久しぶりの飲み会の楽しさのほとぼりが醒めやらぬ中、二人で暮らし始めてから幾度となく開けた扉を、音を立てないようそっと開ける。玄関ポーチからは、こんな時間なのにリビングから漏れ出す明かりが確認できた。まだ起きとんのか、と呆れながら靴を揃える。
起きているのだったら遠慮はいらないと思い、いつもの調子でリビングの扉を開けると、ソファの上で丸くなっている彼女がいた。その寝顔を見て、扉を無遠慮に開けてしまったことを後悔する。幸い、起こしてしまうことはなかったから良かったけれど。
寝室にコートを掛けて、淡いピンク色の毛布を持ってリビングへと戻る。この毛布は、去年の春に彼女が気に入って買ってきたもので、もう一年程一緒にこの家に住んでいる。一年前の彼女の言葉を、桜みたいやろ、という言葉を思い出す。そういえば、今日見た公園の桜は満開だったな。
彼女に毛布を掛けようとして、開かれたままの状態で彼女の手にやんわりと握られている二つ折り式の携帯に目が行った。

「しゃあない奴や、まったく。いっつもメールはほどほどにしぃ言うとるのに」

起こしてしまわないように、そっと彼女の小さな手の平を開く。不意にどこかのキーを押してしまったようで、真っ暗だった画面に光が灯った。画面上には未送信のメール。本能的に見てはいけないと視線を逸らしたが、時すでに遅く、そのメールの本文がオレの目に入ってしまった。結果、オレ宛のメールだったから支障がないと言えばそうなんだけれど、その内容に固まってしまい、息が詰まる。

『蔵、何時頃帰って来れますか?』

彼女がどんな思いでこれを書いたのか、そして、送信しようかしまいかどれだけ悩んだのか、そんなことを考えたらきゅうっと心臓が鳴った。
何を一人で不安がっとったんや? 送るの遠慮したのは何でや? 何で一人で泣いとったんや?
頬に残る涙の跡をそっと指で撫でる。既にカラカラに乾いてしまっているが、そこに残る寂しさや切なさは健在だ。毛布をぎゅっと握り直し、唇を噛む。
彼女の不安を消し去ってしまえるくらいに強く抱きしめたい。タイムスリップして一人で泣いている彼女の側に寄り添っていたい。そんな思いが堰を切ったように流れ出てくる。楽しかったはずの飲み会に参加しなければよかった、そう思ってしまう始末。仕舞いにはそこに在った涙を思って、一粒、もらい泣きだなんて。

「自分勝手でごめんな」

衝動を抑えて、静かに彼女の髪を撫ぜる。
すると、彼女が眉間にしわを寄せて、少し苦しそうな顔をする。俺は苦笑いしながら、そのしわをちょいちょいと伸ばす。さっきこぼれた一粒の涙が、桜色の毛布に落ちて染みを作った。








「蔵、おはよう」

「おー、おはようさん」

眠そうな半開きの目を擦りながら彼女が起きだしてきた。テレビに映る日曜朝の定番番組の右上に表示されている時間を見て、今日は少し寝坊しちゃったなあ、なんて呟いている。パタパタと可愛らしいスリッパの音を響かせて、それからオレのいるキッチンへと顔を覗かせる。ひょこり。その姿が彼女の寝起きで跳ねた髪とそっくりで微笑ましいなぁ、なんて思ったり。

「朝ごはん作ってくれてるの? ありがとう」

「朝ごはんと、ついでに昼ごはんも」

「昼ごはん? なんで?」

「二人でお花見行こ思て」

「……なんで急にお花見?」

チンッ、という音がしてレンジがその動きを止めた。中からほかほかのブロッコリーを取り出す。ラップを取って立ち昇りはじめた湯気の向こうに、依然不思議そうな顔をした彼女が見えた。

「昨日公園で見た時桜がもう満開やったから。あと、二人で最近出掛けることなかったやろ? 寂しい思いさせとったんちゃうかなーって」

昨夜のあのメールを見たことは言わない。あくまで昨日の彼女の涙の跡は知らないふり。白々しくそんなセリフを吐くオレはずるい、なんてことは分かっている。
それでも、オレの言葉を聞いた途端まさしく花が開くように笑顔になった彼女を見ていたら、そんな罪悪感さえ浄化されてくような気がした。本当に自分に都合いい言い分なんだけれど。
青々としたブロッコリーをおかずたちの隙間に詰め終わり、弁当箱の蓋に手を伸ばしたが、それは横からさっとかすめ取られた。彼女の手によって弁当箱の蓋が閉められる。オレの肩にも届かないような高さから弾んだ声が聞こえた。

「ほんと久しぶりだね、そういうの。嬉しい」

そう言ってとびきりの笑顔を見せる彼女がとてもとても愛しくて、昨晩の衝動がまた沸々と抑えきれなくなってきて、彼女を腕の中へと引き寄せた。彼女は一瞬驚いたのか身を固くしたけれど、やがてオレの腰にぎゅっと腕を回してきた。その柔らかい髪を梳くように撫ぜる、今度は彼女に安心を与えられるような強さで。
すると、より一層抱きついてくる力が強くなって、昨日の彼女が思い出された。少しでも彼女の寂しさや不安を軽くできただろうか。これで罪滅ぼしになったとは思わないけれど、少なくとも今彼女は笑っているから。

「食パン焼く方がええ?」

「うん、焼いてほしい」

「了解。じゃ、顔洗って着替えてき」


花も恥じらう春を見よ


*****
約一年ぶりにこんなにがっつりとお話を書きました。執筆期間三ヶ月とか……。前の感覚がいまいち戻ってきていないので、出来は悪いですが、楽しんで読んでいただけたなら幸いです。
お借りしたタイトルがすごく気に入っています。このタイトルにふさわしい甘々なお話にしたいと思ったのですが、いまいち甘々になりきらなかったですね。
しかももう夏になりかけの季節に……。

タイトル、獣

120628
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