2012/10/16 08:08

 とある昔話のお姫様のこと。
 人間に恋をしてしまったお姫様はその可愛らしい声を引き換えに二本足を手に入れ、人間に近付くが、結局彼女は愛しい人とは幸せにはなれなかった。悲しみにくれる彼女であったが、幸せになった人間を憎むこともできずに、その体ひとつ、海に身を投げて死ぬことを選んだ。彼女の体は海に揺れる泡のひとつひとつとなり、ぶくぶくと音を立てながら広い広い海の中消えていった。
 ここまでがとある昔話のお姫様のこと。
「ねぇ、お父さん。海で亡くなった人の体は泡になって消えちゃうけれど、泡になった後はどうなるの?」
「……そうだなぁ。」
 海岸沿いを手を繋ぎなから散歩する親子は、少し悲しそうに海を見つめる。まだ年の小さな男の子と、その男の子の父親であろう船乗りの男性。
 船乗りはおもむろに立ち止まり、横を歩いていた男の子を抱き上げると一度ぎゅっと力を込めて抱き締め、遠く彼方で夕陽に染まりキラキラと光る海をちらりと見た。
「お母さんはきっと、世界中を旅しているのかもしれないな。」
「世界中を?」
「そう、雨がどこからやってくるのか知っているか?」
 それは男の子のために船乗りが考えた、とある昔話の続きであった。

 海の泡となり消えていったお姫様は、やがて水の循環の法則に従って空へと上りそして雲となった。空に浮かぶ雲となったお姫様は世界中を旅して、沢山のものに遭遇する。沢山のものを見て、沢山のものを聞き、沢山のものを感じ、ついにはかつて愛していた人間に出会ってしまう。はじめはその人間との再会に戸惑っていた彼女であったが、どうやら相手には自分のことが分からないらしいと察し(彼女はすでに雲となって人の形をしていないのだから当たり前だが)、かつての恋心が燻ったのか人間のもとへと近付いていった。するとどうだろう。人間はしくしくと泣いている。驚いた彼女は雲の耳を傾けて、何故人間が泣いているのか聞いてみることにした。
「私は本当に愛していた人を失ってしまった。彼女は海の泡となり、その体すら見つからない。悲しくて悲しくて、私からあの人を奪っていった海が憎い。」
 彼女はショックを受けた。愛していた人がそんな理由で涙を流していることにも、海をあんなにも愛していた人間の「海が憎い」と言った言葉にも。
 幸せになって欲しいと願いあえて人間から離れていったのに、その人間は自分が居なくなってしまったことを悲しんで涙を流している。あぁ、どうしてこうなってしまったのだろうと、彼女も悲しくなってしまう。せめて悲しみにくれる人間に何か出来ないかと彼女は悩み、優しい雨を降らせた。
 沢山の雫がガラス窓を叩き、雨の訪れを知らせる。
「…………。」
 私はここよ、私はここよという思いを込めて、彼女は雨となり人間のもとへと訪れた。何かを感じ取ったのか窓を開き空を見上げる人間の頬に彼女は落ちて、涙と一緒に頬を伝って流れていく。
『雨となり会いに来た。泣かないで泣かないで。私はあなたに幸せになって欲しいの。』
 願いが届いてくれたらいいのにと、彼女は人間のその頬を両手で包み込んだ。

「ねぇ、それってハッピーエンド?」
「うーん、どうだろうなぁ。どう思う?」
「……僕はお母さんが会いに来てくれたら、嬉しいよ。」
「そうだな。父さんも嬉しい。」
 親子はぎゅうぎゅうと抱き締めあって、途中男の子が「痛いよ」と声を漏らすまでその身を確かめるかのように引っ付いていた。
 船乗りの髭の伸びた顎を男の子は嫌がり力任せにその小さな掌で拒絶するものだから、船乗りも「痛いよ」と声を漏らして苦笑いを浮かべた。
 もう暗くなって来たから家に帰ろうと、親子が海を背に振りかると一年前の傷跡がいまだに残る町がみえた。何も無いが寂しくはない。悲しみに溢れているが希望の芽も出てきている。
 復興に活気づく、そんな町で親子は今も暮らしていた。

 どぼん!
「!?」
 と、ふいに音がした。驚いた親子は、反射的に音のした方へと振り替える。次に見えたのは海の中に引きずり込まれるかのように沈んでいく男の体だった。
 人魚姫が海に身を投げる音。
「……おい、おいおいおいおい!!」
 船乗りは慌てて腕に抱えていた男の子をその場に下ろすと、必死になって男のもとへと走り出した。そして咄嗟に、
「お父さん!!!」
 船乗りも海の中へと飛び込んでいった。



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