海に行きました。
拝啓。なんて。便箋を削るようなペン先で書いてみたはいいけれど何だかそれは柄にもないような気がしたし、その変なよそよそしさがそれこそ私と秋山さんの間にずっと横たわる(きっとこれからもこのままなのでしょうね)距離を露骨に象徴する気がしてやるせなくなったのでした。大体これを使うのは男の人でしたね。
突然何をと眉をひそめているだろう秋山さんを思い浮かべて私は密か笑います。それを容易に想像できる自分に呆れます。そんな顔ばかりさせてきたのだと自覚するのです。どうしようもありません。
蒸し暑くなってきました。夏が来ますね。


先月父が逝去しました。最期まで私の行く末を案じさせてしまいました。縁起でもないことを言わないでとしか口に出来なかった私には父の不安は少しだって除けなかっただろうと思います。ごめんなさい。思い出すと未だ手が震えてうまく文字も書けなくなります。私はあの日父に何を言えばよかったのでしょうか。秋山さんなら教えてくれるのではないかと勝手に思ってしまうのです。ごめんなさい、こんなことを書いてしまって。本当にごめんなさい。


ところで今秋山さんはどこにいるのでしょうか。あの頃のように遠い異国を一人進んでいるのでしょうか。この手紙は、どこに宛てて出せばいいですか。
秋山さんが何を思っていなくなってしまったのか私には分かりません。一緒にいた頃だって秋山さんの行動の意図は分からないことが多かったのですから。頭の差といってしまえばそれまでなのですが。だけどその先に秋山さんの幸せがあるのならそれでいいのだと思います。私は秋山さんをたくさん犠牲にしました。だからこんなことを思うのは身の程知らずかもしれませんね。


そうです、海に行きました。行ってみたかったので。そういえば秋山さんと海に行ったことはなかったなと思い出しました。天気は悪くて人は私の他誰もいない灰色の暗い海でした。靴を脱いで温度のない砂の上を歩きました。冷たい波を蹴散らしました。白い泡が立ってスカートの裾を濡らしていました。夏が来ると言ったってここには少しも訪れてはいないみたいです。そっちはどうですか。赤道の向こう側にいたら、寒いかもしれませんね。


ごめんなさい。嘘をつきました。いい子でいようと思ったのに。私の知らないところで秋山さんが幸せになるのは嫌だなと考えてしまいました。本当にごめんなさい。私の隣に秋山さんの幸せがあれば良かったのにと馬鹿なことを考えていました。素直に秋山さんの幸せを祈れない私はみにくいです。童話の人魚みたいに泡になって消えてしまえば良かったのに、海に行ったって私は人間のまま帰ってきて今これを書いています。
宛先には何と書けばいいですか。夏はまだ来ません。










Title:クロエ
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