解す

※「拒絶を伴う」の続編。










 沙織先生は生徒に人気の先生だったから集会の後は人集りが出来ていた。オレはあれから保健室にも行っていなかったし正直怖かった。初めは体験自体が不快だったが時間が経ちそれよりもあのオレの反応を沙織先生がどう捉えただろうと思えば頭が痛かった。人集りの隙間から沙織先生と目が合えば一瞬悲しそうな顔をしてから唇だけで「ごめんね」と言われた。オレは背を向けて教室に戻った。頭が痛くて堪らない。
 新しい養護教諭は冴えない男だった。若いクセに弱々しく、白い肌に入ったヒビや濡れたような髪が不気味さを強くして保健室には人が寄り付かない。保健室へ行くことを周りが渋る中オレは沙織先生が居なくなった事で保健室に行きやすくなった。あの頭痛は鈍い重さに変わって世界が汚く見える。もしかして大人になると言うのがこういうことならセックスを女教師と保健室で、なんてベタなAVみたいなことはしなければ良かった。

「藤くんは何か悩み事でもあるのかな。」
 保健室に通うようになって1週間。二度目の月曜日を向かえて養護教諭の派出須逸人が聞いた。
「…急になんだよ。」
 眠る気満々でシーツを引き寄せた所で派出須は仕切りのカーテンから首だけ出していた。不気味な瞳が俺を捉えてにやりと唇が怪しく笑う。まるで生首だった。そういう無意識の振る舞いさえ不気味さを演出できるのは派出須の才能だと思う。起きていたから少し胸が跳ねた程度で済んだが寝起きだったら叫んでいただろう。
「体調が良くないって保健室に来るのに眠ってないときもあるみたいだし、気になって。」
 派出須が心配そうに言うが眉なしの仮面顔は怖いだけだった。
「取り敢えず首だけ出すのをやめろ。」
 言われてから派出須ははっとしてどこか嬉しそうにカーテンの中に入った。誰も入っていいとは言ってなかったけど生首よりはマシだと思って体を起こした。
「体調が悪いのはいつから?」
「…ずっと。」
 サボる理由が半分の体調不良にまともに答える気が起きずぼんやり答えた。つーか、普通にサボりだってわかるだろ。
「あまり長いならお医者さんにかかった方がいいし…どういう風に悪いの?」
 心配の色を濃くして聞く派出須にアホかと溜め息を吐きながら、沙織先生はサボりとわかっていながらオレを寝かしてくれたなと思い出せばじりと頭の奥の重みが増した。
「頭、」
「頭?」
 言いかけて口をつぐんだ。こんなこと言って何になるんだ。自分に呆れる。後頭部がじんわり熱く苦い。押さえて俯けば派出須は慌てて肩に手を添えた。
「痛いの?」
「…。」
 見掛けこそ不気味だが優しい養護教諭の派出須も例えばオレが女生徒なら抱いてしまうのだろうか。
 婚約者がいて、妊ってたのに、オレの上で腰を振って、まるでオレを見ず、オレの事なんて考えないで、あんなキスしたことなかったのに温度がなくて、オレと居たのに、オレなんてどうでも良かったクセに、謝りにも来ないし、慰めにも来ないし、オレを好きじゃなかったクセに。
「藤くん!」
「…ハデス。」
 いつも不気味な輝きを見せる瞳が蜜のように甘く澄んでいた。
「大丈夫?痛み止めを飲むかい。」
 目の前の派出須の瞳も見えてる筈なのにぼんやりと間にフィルターがあるように感じて覚束無い。肩を掴む腕を握って顔を寄せる。
「オレさ、一生一人なのかな。」
 脈絡のない発言に派出須は少し黙ってからオレの腕を握り返して床に膝を着いた。
「そんなことないよ。…どうしてそう思うのかな。」
 いつもは不気味な低い声が穏やかに響く。耳まで遠くて全身がオレのものじゃないみたいに鈍い。
「無理なんだ。人間が気持ち悪い。」
 腕を握る手には温度がなくて目の前の養護教諭は生きているかさえ疑わしい。あの女教師は生暖かくて生臭かった。他の人間だって似たり寄ったりに見えて気持ち悪い。美作が女、女とうるさい事にも理解が及ばない。痛む頭には嫌悪感ばかりが滲んでしまう。
「苦しいの?」
 オレは頷く。誰かに話すつもりはなかったし話してはいけないと思っていた。背徳を楽しむ質ではなく負いこんでしまって苦しかった。
「気持ち悪いって思ってしまうけど、寂しいから苦しいんだね。」
 派出須の声は穏やかで知らない内に詰まっていた息を解した。その顔もきっと穏やかなのだろう。オレは俯いて視線を派出須の白衣に向けたままゆっくり呼吸した。
「藤くんは一人じゃない。それに大切な人を気持ち悪いなんてきっと思わないから大丈夫だよ。」
 派出須は優しく言ってオレの背を撫でた。大丈夫だよと繰り返した。派出須の手が声が、体に染み付いた粘液や喘ぎ声の記憶を薄れさせて行くように感じて瞼を閉じた。







091214
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