「なまえと菅井くんは平行線みたいな関係だね、って友達に言われたんだけどどういう意味か分かる?」 60センチメートルくらいを飛び越えて窓からオレの部屋に入ってくるという行為を、幼なじみのこいつは何度言っても止めようとしない。 そうやっていつものように部屋に侵入してきたみょうじは、これまたいつものような口調でそう口にした。頭も察しもいいオレは、その意味が一瞬にして理解できてしまって、柄にもなく動揺してしまった。 ただ向かい合っているみょうじは本当に何も分かっていないので、何だかこっちだけが舞い上がっているような気分になって、悔しい。 「……オレもよう分からんわぁ」 さらりと嘘をつく。 みょうじは大して気にする風でもなく「ふうん。あ、そう言えばさ」と言って、置いてあったサックスのケースの金具をいじりながら、またしょうもないことをペラペラと話し出す。適当に相づちを打ちながら、頭の中では自分の中にひっそりと住み続けているくすぐったいモヤモヤした感情について考えていた。 初めてその感情に気付いたのはいつだっただろうか。少なくともそんな風に考えるくらいには昔のことだった。 すくすく成長するでもなく、かと言ってしぼんでいく訳でもなく、その感情は定位置から一歩も動かずオレの中に静かに存在してきた。たまに少し高鳴ったりしたりしながら、静かに静かに胸の奥の方で息を潜めていた。 この感情が幼なじみというオレとみょうじの関係を崩そうとすることは今までなかったし、どうにかなりたいと思っていた訳でもない。 ただ時々無性に触れたくなったりするときはあった。でもそんな時はみょうじの部屋の窓を叩いて、ライターでも借りて、煙草なんて止めなよと憎まれ口を叩かれれば不思議と満たされた。 「それでね、友達が菅井のとこのボーンの人……由利さんだっけ? が好きらしくて」 「あー、あいつは止めといた方がええで。めんどくさい」 好き。 それに似た感情であることは認めるが、言い切るには何かが足りない。その何かが分からないから十数年も前から二人の間のこの距離は変わっていないのだと思う。 正直こんなくすぐったくてモヤモヤした感情を抱えておくのは何というか、気持ち悪い。解けない数学の問題を理屈も分からないまま無理やり理解した時みたいだ。 オレは数学の答えみたいなはっきりしたものが、欲しい。 「あー……なあ、そこの煙草取って」 「えー。前から言ってるけどさ、いい加減煙草止めようよ。パートの早乙女さん見習った方がいいよ」 「矢乙女、な」 「そうそう矢乙女さん。ていうか菅井止める気全然ないでしょ」 「あるある」 「変わろうと思えば変われるもんだよ、人間って。菅井は根性が足りないよね」 ぶつぶつ小言を呟く彼女を他所に、オレは彼女の言葉が例の感情にスッと染みていくのを感じていた。 動かなければ、動かさなければ、この感情が分からないままだということは確かなんだ。だって今までの十数年間がそうだったじゃないか。 「……じゃあみょうじの前では吸うの止めるわ」 「そんなの、私が菅井のそばにいる時なんてほんのちょっとだけじゃない。意味ないよ」 「うん。せやから出来るだけ長い間オレのそば居ってえな」 とりあえず、どうなっていくかは分からないけれど、屈折してみよう。みょうじの方に。 この判断が間違っていたと感じたなら、今度は反対側に屈折すればいいだけの話だ。 二人の直線が交わるか、今よりも距離を狭めたところでまた平行を保つのかは分からないけれど、屈折の第一歩であるさっきの発言を聞いたみょうじが頬を赤くして、弱々しく「分かった……」と呟いた姿を見る限り、幸先は悪くない。 開花するまなざし ***** ヒ ビ キ ノ / B B というWeb漫画のキャラの菅井くんでした。面白いので是非読んでみてください。 授業でユークリッド幾何学という単語を聞いて、それを色々と調べるうちに着想を得たお話でした。結果あまりユークリッド幾何学に関係ないお話になってしまいましたが…。 タイトル、獣 110825 |