮かべた。笑顔一つにしても様々な表情を持っているなあ、と改めて感心してしまう。
刻々と移りゆく感情を、表情を、隠そうとせずオレに見せてくるところが、分かりやすくて、可愛くて、いじらしくて、好きだ。
人の合間を縫ってチャリを漕いで行く。やっと人が少なくなってきた頃に俺の背中に掴まってきたことに、愛しい、みたいな感情が沸々と湧き上がってきて、オレは漕ぐスピードをぐんと上げた。


かげおくり




*****
久々に泉くんのお話でした。放課後の教室って、ありきたりなシチュエーションですが個人的にはすごく好きです。あの独特な雰囲気を持つ放課後の校舎がね、堪らないです。
こういう何気ないひとときが、強く二人の心に残ればいいよねってお話でした。多分。

タイトル、獣

120725
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