白い密室(藤逸)
白い光の筋が洩れるカーテンに囲われたスペースの中で、夢を見る。遠く先を行く派出須を見つめるだけの自分。走るどころか歩いて追うことも諦めて茫然と立ったまま、呼びかけることもしないで。そうして、苛立ちながら目を覚ます。噛み締めた唇が、痛い。
「起きたの藤君」
静かに開けられた隙間から、本人が顔を覗かせる。淡い色素に目が眩みそうだ。
「元気そうだな」 「仕事があるから、いつまでも寝ていられないんだよ」 「どうせ俺かあいつらしか来ねぇじゃん」
それでもだよ、と薄く笑って会話が切れる。噎せるような臭いも暴いたはずの襟も元通りに直されていて、それこそ夢のように思えた。
「ちゃんと授業出るんだよ」 「分かってる」
痕跡など微塵も感じさせない清楚な首筋に、もう本能は揺れなかった。さらりと細く白い指がカーテンの向こう側に消えると、藤は脱ぎ放っていたブレザーに腕を通す。体温を少し奪われて、身震いする。
「あんたってさあ、餓鬼に犯されてなんも感じねぇの」 「感じないわけじゃない」 「じゃあなんで抵抗しねぇの」 「なんでだろうね、僕もよく分からない」 「自分のことだろ」 「きみは分かるの?」
椅子に腰掛けて、背を向けたままの派出須は紛れもなく大人の男だった。論理的に物事を処理出来る存在。藤がなりたくてもなれない人間。大きく、だがどこか頼りない背中は夢でも現実でも変わらない気がする。
「俺はあんたが好きだよ」 「好き、か」
否定、というか説き伏せる言葉が喉奥に待ち構えているんだろう。青さとか、未熟さは承知している、受け入れる気持ちはちゃんとある。沁みる痛みは怖いけれど。
「執着とか独占欲とかと混同している可能性があるでしょう」 「恋愛感情ってそういうのひっくるめて言うんじゃないの?つーかそれがないと恋愛にならねえと思う」
その2つに守りたいとか傍にいたいとか触れてみたいとか甘えたいとか甘やかしたいとかいろんな感情が湧くのだ。確かにこの胸に。そんな誰もが傷だらけになるような剥き出しの感情じゃない。大人のくせに、経験が、藤より早く生まれて時間もあるのに、何故理解してくれないのだろう。というより派出須が複雑に考え込む質なだけだ、多分。
「虚しいよ、あんた」 「自己犠牲と言いたいの?」「違う、あんたのは臆病だ」
なんだか泣きたくなってきた。まだまだ世界を知らない藤でも分かることが、目の前の男には伝わらない。
「…藤くんといると、苦しい。あんまりきみが眩しいから」 「言い訳だ、そんなもん」 「そうだね、怠惰の言い訳だ」
丸まる背中が弱々しく震える。先に泣いたのは派出須のようだ。ぱたぱたと内履きを鳴らしながら近づいても、隠したり逃げる気配は無い。前に回り込んで、頭を抱えるように抱き寄せた。
「みっともないな」 「みっともないついでに泣き腫らせばいいんじゃね」 「ふふ、涙引っ込んじゃった」 「つまんねぇの」
ふたりして少し歪んだ顔で、笑い合った。少なくともあの夢は見ないだろう予感がして、安堵する。
「で?あんたは俺のこと好き?」 「うん、ちゃんと好きだよ」
単純なつくりの心が跳ね上がる。包む腕に力を込める。
「ごめん、痛かったろ」 「良いんだよ、気にしないで」
実のところ、許さないでほしかった。叱ってもらいたかった。傷になりたいって思いが無かったわけじゃないんだと叫びたくなった。そんなに隠し事はうまくない。きっと今の思いも含めて、そう言ってくれたんだと思う。酷いんだか優しいんだかよく分からない。
「大人って案外脆いよな」 「かもしれない、度胸が小さくなってしまうから」
難しいなあ、二重になった呟きが可笑しくてまた笑った。綺麗だと感じたまま、顔を寄せて頬にキスをする。あっという間に赤く染まった耳が、可愛いなあと思った。
END (宵恥智哉さんより)
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