私は狡い。
狡いから、あなたの優しさに甘える事にした。
だからきっとバチが当たったんだと思う。
最後まで、狡い私が言えることは…
さようなら。大好きでした。
って事だけかな。
また会う日まで。とは、言えないけれど
どうか、お元気で。
どうか、幸せに。
●プロローグ
幼馴染の炭治郎とは、小中高と同じで共に青春時代を送ってきた。彼にはなんでも話せたし、彼もまた私になんでも話してくれた。
互いの悩みを共有し、時に泣いて時に笑って…。
当時、周りから『本当に付き合ってないの?』と言われるくらい一緒に時を過ごした。
友達以上、恋人未満。とは、こういうことを言うんだろう。と、何処か他人事のように思っていた時期があった。
一緒にいて当たり前。隣にいるのが当たり前。
その優しい横顔も、私を撫でてくれる大きな掌も。
眩しい笑顔も。
錯覚していたんだと思う。それが全て私のものだと。
だから気付かないふりも出来たんだと…今ならそう思えるわけだ。
『…聞いてくれなまえ!俺
…彼女が出来たんだ!』
そう言って恥ずかしそうに笑った炭治郎の顔を見て、全てに気づいてしまった私は酷く馬鹿で、愚かだ。それと同時に、彼の全てが自分のものだと言う幻が終わりを告げる。
なんて自意識過剰な女なんだろう。
馬鹿だ、馬鹿すぎて笑える。
『そっか!良かったじゃん』
だからあの時、私は炭治郎の前で笑えたんだと思う。その笑顔は彼に向けたものじゃないから。
馬鹿な自分を笑うための笑顔だったから。
気づくのが遅すぎたのか。いや、違う。
私は狡い。狡い女だから炭治郎の優しさに甘えていたんだ。
だから、気付かないふりをして…馬鹿な幻に浸っていたんだ。
そうすれば、彼がずっと私の隣で笑っていてくれると信じていたから。
きっと初恋だった。
私の、初恋だった。
高校最後の夏。炭治郎の家で…。
その日はやけにセミの声が煩く聞こえた気がした。
青々とした空に入道雲。チリンとなった風鈴に、湿った風が頬を撫でる。
何気ない、夏の風景の中で恥ずかしそうに笑った彼。
私はその夏をきっと一生忘れないだろう。
ひとつ。誤算があった。
彼女が出来てからも、彼は相変わらず優しかった。
優しく、傍にいた。
だから、幻が続いているかのように思えてしまったけれど…現実は何一つ変わらなかった。
燻っている私の気持ちに、居場所なんてものは無く。
だけど、捨てきれることも出来ずにずるずると…。
今を彷徨っていた。
それから、卒業し別々の道を歩む事になっても
その気持ちは私の中で居場所を求めて彷徨い続けていた。そんな私を嘲笑うかのように、再びその時はやってくる。
『え?』
『…なまえ?なまえじゃないか!!』
地元に就職し、実家を離れ、勤務先に近いアパートに越した私を待っていた隣人は炭治郎だった。
お互い地元。だが、この街はそんなに小さな街じゃないはずなのに…。
この時互いに23歳。私は引越しの挨拶にと用意した乾麺の蕎麦をバサバサと落とした。
そして現在。
私達は25歳の年を迎える。
聞けば、あの時の彼女とまだ続いている様子で
なんともお熱い事で。と内心鼻で笑っている私がいるわけだ。
「ビールでいい?」
「ああ!すまないな。時間を取らせて」
その日。炭治郎から”大事な話がある”とLINEが着た。
いきなり着たLINEに目を見開いて、その日の仕事は全く手につかなかった。
大事な話…。その単語に一瞬期待が過ったが、ぶんぶんと頭を横に振った。
そんなわけが、あるはずないのだから。
仕事帰りの炭治郎が家に来た。と言っても、同じアパート、しかも隣人。
自宅に帰るのと大差はないだろう。
それに彼はたまにだが、うちに寄ってご飯を食べていくこともある。
こっちの気も知らずに…。なんて、思うものの。私の作ったものを食べて笑ってくれる彼が好きだ
スーツ姿の彼は何度か見ているが、いつも目に毒だなぁ。と思う。
ふぅ。と小さく溜息をつきながら、ネクタイを緩める仕草も、そのネクタイを緩めている筋張った男らしい手も…。
そして何より、私に向けるその笑顔も…。
何もかも、私にとって毒でしかない。
「はい。私も帰ってきたばっかで、大したもの用意できないけど。これ、つまみがわりにどうぞ」
私はそう言って炭治郎の前に缶ビールと昨日の残り物の煮物の小鉢を出した。
「ありがとう!…煮物かぁ。なまえの料理はどれも美味いから、ついつい食べたくなるんだ」
炭治郎はそう言って嬉しそうに箸を持つと、礼儀正しく手を合わせいただきます。と呟いた。
その後で、パクリとそれをひと口食べて目を輝かせる。
「んーっ!美味い!…流石はなまえだな」
ーーきっといいお嫁さんになれるぞ。
そう言って笑った炭治郎から、私は視線を逸らした。
じゃあ、嫁に貰ってくれよ。
何のために料理を頑張ったと思ってるの?
…あなたが美味しいと言って笑ってくれるからだよ。
…なんて、言えるわけがないじゃないか。
私はそう思って、テレビをつけた。
画面に映し出される流行りの芸人が、観客の笑いを攫っていく。
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