「千歳くんは右目がほとんど見えないんでしょう?」

確かにそうだ。けれど見ず知らずの人にそのことをはっきり指摘されるのは気分のいいものではない。微かにしかめた眉に気付かれていないことを願う。

「私はね、左耳がほとんど聴こえないの」

淡々と、今日の朝食はパンでしたとでも言うかのように打ち明けられた事実は、あまり聞き慣れたものではなくて咄嗟に言葉なんて出てくる訳もなかった。

「不完全な世界に住む同士仲良くできると思わない?」

「っ……俺は!別に右目が見えんこつで世界が不完全に見えとるなんて思ってなか!」

「一つの感覚器官が不完全なのよ。見える世界が、聴こえる世界が不完全であることは当たり前じゃない。千歳くんの言ってることは所詮綺麗事なのよ」

苛ついた。まるで今見えている世界が虚像だと言われているようで、自分を否定されているようで。何故今会ったばかりの相手にこんな嫌味を言われなければならないのか。
それと同時に目の前の彼女がそこまで自分の聴こえている世界に後ろめたさを感じていることを哀れに感じた。と言えば失礼なのだろうが、確かにそれに似たものを感じたのだ。所謂同情ってやつ。何があって彼女はそう思うようになったのか。それを知りたいというのが俺が彼女の側に居ようと思った唯一無二の理由だ。決して、自分の世界がくすんでいるだなんて思ってはいない。断じて彼女と自分を重ねた訳じゃない、似た者同士の馴れ合いのつもりなんかじゃない。自分に何度も言い聞かせて、俺は彼女の側にいることにした。そして今も、隣を歩いている。





「どうしたの?」

「え?」

「急に黙って」

「すまん。ちょっと昔のこつ思い出しとったばい」

「昔?」

「出会ったころのこと」 

「何だか千歳くんらしくないね」

俺だって昔のことを思い出すことくらいある。言いたかった言葉は彼女の何とも言えない目に気圧されて出てこなかったけれど。まあそれで良かったのかもしれない。彼女は口がやたらと達者で、言い合いにでもなれば俺に勝ち目はないからだ。

「しっかり前見て歩かなきゃ怪我するよ?」

「大丈夫ったい。しーっかり見えとうよ」

「片目なのに?」

茶化すように、俺をわざと刺激するように無邪気ぶって言い放たれたその言葉は、ふわふわ宙を舞って、それからズドンと俺の心に落下した。
彼女が俺を試していることはここ数ヶ月の付き合いの経験から分かった。だから笑ってごかます。そうしたら彼女は膨れっ面をするけれど、それもいつものこと。
セーターから少しだけ覗く指を意味もなく弄っては頻りに髪の毛を耳に掛けたり、下ろしたり。夕日でできた影が不恰好に動いている。
俺は知っている。これは彼女が構ってほしい時の仕草だと。数ヶ月一緒に過ごし、俺は彼女に左耳の難聴をそんなに引け目に感じさせるものは多分「寂しさ」なんだろうと気付いた。
寂しいから、人と距離を置く。寂しいから、人と違うところをアピールしてみる。
寂しいから、わざと誰かの気に障るようなことを言う。寂しいから、構ってほしい。
彼女の不器用な存在主張は、本当に複雑なもので並大抵の人間には伝わらない。けれど実際は至極単純なこと、本当はただ誰かが隣にいてくれれば満足なんじゃないだろうか。
それに気付いた時に俺の中で彼女に対する気持ちはもそもそと動き出した。恋、なんて言葉で収めてしまうには勿体無いような感情。静かに静かに溢れてくる愛しさは山奥の源泉のようだと思う。

「なまえ」

「なに」

「こっち、俺の右に来なっせ」

さっきの「なに」という返事も今の怪訝な目も、なまえが不機嫌なことしか教えてくれないけれど、こいつを愛しく思ってしまっている今の俺にはそれさえ可愛く思えてくるのだから、自分で自分に呆れてしまう。

「言われた通り右に来たけど……何なの一体」

「ふふ、こうしておけば二人で一つになれるばい」

「……何言ってんの。一心同体って意味? 馬鹿じゃないの?」

「なまえの左耳が聴こえんこつは俺の耳が聞く。俺の右目が見えんこつはなまえの目が見てくれる。それで二人で補いながら生きていけば、もう不完全な世界に住んどるなんて引け目感じんでよか世界になるばい」

な?と彼女の目に微笑みかけたら、その目に水分がじわじわと滲んでいった。それを隠すように顔を反らす行動がまた彼女らしい。きらきらしていて綺麗だ、なんて言ったらきっと怒るんだろう。



独りぼっちなら世界は綺麗に腐った色



*****
途中から訳分からなくなった……

タイトル、3/19

110213
修正 110705
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