2011/02/20 22:45

 奥村燐は夢をみる。

 遠く彼方、彼と彼の弟がまだ小さかった頃の夢をみる。
 その頃の二人はとても仲が良く、まるで二人の世界にはお互いの存在しかいないみたいだと当時の保護者である奥村獅郎を不安にさせたくらい、燐は弟を、弟は燐だけを見ていた。
 幼い頃から活発だった燐が、体が弱く引っ込み思案な弟を率先して守り、弟もよく燐の背中の後ろを逃げ場所にしていた。

 夕日に染まった帰り道、ごめんごめんねと涙を流している弟を燐が背負い、二人で修道院へと帰る。
 弟を守る自分と、その背中に守られる弟。その遠くない距離がこれからもずっと続いていくのだと思っていたのに。

 奥村燐は一人、寂れた神社の片隅で、目を覚ます。
 その隣に弟の姿はない。
 いつの間に彼らは、こんなにも遠くに離れてしまったのだろう。舌打ちなんてしたって釈然としない気持ちは消えてはくれない、彼は一人で修道院へと帰る。



 奥村雪男は夢をみる。

 決して叶わないと知っている、自分と彼しかいない世界。
 想像の中で二人は笑い合っていて、まるで子供の頃に戻ったみたいだと雪男はその顔に笑みを浮かべた。

「そんな世界がないというのなら、せめて兄さんの頭の中ぐらい僕でいっぱいにしてしまいたいよ」

 寂れた神社の境内、そこでは雪男とその隣ですやすや眠る彼しか居ない、とても静かな空間だった。
 小さく膨らみ、また小さく沈んでいくその背中に抱き着くと、嫌そうにわずかに身動ぐが、また安定した眠りの中へと彼は落ちていく。
 かつてはこの背中に守られていた、自分の安全地帯はここだったのだ。雪男は夢中になってその制服越しの体温に擦りつくが、それでも自分の中の欲は満足しないと溜め息をもらした。
 もっと、もっと欲しい。言ってしまえば彼の存在ごと全て欲しい。
 抱き着くだけでは満足できないと彼の頭を掴んだ雪男は、その唇に寝息ごと奪うかのように噛み付いた。

 気付けば過去の雪男は、彼の背中ばかり眺めていた。自分を守ってくれる背中は確かに安心するものだったが、でもそれと同じぐらい寂しくもあった。
 自分の一歩前を歩く彼。本当に望んでいたのは彼の隣を歩くこと、しかし守られる側の自分がそれを叶えられるはずもなく。
 ならどうしたらいい?どうしたら僕は兄さんの隣に居られるの?どうしたら兄さんはずっと僕の隣に居てくれる?
 そんな小さな雪男に答えをくれたのが奥村獅郎、神父でもある父だった。

「あいつと並んで歩きたいならな、お前があいつと同じぐらい強くなれ、雪男」

 むしろお前があいつを守れるぐらいにな。そう言った父は雪男の頭をぐしゃぐしゃと乱暴に撫で回し、いつもの優しい笑顔を浮かべていた。
 遠く彼方、雪男がまだ弱虫泣き虫だった頃の話。

 眉を顰める彼に、これ以上すると目を覚ましてしまうと察した雪男は、最後に名残惜しそうに下唇に吸い付いて、その顔を離す。
 彼には無断のキスも、もうこれで何度目だろう。我慢弱い自分に思わず、嘲笑を浮かべる。

 彼はまだ気付かないつもりなのだろうか、この爆発寸前の(いや、すでにもう修復不可能なくらいに溢れ出した)恋心に。
 早く気付いてしまえば楽になれる、同時に僕らの関係も崩れてしまうけれど。

 雪男は側に置いておいた自分の分の荷物を持つと、一人神社を出て修道院へと帰る。その顔に憂いを乗せたまま。



 奥村燐は目を覚ます、寂れた神社の片隅で一人。

 その隣に弟はいないが、彼がここにいたという証拠である体温が、抱きしめられた背中や腕に、噛み付かれた唇に、確かに残っていた。
 その体温に燐は戸惑う。さっきは上手く狸寝入りができたけど、次もしさっきみたいな事があったら、自分はどうなってしまうのだろうと。

「だって俺らは、兄弟、だろ?」

 体温残る自分の体、燐は膝を抱えるように小さく丸まり、それから少しだけ涙を流した。涙を拭おうとして目を擦ると、両側の目尻がじんじんと痛み始める。これではまるで逆効果、止まってくれない涙の粒、いつの間にか燐は嗚咽すらも我慢できなくなっていた。

 燐もまた、彼と同じく、どうしようもない気持ちをその胸に抱えていて、でも彼とは違いその気持ちを上手く理解できずにいた。
 爆発した恋心は、今はまだ燐を戸惑わすだけ。
 自分はまだ、この気持ちが何なのか気付かないつもりなのだろうか?いや、もしかしたら気付きたくないのかもしれない。だって気付いてしまえば後戻りはできない、あの頃みたいな"兄弟"には戻れない。
 燐は自分の頭の中を駆け巡る感情と、その中心にいる彼に対して舌打ちを打つ。そんな事したって気持ちは少しも晴れないが、その両足が走り出すという衝動のきっかけぐらいにはなってくれた。

 走る、走る、ただがむしゃらに走る。急げばきっと、先に帰った彼に追い付けるはずだろう。
 そしたら彼に言ってやらなきゃいけない事がある、してやらなきゃいけない事がある。やり逃げなんて許さない、無断にキスするくらいなら責任とって俺のこの気持ちが何なのか答えろ。お前ならその答えを知ってるんだろ。
 前方に見付けた彼の背中。あぁ、なんて蹴り飛ばしたくなる背中だろう、どんなに身長は高くなろうがその愛おしい背中はあの頃から変わらない。
 あと少し、あと数メートル、あと数歩、あとちょっと、あと……届いた!

「雪男、テメェ、この眼鏡野郎!!」
「!?」

 ゴフッ。
 瞬間的で強烈な華麗なる飛び蹴り、突然の襲撃に思わず体勢を崩した雪男は前のめりに倒れる。燐は燐で完璧な動きで無事着地し、道の真ん中で倒れた雪男を仁王立ちで見下ろしていた。

「に、兄さん、もしかして今蹴った?」
「蹴った、全力で蹴らしていただいた」
「何でいきなり……いや、理由はだいたい予想できるんだけど、蹴ることないと思うよね」
「無性に蹴りたくなったんだ、お前の背中を」
「蹴りたい背中、僕は別にアイドルオタクじゃないんだけど……って兄さんにはこのネタ分からないか」
「は?」
「いや何でもない、兄さんはきっと分からないだろうから気にしないで」
「俺は今、お前の気持ちが一番よく分からないけどな」
「えっ」
「言いたい事があるんだろ」
「いや、」
「今、言わないなら、俺はこれからずっと聞かないからな」
「………」






 奥村兄弟は二人して、まったく同じ夢をみていた。

『君が僕から離れてしまわないように、君の背中を僕にちょうだい』

 夕日に染まった帰り道、彼ら二人のひとりよがりな執着心に終止符を。




END

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