シズちゃんち、という名のここは当然初めて訪れる場所だった。
極々平凡な普通のアパート、なんだかちょっとつまらないような。いやケチつけるわけじゃないけど。

そんなアパートで私は何故か半透明なスポーツ飲料を飲んでいた。

人の部屋に入っていきなりきょろきょろはまずいだろう、と案内されたリビングで大人しくソファに座った。ていうかシズちゃん、部屋煙草臭いよ。どんだけ吸ってんだ馬鹿め。そんなことを考えていたら、後頭部にもふっとした何かが当たって。タオル。頭を拭けという意味らしいけど本当に今更過ぎて、たぶん明日の私は鏡と向き合えないだろう。大爆発だろうからね。
で、そんなシズちゃんはペットボトル飲料かインスタントコーヒーしか自宅に飲み物がないらしく、コーヒーが飲めなくてペットボトルの紅茶が飲めない私に恐る恐るスポーツ飲料を勧めてきたわけだ。なんかちょっと懐かしい気持ちになる味だった。



「シズちゃんさ、お茶飲みたくならないの?甘いのばっか」
「コーヒーありますから」
「苦いか甘いかの二択なんだね」



スポーツ飲料独特の感じを味わいつつ、シズちゃんの様子を伺う。これ、おかしい。さっきっからくだらない会話しかしてないけど、新羅君とセルティが言うには私を相当心配してたらしい。何か聞かれたっておかしくないはずなのに。
少なくとも私の前からシズちゃんが突然いなくなって、その六年後なんかに帰ってきたら。…質問攻めやらなんやらでしばらく解放してやれそうにない。
私が心配性すぎるのかなあ、とまた半透明の液体を口に含む。視線だけ流して見たシズちゃんは、何か言いたげにそわそわしているわけでもない。ただ、普通にコーヒー飲んで座ってるだけだ。

…あれ。
ちょっとおかしくないか。
シズちゃんはこんな風にだんまりしちゃう子ではない。気を使える子だから、話題を振ればそれなりに張り合いのある返事をしてくれる。まあ六年間でより無口になったというなら別だけども。



「…あのさ」
「はい?」
「聞きたいことあったり、する?」
「ぶ、ふ」



シズちゃんがむせた。やっぱり気にしてたのか、とかわいい後輩の姿に頬が緩む。
少しは変わっているのかもしれない、私の知るシズちゃんから六年経ってるんだからと、ちょっと寂しく思っていた矢先。やっぱりシズちゃんはシズちゃんで、どうしていいかわからないととりあえず平静を装うらしい。きょろきょろ視線を彷徨わせていたのからだんまりとは、結構な進化であるけれど。

さて一方シズちゃんはと言えば、さっきまでの落ち着きはどこへやら、急にそわそわし始めた。煙草を取り出して、でも室内に自分以外がいることに気付いたのかすぐにしまった。コーヒーを飲んで、テレビのリモコンを手に取ると、ふにふにと電源の入っていないボタンを弄り出す。
あの行動がただの演技だったのかと思うと、やはり目の前の彼は急に愛らしい生物になった。髪の毛わしゃわしゃしたい。いや別にさっきの仕返しとかじゃないからね、断じて。…まあ少しやり過ぎちゃいそうではあるけど。へへ。



「いいよーシズちゃん、変にだんまりとかされた方が困る」
「…いや、」
「うん?」
「………先輩が話したい時にでも」
「いやいやそんな苦渋の表情で言われても説得力ないからね。そうだなあ、私が話したい時はかわいい後輩に聞かれた時かな」
「う、」
「さあどーするシズちゃん」



自然とによによ緩む口許はそのままに、少しだけ身を乗り出した。
だって眉間に皺を寄せて考え込むシズちゃんはなかなかに男前で、なのにかわいくて、思いっきり抱き締めたいなあなんて思う。昔近所にいた犬のようだ。
もぞり、と居心地悪そうに動いたシズちゃんは、微妙な表情のまま優しくぽふりと私の頭に手を乗せた。



