ダメだよ

※「いけない」の続編










 藤くんはいい子だ。しっかりしているし友達にも優しいし堂々としているし、女生徒から人気があるのも頷ける。保健室に生徒の出入りが増えたのも確実に藤くんのおかげだ。人を惹き付けるのに干渉は苦手らしく他人との距離を取る彼が、僕を頼ってくれた。ただそれが嬉しかった、3日間。落ちてきた医学書はオスグッド病(※成長期の男子に多い骨端症)についてのものだった。痛みが長引くようなら早急に整形外科の受診しなければならないと、詳しい知識を仕入れたのだ。それだけ藤くんが心配だった。いつも藤くんが保健室に寝に来ない日は寂しかった。藤くんは口に出さなかっただけで実は気持ち悪かったんじゃないか。気まずさから目を合わせなかったんじゃないか。疑念が膨らむ。
 目の前が真っ白だった。塩化ビニールタイルの床に落ちた紙を瞳は捉えているのに認識出来ず拾えない。指は震えて力加減ができず紙にくしゃりと皺を作ってしまった。それでも上手く拾えず指先は紙の表面を掻いた。
「何してんだよ。」
 頭上から声が降った。俯いて紙に視線を取られたままの僕は瞳孔だけ揺らす。声の主は僕の前に同じように屈んで皺の寄った紙と散らばった紙を纏めた。連絡の鈍い首を持ち上げれば声の主を藤くんだと知った。否、声でわかっていたけど瞳に映すまで幻聴である可能性を否定できなかった。
「起こしちゃった、ね。ごめん。」
「いーよ。まだ寝てなかったし。」
 健康的な手が紙とファイルを重ねてデスクに置く。ページが開いて床に落ちた医学書にその手が伸びる。内容を藤くんに見られたら些か恥ずかしい気がして慌てて医学書を拾おうと手を伸ばせばひび割れた不健康な手が藤くんの温かい手と触れた。心臓が酷く動揺して息が止まる。
「先生。」
 藤くんは目の前。二人して同じ物に手を伸ばした所為で距離が近い。呼ばれて瞳だけ手元から藤くんに向ければ藤くんは真っ直ぐ僕を見ていた。藤くんは話す時は目を見るから、きっと何か言うんだろうと思ったけど何故か目を合わしていると息が苦しい。指先は緩やかに重ねられ本と藤くんの手に挟まれる。ブラウンの深い瞳が濁色の僕を映して丸い。視線が真っ直ぐぶつかった数秒が永遠に感じる。歪みのない汚れのない淀みのない少年だった。存在するだけで美しい、真っ直ぐな生徒だった。僕は果たして教師として大人として上手くやれているだろうか。生徒を藤くんを歪めていないだろうか。処理が追い付かない脳ミソを置いてきぼりに藤くんの顔が近づく、瞼が伏せられて息が掛かる。柔らかそうに厚みを持った唇があと数ミリ。言い訳する方が人間として大人として教師として見苦しいだろうか。
「…オレ、今日は帰る。」
 触れる寸前で唇は止まり、藤くんは伏せていた睫毛を持上げ逸らす。手は離れて立ち上がり、背を向けた。僕は乾いたままで動けず、藤くんの背中は遠退いて扉を抜ける。ぴたりと閉扉されれば保健室には養護教諭である僕しか居なくなった。
 触れた指先は春の体温が残ってじんと熱い。触れなかった唇は死んだ様に冷たい。
「   …。」
 空白に名前を、そしてその後に許されない気持ちを心で唱えて静かに瞳だけが濡れた。







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