窓の外を見る。いつの間にやらノイズのように満ちていたのは雨音である。濡れて歪んだ窓ガラスの向こう側には汚れた綿のような雲が敷き詰められた空がある。天気予報外れたな、とぼんやり思う。
ふと気付いて、本を閉じて席を立った。玄関に向かう。隅にひっそり置いてある傘立てには見慣れた華奢な傘が刺さっていた。
「………」
溜め息をついた。鍵を取って靴を履く。今頃どの辺りにいるだろうかと考えつつドアノブを握ってからまた気付いた。常に折り畳み傘を持ち歩く彼女であった。迎えにいく必要などない。妙な安堵を抱きつつドアノブから手を離そうと、
「うお」
「わぁあ!」
急に外側から引かれたドアの外から間抜けな声、それからべしゃりと輪をかけて間抜けな音。
「す、すいませ、」
「……何してる」
「……ただいまです」
えへへと笑う彼女は水溜まりの中に尻餅をついて泣きそうな顔である。全身ずぶ濡れになった上から、さらに雨粒が情け容赦なく降り注ぐ様に何とも言えない虚脱感が襲った。
「……ほら立て」
「えっ、秋山さ」
冷えきった手を引いて問答無用で肩に抱え上げる。情けない悲鳴が上がるのを無視して廊下を進む。
「ちょ、下ろしてください!秋山さんも濡れちゃいます、」
「お前よりかはましだ」
「ましじゃないです下ろしてくださいぃぃ!」
歩いた背後に彼女から滴った水が俺の足跡のように続いているのだろうと思うと何故か愉快に思えた。本当に訳もない感情の行き先だった。しまった風呂を沸かしておけばよかった、我ながら失念していた。殆ど放り込むように浴室に押し込む。
「ほらシャワー浴びて」
「わ、分かりましたって」
「早くしろ」
「じゃあ出ていってください!」
追い出された。溜め息をついて今度はキッチンに向かった。牛乳を温めてココアの缶を取り出す。砂糖は何杯だったかなと考え込む。仕方ない本人に聞くかと再び浴室の前に戻った。ふと見ると洗濯機の中に水を吸って色が変わった彼女の服がある。オレンジ色の光が磨りガラスから漏れるドアの前に彼女愛用の靴が揃えてちょこんと置いてあった。脱がせるのを忘れていた。雨の音に似たシャワーの音に掻き消されないように声を張り上げる。
「おい」
「はい?」
「ココアに砂糖は何杯だったか」
「あ、ええと、3杯です!ありがとうございます」
「虫歯になるぞお前」
「子どもじゃないんだから!」
限りなく近い。敢えてその言葉は胸のうちにしまって、やはり水が滴る靴を玄関に置いてきてからキッチンに戻る。薄い湯気を立ち上らせた牛乳をカップに注いだところで、丁度部屋着に着替えた彼女が髪を拭きながら出てきた。
「ほら」
「ありがとうございます」
「傘持っていってなかったのか」
「持ってたんですけど、傘取られちゃったって女の子がいて……」
「貸して自分は濡れて帰ったと」
「途中までは一緒の傘に入ってたんですよ、でもあの子のお家とは方向が違って」
「もう分かったから」
頬に張り付いた髪を払ってやった。おとなしく蹲るようにしてカップを傾けながら彼女は窓の外に目を向ける。
「もう梅雨なんですねぇ」
「嫌な時期だな」
「紫陽花とか綺麗なんですけどね」
「誰かさんが毎日のようにずぶ濡れで帰ってくるんだ」
「……ごめんなさい」
どうせ懲りないんだから明日から傘二本持っていけとでも言おうかと思ってやめた。どうせ捨て犬が入った箱にでも残りの一本を差しかける、彼女はそういう人間である。
大体自分が今日彼女の家にいる理由は、久しぶりに彼女が手料理を振る舞うと張り切っていたからだ。もてなしているのは紛れもなく俺である。そういえば先ほど自分はやけに淀みなくココアの準備が出来たなと思い出した。我が家か。
「いっそ」
「はい?」
「何でもない。早く飯作ってくれ」
「!分かりました!」
途端に嬉しそうな顔で、空っぽにしたカップを胸に抱えてキッチンに駆け込んでいく後ろ姿を眺める。
一緒に住んだらいつでもあの傘を持って迎えに行けるんだが。口に出せる気が全くしない。代わりにおかえりと小さく呟いたら雨の音に潰された。
















潮さんリクエストの「ほのぼのした秋直」でした!
お前の思うほのぼのって何なの晶よ……
しかしリクエストを頂いたのは5月上旬だというのに梅雨ネタでお返しすることになったあたり私の仕事の遅さが……如実に……!
因みに書いてる間中雨音子が脳内リピートしてました、おっといけないこれ失恋ソング
リクエストありがとうございました!
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -