ピピピと電子音がして目を覚ました。カーテンから漏れる光が隣で眠る彼女の頬を優しく照らす。その光に反応して彼女が、ん、と声を漏らす。「おはよう」と声をかけると「おはようございます」と柔らかく笑って答える、まだ夢の中にいる心地なのか視線が定まっていない。そして再び閉じられる瞳。
「こら、起きろ」今日は授業、あるんだろう。んんん、とぐずる彼女の身体を起こして洗面台の前まで連れて行く。彼女の手が歯ブラシを握ったのを確認してから台所に立った。食事はいつも彼女が作ってくれているけれどさっきの様子を見る限りでは、今日は自分が作ったほうがよさそうだ。

パンをトースタにかけて、フライパンで目玉焼きとベーコンを焼いて。冷蔵庫から昨日のサラダの残りを出し皿に盛る。十分もしないうちに出来上がる、彼女の分はこれで完成。あとは自分のコーヒーとシリアル。
「秋山さん、それだけでいいんですか」いつのまにか洗面所から出てきた彼女が尋ねる。
「後で食べる」
嘘だ。しかし彼女はそんな嘘に気付くはずもなく、そうですか。いただきます、と言って食べ始める。アナウンサの朝のニュースを読み上げる声だけが静かに二人の空間を浸食する。


ごちそうさまでした、彼女は律儀にそう言って手を合わせてからいそいそと支度を始める。今日はちょっと、ゆっくり食べ過ぎました。鏡台の前に座る彼女を見るといつも、そんなことしなくていいのにと思う。嘘を吐くのは苦手なくせに。ファンデーションを肌に滑らせて、アイラインを引いて、それからマスカラ、爪まで手入れが行き届いた指は滑らかに、迷いなく動く。少しずつ少しずつ、直から神崎直へと変わる。最後に口紅(いつかのリップかもしれない)を引いて、できあがり。後ろからじっと彼女の指先を追っていると「恥ずかしいからみないでください」と言って振り向く、
くすり。

「どうかしましたか?」
「なんでもない」
そうですか、
嘘だ。やっぱり彼女は気付かない。
彼女の素肌と服の境界線に昨日付けた痕を見つけた。肩から背中にかけてのライン、彼女からは見えないところ。二番目に気付くのは誰だろう、彼女の友達か、あるいは、「じゃあ、行ってきます」いつの間にか玄関に立っている。「気をつけて」と言うとまた律儀にはい、と返事をした。

食器を洗って二杯目のコーヒーを飲んでから彼女の部屋を出る。もちろん鍵をしっかりかけて。合い鍵はお互いに作っていない、「そうしたら、鍵をもらうために秋山さんに会えるでしょう」赤い顔をしながら言った彼女を思い出す。もう大学には着いたのだろうか。

自分の部屋に戻りベッドで二度寝をしていると携帯の無機質で無遠慮な音に起こされる。ディスプレイで時間を確かめると、僅かに正午を過ぎていた。電話に出ると「秋山さん知ってたんでしょう!」と言われる。もう気付かれたか、意外と早かったなと思いながらも「何のことだ」と惚けると「え、」と彼女の戸惑う声が聞こえる。
「どうした?何かあったのか」追い討ちをかける。え、えっと、「友達が、」
「友達が、なんだ?」言わないとわからないだろう。本当はもう分かっているけど。
「・・・秋山さんやっぱり分かってるでしょう!」 声が笑っています!
「どうだろうな」と言うと小さく、いじわる、と言うのが聞こえた。「夜はどうする?」これ以上拗ねる前に話題を変える。うちで食べるか、と訊いてみるとはい!帰りにスーパに寄ってから行きますね、と嬉しそうに言う。さっきまでの不機嫌は跡形もなく消え去っている。昼からも頑張って、寝るなよ、と言って電話を切る。さて、これからどうしようか。目はすっかり覚めてしまった。テレビをつけてみても何も頭に入ってこない、映像はただ目に映る。

