《名前さん、今うちにいるよ》



新羅から受け取ったメールに動揺しなかったと言えば、それは嘘になる。

咥えたばかりの煙草がぽとんと不格好に路上に落ちた。ああ、火を消さねえと。ぐりぐりとそれを踏み付けながら、何回も何回もその短い文章を読み返した。



「……は、」



背骨が痺れているような感覚になる。
そう、まだ俺の体がこんなじゃなかった頃に、鈍器で殴られたあの感覚に似てる。体が化物じみているからこそ、精神的ショックにこんなにも弱いんだろうか。いやそんなはずはねえ。じゃあ、なんでだ?



「先輩絡みだからだろうよ…」



わかってしまえば余計気まずい。…ような気が、する。どんだけあの人に執着してんだ。さすがに自分が気持ち悪ぃ。
情けなくなって、新しく煙草を口に咥えた。火をつけて有害らしい煙を肺に取り込む。そのまま繰り返し何回か煙を摂取し続ける。吐き出した煙が宙を漂うのを見ながら、ようやく落ち着くことができた。
もう一度メールを読み返す。文面が暗記できそうなほど読んだメールの内容を、初めて考えてみる。

何で先輩が新羅のところにいるんだ。
六年間、どうしたってその存在の端すら掴めなかった人が、何で急に。

もう一度画面を見つめる。
疑いたくはないが、嘘かもしれない。わざわざこの日に限ってメールをしてきたのなら相当悪質だが、もしかしたら俺の目を覚まさせたいのかもしれない。
だがコレに関してはあいつも相当特殊だ、とやかく言われたくねえ。



…つーか、これはその、アレだ。
認めたくはないんだが。
俺は心底喜んでいるらしく、既に足は新羅のマンションに向かっていた。

嘘だったら傷つくのはわかっているのに、それは六年前で十二分にわかっているのに、あの人のせいでつく傷ならそれも悪くはないと思っている自分がいて。

煙と共に吐き出した溜め息は空に消えた。







鳴ったチャイムにセルティがびくりとあからさまに反応した。かわいい。首から上の有る無しは本当に関係ないと思う、セルティほど美しくかわいくて魅力的な女性はかつていなかったはずだ!



『おい新羅、たぶん静雄だと思うのだけど…出ないのか?』
「いや、今出るよ」



本当なら先輩に「お帰りなさいダーリン」くらい言わせて静雄の反応が見たいところだけど、生憎先輩はセルティの勧めでシャワーを浴びている。僕が言っても殴られるだけだから、特にこれといって何もせず普通に扉を開けた。

案の定立っていたのはバーテン服の男。
どことなくそわそわしていて、思わず笑いそうになったのを必死に押さえた僕の本能はとても優秀だ。



「やあ静雄、いらっしゃい」
「ん。…その、」
「とりあえず上がりなよ」
「新羅」
「ん?」
「………あいつは」
「ああ、名前先輩?いるよ」
「…嘘だったら殺す」
「友人を信じてくれないのかな」
「あー…。先輩、呼んでくれ」



え、自分で呼べよ。
だなんて流石に言えないしね、私もほら自分の命が惜しいからさ。でも呼ぼうにも彼女は今きっとシャワーを浴びているし、対面までは少し時間がかかるだろう。
落ち着きがなく煙草を吸う友人をちらりと確認する。これ以上待てるのかな。ていうか僕の家禁煙なんだけど。



「今はちょっと…もう少し待ってて」
「あ?」
「いやほらこれだけ待ったんだしあと少しくらい変わらないよねってごめんなさいごめんなさい怒らないでくださいごめんなさい僕が悪かったです」



僕はなんて静雄の青筋に優しいんだろう。
できるだけ働かなくていいようにしてあげているこの姿勢を評価してほしいよね。まあセルティ以外からの評価なんてもらっても意味ないんだけどさ。セルティにどう思われているか、それ以外に興味はない。
っていうかセルティ助けて。
それか早く先輩出て来てください、目に見えて平和島君がイラついてきているんだけど。どのくらいかっていうと、初対面の人間でもわかるくらいあからさまに。

振る話題もなく、泣きたくなるくらいの沈黙がしばらく続いて、静雄の煙草がマンションの廊下に落ちた。
ここまでマナーの悪い彼は初めてだ。恐らく相当焦っているんだろう。



「…………新羅」
「なに?」
「…今すぐ謝れば、許してやる」
「へ」



サングラスの奥の目が揺れた。
臨也ほどではないけど、それなりに人間の感情の動きとかは見て来た。特にこの男との付き合いは長い。だから、今の静雄が怒りより落胆に支配されているのを見破るのは、とても容易いことだった。

つまり、嘘を吐かれたと思ったわけだ。
俺が静雄をからかうにしろ何にしろ、彼に嘘を吐いたと。先輩なんていないと。



「…あのさあ静雄」
「なんだ」
「嘘とかではないからね」
「…まだいってんのか」
「だから先輩は」



背後で扉が開く音がした。それもリビングじゃない、もっと近くで。

訝しげにそちらを見た静雄が固まった。

それを見て大体察したけど、友人に疑われるという非常に不愉快な行為を受けたばかりの私は、あえてにっこり笑いながら振り向いた。



「新羅君、シャワーありがとー。ていうかやっぱり男の子はトリートメント使わないの?ちょっと髪パサパサする」
「先輩、お客さんですよ」
「え、もしかしてシズちゃん?」



頭からタオルを被ってわしゃわしゃとそれを動かしていた先輩は、そこでようやく人の家の廊下で水分を撒き散らす行為をやめ、タオルを肩の上に乗せた。
それからようやく、静雄が動いた。
その気配を感じて静雄を見れば、口を少し開けたままいわゆる間抜け面で先輩を見ている。動いたのは、サングラスを外したかららしい。

食い入るように先輩を見つめながらも、静雄は煙草を取り出して一本口に咥えた。
ほぼ無意識の行為だろう。
それを見て動いたのはやはり予想通り先輩で、眉根をこれでもかと寄せながら静雄に近付くと、その口から煙草を奪い取って、投げた。



「煙草は良くないよ」
「…せんぱ、」
「こんにちはシズちゃん」



先輩はいつも通り物怖じせずに笑った。
静雄の方はゆっくりと瞬きをした後に、心配させないでくださいとかお帰りなさいだとかボソボソ呟きながら、少し屈んで先輩を柔く抱き締めた。
さすがにその大胆な行動と人前でイチャつくなよという気持ちから、え、と思ったけど、その時の静雄の泣き笑いとしか言えない顔を見て、私は大人しくセルティが待つリビングに戻ることにした。
ハグは欧米じゃ挨拶だっていうしね。

次やったら絶対邪魔するけど。







10.05.12
 

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