掴め

 とまるもゆくも、かぎりとて、
かたみにおもふ、ちよろづの、

 白く凍てた空気は抜けてあれだけ重宝した暖房器具がうざったくなった頃、受験ムードも去って自由登校が増えた。揃って近くの平凡な高校を受験したオレとアシタバと美作は労もなく合格通知を手にし、今更冬休みをしている様だった。堂々と休めるのだからと言って家に居れば親にあれをしろこれをしろと言われ逆に休まらないから自習する生徒しか登校しない学校に登校していた。結局は教室に留まらずに保健室に眠りに行くのだが。

「藤くんももう卒業なんだね。」
 派出須は花瓶の水を変えていた。綺麗な陶器の花瓶はこの保健室に派出須が来る前からあったものだ。健康体にも関わらず保健室をよく利用しているオレは派出須が来てからしか花瓶を視界に入れていなかった。沙織先生だった頃はあまり花が生けられていなかった様に思う。花瓶を丁寧に手洗いしながらしみじみと派出須は言った。
「卒業って言っても余り自覚ねぇよな。」
 冷えた流水があの長い指を傷めていないだろうかと思いながら未だはっきりとしない感覚を話してチープなキャスターの付いた丸椅子を軋ませる。茎を切って水吸いを良くした花を真新しい水を入れた花瓶にバランス良く生ける派出須はそういう物だよ、と大人らしい応えをした。綺麗に花が咲いた花瓶を部屋の中程に位置する棚の上に飾って白衣がその様子を眺めていたオレの側で立ち止まる。手近な事務椅子を引いて向かい合う様に座れば派出須は微笑んで見せた。
「藤くんが居なくなると寂しくなるな。」
 本当にそうだろうか。胸がちくりと痛んだ。確かにオレが一番の保健室利用者ではあるがこの一年と少し、派出須という不気味な養護教諭も次第に学校に馴染み生徒に受け入れられた様に思う。それは派出須の心根が優しく人格あっての事だ。オレが卒業してベッドが空けば他のサボり魔があそこを占拠するのかも知れない。派出須がそれを阻むとも思えず目の前の笑顔が残酷に見えた。
「手、冷えてんじゃねーの。」
 平気だよ。と間を空けずに返す派出須の手は死体の様に白い。その手に指先触れて見れば自身の温度を体感し、手のひらで包み込んで握った。細くて落ちてしまいそうだと思っていたのに骨がしっかりとあり皮膚のある手だった。藤くん、と少し困った声で呼ぶ派出須に反応は返さずに指を絡める様にしっかりと握り込んだ。
「大丈夫だよ、藤くん。僕は元々体温が低いから。」
派出須が生徒に手を握られた場合の教師としての対応をして微笑む。悔しかった。手は握り返されず派出須の手に健康的な肌色は馴染んでいなかった。
「なぁ、オレの名前って覚えてる?」
 コントラストがまるで違う世界に居ることを体現しているようで頬が熱る。握る力を強めればもう片方の死体の手が宥める様に重なった。重なっているのに、触れていないみたいに遠かった。
「覚えてるよ。麓介くん、だ。」
 こころのはしを、ひとことに、
 痛い。言えなかった。愚かしい感情だと否定していた。手の温度はオレばかりが熱くて伝わらない。優しい言葉が全部距離になる。頭が壊れてしまいそうに心臓が執拗に血液を流す。顔が焼けそうに熱い。
「派出須。」
 血液が果てなく巡っている。終わりなく身体中の管を通り熱が広がる。酸素を求める様に視線を上げた。逃がさない様にキツく手を握ったまま。金色の瞳は澄んでオレを映している。
「好きだ。」
 思った気持ちは消せなかった。消そうという選択肢はなかった溢れて声になった。授業が嫌でここに来たのか、家から逃げたくてここに来たのか、違う。居心地が良かった。声が気持ち良くてその笑顔が愛しかった。ずっと思っていた。
「…ありが」
「教師としてじゃなくて、誰より、アンタが好きだ。」
 教師として優しく生徒の言葉を受けとるそれを断ち切り握った手は離さない、まっすぐ見つめて逸らさない。
「派出須のことが知りたい。」
 金色は大きく見開かれて揺れた。陶器みたいな皮膚は固まったまま、唇だけがゆっくり開いてオレを呼ぶ、オレの名前ではなく、苗字を。
「藤くん。気持ちは嬉しいけど、僕は教師だ。」
「もうすぐ、そうじゃなくなる。」
「保健室に通い過ぎたからかな。卒業前で寂しくなってるだけだよ。」
「違う。」
「僕も昔、先生を好きになったことがあった。」
「違う。」
「落ち着いて、人を好きになるのは悪い事じゃないけど君は」
「違う。本気、なんだ。」
 言い切る。伝われ。
「だから、オレを嫌いならそう言えばいい。アンタの気持ちが聞きたい。」
 伝われ。

「…困ったな。藤くんは決めたら退かないんだね。」
 首を竦めて派出須が笑った。胸が痛い。オレは握った手をそのまま、空いてる腕を伸ばし薬箱から絆創膏を出した。外装紙を咥え開け中身を取り出し片手で剥離紙を剥いて握り込んだ手を広げさせる。傷もなく滑らかに長い薬指の付け根に絆創膏の綿が宛てて指のぐるりを粘着面で巻いた。
「…ごめんね。僕はこたえられない。」
 ズルい。応えられないんじゃなくて答えられないんだろう?
「高校に行けばきっと、変わるよ。」
 もし、変わらなければ?
 オレは手を離して溜め息を吐いた。呆れた。
「オレは、かわるけど…変わらないよ。」
 肌色を模した絆創膏さえあの肌には馴染まずコントラスト。さっきまで触れていた指の感触が消えない。

 さきくとばかり、うたふなり。






091028
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