「糞野郎」



言うと、女はけらけら笑った。
その姿を見る限りだと、ほんの半年前と何一つ変わらない。僅かに眉根を寄せる。ああでも、それに気づかないのはこいつが変わったからかもしれない。余裕、ねーんだなあ。



「安心して、ミツバさんと仲良くやるから」

「あァ」

「たまにでいいからなんか送ってね、おいしいもの」

「お前は武州のメシのがうめェっつってただろーがよ」

「あ、ばれた。じゃあ手紙送ってね」

「きもい」

「うんそう思う」



名前はそう即答して、くるりと俺に背中を向けた。ああ今はその背中が憎い。何よりも。

そこには、斜めに一閃いっそ鮮やかな程の紅が走っている。

路地にぶっ倒れていたこいつを拾ったのは山崎で、夜明け間もない屯所内はかつてない騒がしさだった。隊長でこそ無かったが、俺の右腕で斬り込みをやっていた名前。それが背中を叩っ斬られて、大量の血を流しながら倒れていたというのだから。
病院に搬送されて丸三日、傷のせいか高熱を出してうなされていた。何針縫ったか知らねえが、ものすごい数だったらしい。弱ったこいつを、笑わないこいつを見るのは数える程しか知らない。つかオタフク風邪ん時しか思い出せない。
なんとか回復して抜糸して、屯所で静養していた時、名前がぶっ倒れた。手足が痺れる、と細い呼吸で言われて、パトカーとばして病院行ったら破傷風だった。激痛にうなされながらもはっきりとした意識があった名前は、初めて「助けて」と言いながら俺に泣いて縋った。
結局、全快までは一年近くかかった。だが全快してすぐに、名前は真撰組を辞める事になった。「背中の傷は武士の恥だ」そう言った近藤さんに、名前はただただ深く頭を下げていた。近藤さんの頬を伝う涙も、畳に落ちる雫も、全て見ないふりをした。



「あー、総悟ぉ」

「なんでィ馬鹿女」

「紅葉がいい」

「…は?」

「去年、寝込んでて見損ねたから。縁側から見る紅葉めっちゃきれいじゃん」

「あー…写真ですかィ?」

「やだ」

「…まさかダンボール箱いっぱいに送れとかいうんじゃねーだろうな」

「あはは、それいいね!」



糞野郎は背中を向けたまま、楽しそうに笑った。やっぱりこいつは馬鹿だと思う。微かに声が震えているんだから、強がって喋らずに黙ってればいい。耐えられねえのかもしれねーが、けたけたと空元気で笑われるのも嫌なもんだ。
近藤さんは、もう二度と女は隊士にさせないと言った。破傷風のせいで、子宮が使いもんにならなくなったらしい。まああれだけ体中ぼろぼろで苦しんでいたら、助かった事が奇跡だろうが。こいつは、女としては生きられなくなった。ガキは産めねえし、背中の傷はあまりにでかすぎる。体中がたがたになっている今、隊士にもなれない。無駄に死ぬだけだ。
田舎に帰る、と言った名前は下手くそな笑い方で、俺は柄にも無く馬鹿な事を言った。瞬間、力いっぱい殴られた。だが俺の体は飛ぶ事もなく、後ろによろめいただけだった。その衰えを実感して、唇を噛んだ痕はまだしっかり残っている。そのまま、肩を押されるがままに体を倒してやって、こいつのしたいがままにした。首に手をかけられて、ありったけの力をこめられた。だが余計虚しくなるだけで、俺は目の前の涙の膜でゆらぐ瞳を見るだけだった。こんなんじゃ、ちっとも死ねやしねえ。いっそこのまま死んだ方がマシなんじゃねえかって俺の手も重ねたら、名前は今度こそ声を上げて泣きやがった。怒鳴って、叫んで、だから唇をふさいでやった。初めて、そして最後。

今この女は笑っている。それならいい。俺は、別にこの阿呆が笑っててくれるならそれでいい。たった一人、数年いた江戸を離れるにしてはあまりに少ない荷物を担いで歩く馬鹿女は、それ以来一回も泣いていない。だからそれでいい。こいつが笑っているなら。



「押し葉がいい」

「あ?」

「総悟の昼寝の枕の下で、押し葉。それがいい」

「…きめえ」

「たぶんもう一緒に居ることはないんだから、押し葉くらいいいじゃん」

「………そうですねィ」

「うんときれいな紅葉の押し葉、よろしく」



女はそれっきり喋らなくなった。声が震えていた事に気づいたんだろう。だがそこは馬鹿女、今度は肩が震えてらァ。それから視線を逸らして、肩を抱くなんて真似できねえから、その手を掴んだ。刀を振り回してた手はそこらの女よりごつごつしていて、でもずっと手に馴染んだ。しっかり握り込むと、名前は小さくありがとうと呟いた。嗚呼、お礼なんて。



「俺の右に立っててくだせェ、今度は一人の女として。」

「護ってやりまさァ」

「俺が責任もって幸せにしやす」




助けてやれなくてすいやせん。







「私より大切なものがある癖に、そういう事いうな…ッ」

110418
道場時代からの馴染み




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