▽いまのままで。


空は朝から灰色で、ひっそりと静かにそこにある。下校を報せるチャイムが反響してそのまま空に吸い込まれていった。帰りにケーキを食べに行こうとはしゃぐ生徒も、今日は早く帰ってテレビを録画しなきゃと焦る生徒も、手を振りながら学校を出て行く。その喧騒も、いつもより静かに感じるのは曇り空が音を吸収しているからだろうか。

三宅は一人きりの教室で溜息をついた。女子校を清純なものだと思い、憧れを抱く男の子もいるらしいけれど、そんなの幻想だ。現に生徒が帰ったあとはお菓子のゴミや片方だけ置き去りにされた靴下が、何の恥じらいもなく投げ出されている。

「黒ちゃん、遅いなー」

小さく声を出してみる。黒ちゃんとは、三宅の友人である黒木の愛称である。ショートカットで長身、それに加えて爽やかな笑顔を持つ彼女は女子校では所謂王子様的な存在で、今日も下駄箱には年下の女の子からのファンレターが入っていた。それだけに飽き足らず、挙句の果てには告白を匂わせるような呼び出しの手紙まで。

放課後、すぐ戻ってくるからと言って出て行った黒木を待ち始めてから四十分が経過している。黒木はどこで何をしているのだろうか、女の子といったい何を話しているのだろうか。そわそわと三宅は両手の指を絡めた。

「帰ろうかな・・・」

時計の針がまた一つ動いたのを見て、二度目の溜息をつく。その時、廊下を走る軽い足音が聞こえて教室の扉が開いた。

「ごめん!遅くなった!」

ばたばたと駆け寄ってきた黒木はそのまま三宅の頭をいつものように軽く撫でた。

「いい子にしてたか、ミケ」
「遅いよー!」
「悪かったよ。今準備するからちょっと待っててな」

三宅は頬を膨らませて言う。やっと黒木が帰ってきてくれた事への安堵と、何をしていたのだろうという不安で妙に落ち着かない気持ちになった。

自分の鞄の中に僅かな勉強道具を詰めている黒木が、ふと三宅の表情を見て怪訝な顔をした。

「何かあったのか?」
「え?」
「ここ、しわ寄ってるぞ」

黒木がとんとん、と自分の眉間を指差す。無意識のうちにしかめっ面をしていた三宅は慌てて眉間を手でおさえた。

「な、何もないよ!」
「そんな嘘つくな。言えよ」
「嘘じゃないよ!」
「言えってば」
「・・・黒ちゃん、怖いよ」

黒木がじっと顔を見つめた。三宅はその真剣な表情に萎縮して俯く。さっぱりとした性格の黒木がどうしてこんなに固執するのか、その理由が三宅にはわからなかった。

「朝から、ずーっとそわそわしてんじゃん」

違う。そんなことない。
言い返したいけど、喉がひっついたみたいに声が出ない。黒木に届いた手紙が、いつもみたいにハートマークがたくさん書き連ねられたファンレターじゃないことは、一目見てすぐわかった。白い清楚な便箋に綺麗な文字で学年と名前、それから「校庭の花壇の前で待っています」とただそれだけ。女子だけの世界に閉じ込められた故に生まれる同性への仮初めの憧れが渦巻くこの学校で、その手紙はあまりにも真剣だった。
本当に好きなんだ、黒ちゃんのこと。

第三者の三宅が見ても明白な思いだった。そして、その手紙を見た黒木の表情が一変したこともまた明白だった。普段ならば、手紙を乱雑にポケットに突っ込むだけの黒木が、その手紙だけは鞄に入れた。そして授業中も休み時間もずっとどこか上の空で、何やら考え込んでいる様子だった。

確かに三宅は、黒木のその様子にずっと不安を覚えていた。それは、反論することのできない事実だった。

「言えよ、何でだ?」
「わかんないもん」
「この手紙のせいじゃないのか?」

鞄から取り出された一枚の手紙。それを見た瞬間に三宅の顔が、泣きそうに歪んだ。

「違う!」
「違わないだろ」
「だって・・・」
「ヤキモチか?」

俯いた三宅の顎を持ち上げて、無理矢理に視線を合わせる。三宅は一瞬怯んだが、唇をぎゅっと閉じて黒木の眼を睨んだ。

「ちがうもん!」
「ミケの嘘つき」
「嘘じゃないってば!」

「頼むよ」

探るように目の奥を覗き込んでいた黒木の強い視線が不意に緩んだ。そして、珍しく眉毛が八の字になる。

「頼むから、言えよ。嫉妬だって言えよ」
「ど、どうしたの?」

泣きそうにすら聞こえる弱々しい懇願の声に、三宅は面食らった。黒木の意図がわからずに混乱する。そして、無意識に黒木の頬に手を伸ばしていた。

「泣かないで、黒ちゃん」
「泣かねぇよ」
「私ね、黒ちゃんが他の子に取られたらどうしようって不安だったの。黒ちゃんは私の大切な友達だもん」

暫く見つめ合うと、黒木の肩からふっと力が抜けた。そしてその肩がふるふると震え出す。

「あー、お前って本当に馬鹿だよな」

声を押し殺して黒木は笑っていた。

「な、何それ!笑わないでよ!」
「ばーか。ばかミケ」

久しぶりに見たような気さえする、漸くの黒木の笑顔に三宅は頬を膨らませながらも目を輝かせた。そして自分の鞄を手にとると、早足に教室の扉の方へと歩いていく。

「もう黒ちゃんなんて置いて行くから!」
「おい、待てよ!ごめんって!」

二人はばたばたと教室を出て行った。空にはまだ大きな雲が居座っている。その雲の僅かな隙間から、太陽の光がキラキラと零れていた。








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