水を少し飲んで部屋の片付けをして(片付けるほど物を置いていないので一時間もしないうちに終わった)新聞に目を通してから読みかけの本を読んだ。
彼女はまだやってこない、一人で過ごすことは嫌いではない。でも彼女と出会う前はどうやって過ごしていたのだろう、と少し考えた。彼女と出会う前、それはいつのことだろう。服役していたときか、それともマルチを潰そうと躍起になっていたときか。それよりももっと前、心理学に励んでいた頃のことか。誰かが自分の隣にいた時期もあった気がする。もう顔も声もなにも思い出せない。すれ違ってもきっと気付かないだろう、
呼び鈴が鳴る。誰だ、と訊かなくても判る、さっきまで待ちわびていた、
「秋山さん!」
両手に荷物を抱えている、二人分の食糧にしては随分と多い。
「随分と買い込んだな」
「これは、秋山さんの分です」
そんなに大食らいじゃないけど。
「秋山さん、わたしが言わないと何も食べない時があるでしょうだから、作り置きしておくんです」ちゃんと、食べないとだめです。「朝だってコーヒーとシリアルだけだし」
「後で食べるって言ったと思うけど」
「そういう風に言うときは、何も食べない時です」
ばれてないと思ってたのに。「もう、覚えました」
成長したなと言うと真剣な顔でほんとに、ちゃんと食べてください、と言われる。

「わかった、」
こんな風に自分の心配をしてくれるのは彼女だけだろう、と思うとこの部屋に鍵をかけて閉じ込めて、どこにも行かせたくなくなってしまう。
そんな卑しい独占欲にも気付かずにほんとですか?と訊いてくる彼女。たったこれだけのことを嬉しく思う日が来るなんて。
「本当。だからはやくこれ、落としてきたら」彼女の頬に触りながら言う、温かくて柔らかい感触、皮を剥いだら綿が出て来るのでないか。自分と同じもので出来ているとは思えない。

素直にはい、と頷いて洗面所に向かう彼女の背中にはまだ昨日の痕が残っていた。それを確認してまたくすり、と一人でほくそ笑む、あいつはもう、俺のなんだよと顔も知らないライバルに、声に出さずに言ってやる。くだらない思索に耽っているとかたん、とドアの開けられる音がする。「直、おかえり」素顔の彼女、それを見ることを許されている自分。どうかこの特権がずっと、自分だけのものでありますように。
彼女は台所を軽やかに動く。邪魔にならないように移動しながら彼女との距離を縮める、後ろに立って退路を断った。身体が強張るのが判る、
「いま、ごはんを作っているところです」
「知ってるよ」
じゃあなんで、と彼女が言い終わる前に唇を、彼女の首筋に落とした。あ、と小さな声を聞いてますます悪戯したくなる。
ことことこと、

「・・・今日、すごく、恥ずかしかったです、」だから、もう、
次の言葉を紡ぐ前にまた新しい痕を付けてやる。
「・・・もう、」だめです、こちらを向いて言う。そんなに火照った顔で言われても全く説得力がない。いやだと言うとじゃあもう秋山さんの家には来ません、と言う。
「それは困る」
「じゃあ大人しくしてください」
はいはい、もう俺の負けだよ。でもこのまま引き下がるのも癪だから、
「これでおしまい」と言ってゆっくりと顔を近付ける。え、という彼女の唇に自分のそれを触れさせようとした瞬間、ぴゅううと味噌汁の噴く音がして慌ててガスの火を止めようとした。隣で彼女も同じことをしようとしており、それに気付いて二人で笑った。






ねこじたの浅さんから頂きました!
ぽるの好きということで調子に乗ってさんぷの曲のどれかでお願いしたら、なんとこの曲で書いてくれたよ!大好きですこれ!
もうねこのまぶしい夫婦ですよ。どんだけ愛らしいんですかあなたたち式はやっぱり大安がいいですかね?←
穏やかで愛しい日常を送る秋直が大好きです。
そしてこの仕事の早さ、どこかの不摂生な大学生に見習わせてやりたいです。早く企画進めろや
浅さんありがとうございました!これからよろしくお願いします。

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