足元に散乱するは、紙の束。
珍しくパソコンの画面のみに集中しているらしい男は、既に手に入れた情報に興味はないのか、プリントアウトしたものを辺りに撒き散らしているのだ。
ついこの間からやってきた彼の優秀な秘書ならばそれら整理することも簡単なのだろう。だが、それよりずっと前からここで働いている私であるが、それはあまりにも難しすぎるのだ。
その上この男は、私がそれらに触れることを拒否する。
触れば、厭味たっぷりな嘲笑を浮かべながら、例の如くつらつらと言葉を並べて私を遠回りに遠回りに罵倒するのだ。そもそもそんなことをするくらいなら私なんて雇わなければいいのに、と思っても口には出来ない。
私はこの男に、大きな秘密を握られてしまっている。

その時、男の手が動いた。
ぴくりと反応してしまうのはもう仕方なかった。この人の一挙一動がいちいち気になってしまうんだから。
それは机の上のマグカップに伸びて、止まった。
確か波江さんが帰る前に入れていたコーヒーだから、もう中身がなくなってしまっていたんだろう。



「折原さん、コーヒー淹れ」
「五月蝿い黙っててよね」



会話は打ち切られた。
心底興味なさそうに私を扱う折原さん。私はこの男が嫌いだ。嫌いだから、別に傷ついたりはしない。ただ、この男の方も私が嫌いなようだから、さっさとここからいなくなりたいとは切に思う。
飽きてくれればいいのに。
私の秘密なんか握ったって、なんにも起こらないっていうのに。
ソファに座ったら文句を言われそうで、壁に背をつけて床に座り込んだ。
住み込みを命じられている私は帰る家がない。
その通りの意味で、この男によって勝手に私の家は売り払われていたのだ。私の持ち物数点がこの部屋に届いていて、訊ねてみたらこともなげに言われてしまった。だから、私もあっさり受け止めるだけでショックは受けないようにした。
そんなものだ、考えるだけ面倒なこと。


昔、カラーギャングの抗争の中で、一人の男を殺してしまった。
くらくらして、息をするのがうまくできなくて。
そして、何よりも罪悪感から逃げられなくて。
震えながら、途中何度も吐きそうになりながら警察に向かう私の元に届いたのは、今思えば笑えてしまうほどに明るい無邪気な声。
折原臨也は、その瞬間から私を捕らえて放さない。
うまく手を回したらしい男は、私から罪の意識を剥がして逸らして匿って。何故そうしたかなんてわからない。とにかく男は私に死を許さず、でも罪悪感を定期的に胸の奥から抉り出してくるのだ。
そうしてこの男は私をここに縛り付ける。
この男の玩具という自覚はとうの昔からあった。



「…ああもう君のせいで集中力切れた。ねえ早く部屋いってくれない?」



くしゃりと髪を握って、男は私をその赤い切れ長の目に映した。
目が合うのは本日一回目。
しかしそれは喜ばしいことでもなんでもなく、両者にとってただ不本意な、欠片も意味のない行動だ。少なくとも進んで行いたくはない。

冷たくなった足を立たせて、小さく返事をすると廊下に出た。
何故か声が震えてしまったのは、あまりにそれが小さかったからに違いない。そうじゃなければ、理由などないはずだ。



「ねえ泣いてるのかな」



…これだからこの男は嫌いだ。
でも無視を決め込んで、決められた私の部屋に入りさえすれば、この男はそれ以上深入りしたりしない。そこだけは好ましい点だと思う。

扉を閉めるなりベッドに伏せた。
疲れた。今日は特に、昨日折原さんの帰りが遅くてほとんど寝てなかったから。
着替えるのすら億劫で。
瞼を閉じれば、体が急に重く感じた。もう今日は何もしたくない。波江さんに買ってきてもらった本は明日読もう。

でも何故か、私の両頬を冷たいものが滑り落ちていくのだけは止められなくて。
シーツが湿るのがわかる。閉じる瞼に力を込めたって、余計に溢れるばっかりで。こんなの知らない。要らない。
シーツを手繰り寄せて、力いっぱい握り締めた。そうでもしなきゃおかしくなる。
止まれ、止まれ、早く止まれ。
私は知らない。こんなもの、涙なんて流す理由どこにもないのに。



「……嘘」



ほんとうは、ある。

波江さんはいいのに私だけ拒絶されて、目なんて合わせてもらえなくて、無視されて、邪魔者扱いされて、でも逃げ出させてくれなくて。
私に気付いて欲しくなった。
だから飲み物や食事を用意したり、部屋が暗くならないよう帰りを待っていたりしたのに、あの人は私を無かったように扱う。

恋愛感情なんかない。
今までもこれからもずっとそうだ。そうであるはずだと、向こうも私も思っている。そうであるはずなのだ。
でもこれじゃあ、まるで恋だ。
ぼろぼろぼろぼろ溢れる涙は余計に止まらなくなって、握り締めたシーツの皺をじっと睨みつけた。



「…あ」



不意に、部屋に明かりが入った。
寝るつもりだから電灯は点けていなかった、でもこれは廊下から漏れる明かりだ。扉が開けられた、ということで。



「まだ寝てなかったん、だ」



頷くだけ頷いて壁側に顔を向ける。
見られちゃ駄目だ、見られたらこの男は容赦なくそこに刃を突き立てる。抉って抉って、それこそ死にたくなるくらい。
男は、すぐに部屋に入ってきた。元はといえば彼の部屋なのだから文句は言わない。まあ今はそれどころじゃないけど。



「泣いてたのかな」
「…それしかないんですか」
「だってシーツ濡れてるみたいだから」
「……プライバシーの侵害です」
「それはそれは、」



この男が嫌いだ。大嫌い。

なんで今、こういう時に限って無視しないのか。いつもみたいに言葉を並べて攻撃してこないのか。冷たくしてくれないの、か。
髪を優しく撫でないで欲しい。
黙らないでよ、卑怯者。



「早く寝なよ」
「わかってます」



彼の指先から伝わるこのあたたかさがもし愛ならば、私はどうしたらいいんだろう。
そんなことはありえない。
ありえないからこそ、想像してしまう。

嗚咽が漏れて、体が震える。
彼は何も言わない。
そして私の意識が途切れるその瞬間まで、折原さんは私の髪を撫で続けていた。










不器用なラブソングを

(まだ、君には届かないようだ)







10.04.29
 




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