「シズちゃん、いーよ?」



飛び切りの笑顔を見せて、どういう風に答えようかと少しだけ悩んでみる。まあどう話したって信憑性はゼロだろうけど、ほら、私だって人間だしやはり疑われたら傷つくのだ。できれば信じてもらいたい。
すう、と酸素を肺に取り込む。とりあえず落ち着いて話そう。サングラスをとったシズちゃんの色素の薄い瞳に映されると緊張するのは、もうどうしようもないことだろうけど。



「あの」
「…あ、なに?」
「あー…どこから聞いたらいいか、よくわかんねえ…」
「悩め、少年」
「もう大人っすよ。あ」
「ん?」
「先輩、あんまり変わってないですね」
「そりゃね、変わってないもの。だって私が最後にシズちゃんに会ったのは一昨日とかだし。コンビニでばったり。その前日も一緒にゲーセン行ったから」
「…どういう」
「あんまり信じてもらえそうな話ではないんだけどさ、私もまだ認めてない節あるから。まあにわかには信じられないことなんだけど」
「…どう思われてるかは知りませんが、俺は普通に先輩の言うことなら信じますよ」
「何それ、嬉しいこというー」



あああもう、なんていい子なんだろう!
ぼそりと呟くように言ってくれたその言葉に、もはや感動すら覚える。ありがとうシズちゃんのご家族。ありがとうシズちゃんの友人及び知り合い。こんなに純粋にここまで育ててくれてありがとう!20代も半ばの人間だとは到底思えないピュアさ。もはやピュアピュア。
さて、シズちゃんのピュアさを十分に理解させていただいたところで、脱線した思考を本来進むべき方へ戻す。



「シズちゃんあのさ」
「はい」
「私、六年前からタイムスリップしてきたんだと、思う」



いつも力を込めて握られている指先から力が抜ける、まあそんなの私にはお見通しだから重力で床に叩き付けられそうなコーヒーinマグカップを素早く彼から奪った。危ない危ないっと。
ぽかんという擬音がまさしく似合うその表情がみるみるうちに変わって、困ったようにくしゃりと笑った。



「先輩」
「信じる?」
「んなもん当たり前っすよ。さすがにちょっとは驚くけどよ、別にセルティとか見慣れてるしな」
「嘘ついてるとは思わない?」
「先輩が俺に嘘吐く意味がねえだろ」
「信頼されてるねー私」
「…ただ、」



何故かそこで押し黙るシズちゃん。
ただ?と聞き返すと、彼は誤魔化すみたいに私から顔を背けた。うん、隠し事をされるのは気分が悪い。とりあえず彼の整った顔立ちの中から一番掴みやすそうなパーツ=鼻をえいやっと掴んで無理矢理顔をこちら向きに戻した。もっと大変かと思ったら案外あっさりこちらを向くシズちゃん。いや、〈案外〉あっさりなだけであってそれなりに力は要したけども。
何故か妙に接しづらい。私はいつもどおりなのに、シズちゃんがカタくて。シズちゃんと私の歯車に空白の月日が入り込んで噛み合わなくなっている。



「…先輩」
「はい」
「じゃあ、六年前の今日待ち合わせにこなかったのは…これなかったってことすか」



シズちゃんのミルクティーみたいな色の瞳が、揺れる、揺れる。
コーヒーより優しい色で、スポーツ飲料よりずっと透き通っているそれは、今日みたどのシズちゃんより彼らしいものだった。

やっぱり無理をさせていた。

きっと、いなかった理由云々よりこの話をしたかったに違いない。何より苦手な我慢をして遠慮して。
こくりと頷いた私を見た瞬間、シズちゃんは黙って顔を背けた。どう思ったんだろう。さすがに今回は、指先に彼の金髪を絡めるだけに、した。







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