盗まれてあげましょうか
「おい!柚子!」

荒々しい足音と声を響かせて、今日からお世話になる家の住人もとい幼馴染は、私のいた部屋の扉を力任せに押し開いた。バターン!と耳を劈く大きな音に聊か不満だという様に眉を顰めて、今日から私の私室となった部屋へとずかずかと侵入してきた幼馴染に私は、じとりとした視線を向けた

「新一、もう少しドアは優しく開けてよね。あと、ちゃんとノックも。」
「おォ、悪ぃ…っていや!そうじゃねーっての!」
「そうじゃなかったら何なのさ。」

やけに今日の幼馴染は騒がしいな。全く一体、どうしたと言うのか。荷解きをしていた手を一旦止めて、どうしたのと立ち上がって新一に近づけば、これだよこれと。彼は手に持っていた1枚のカードを私へと見える様に差し出した

「何なに?…今宵、柚子嬢を頂きに参上します。怪盗キッド…って、は!?怪盗キッド!?」

何度見直しても文字が変わるはずもなく、そこにはしっかりと私を盗むという怪盗キッドからの予告文が示されている。いやいやいや、全く意味が分からない。しかも今夜って急すぎやしないだろうか。窓の外を覗けばとっぷり日は沈んでおり、空には大きな月が此方を覗いていた。もしかしたら何かの冗談なのかとも思ったけど、新一の不機嫌そうな表情からこれは恐らく本物の予告上なのだろうと確信した。だけど、

「何で、…私?」
「何か心当たりとか、ねぇのか?」
「…え、あ、えー無いと思う…けど?」

探る様なじとりとした視線を向けられて、私は誤魔化す様に二度咳払いをした。心あたりが無いと言われれば嘘になるし、だけど此処であると言っても面倒なことになるに違いない。と言っても私の嘘なんて全く通じない新一に嘘なんてつける筈もなく私は、でもさ!と話をすり替えた

「この予告状、キッドにしては凄くストレートだよね!稀に訳の分からない暗号とかついてるのにさ!」

相変わらず何故か不機嫌なオーラを撒き散らす新一に、なるべく明るく振る舞う様に声を弾ませた

「いつも、キザな言葉や、たまに暗号みたいなものとか使ってくるのに何でだろうね?此処には折角、あの有名な名探偵がいるのにね。」
「…バーロォ。」

何年の付き合いだと思っているんだ。新一のご機嫌を取るのなんて、朝飯前だよ。ほんのり頬を染めて、照れくさそうにだけど満更でも無さそうな表情で、新一は人差し指で頬をぽりぽりと掻いていた。どうやらよいしょに成功した様だ

「だから、例えキッドが現れたとしても私には頼もしい名探偵がいるから、安心だね。」
「…柚子、」

照れた表情から一転、ぐっと真剣な眼差しで私を見た新一は、あぁと頷いて、そっと私の両肩に手を置いた

「ぜってー、俺が守っから。」
「ありあとう、ってえ、あれ…ちょっと、新一さん?」

一体、さっきまでの良い雰囲気は何処へやら。そのままぐいぐいと距離を縮めてくる新一に、私は止めろこの変態と力いっぱい彼のその額を押し返した

「新一、ちょっと離れてくれると嬉しいんだけどなぁ。」
「あぁ、わーってる。」
「分かってないよね?言ってることとやってることが、全くの逆だよ!?」

押して押されての押し問答をぐいぐいと続けていると、不意に後ろから誰かに腕を引かれて、私の体は後ろへとぐらりと傾いた

「少々、距離が近いのではありませんか?」

そのまま転けるなんてこともなく、ぽすりと誰かに抱きとめられる感触で、私は誰だと思う前にハッと後ろへと振り返った

「…っ、怪盗キッド!」
「今晩は、柚子嬢。予告通り、貴女を頂きに参りました。」

傅き私の手の甲に軽く唇を落としたキッドは優しく笑むと、そのまま視線を新一へと向けた

「おや、そんなに殺気立たれては柚子嬢が怯えてしまいますよ。」
「…さっさと柚子を離しやがれ。」
「それは出来ない約束だ。言ったでしょう?彼女は私が頂いていく、と。」

にこり、表面上では笑みを浮かべるキッドと明らかに殺意の籠った瞳でそんなキッドを睨み付ける新一の間に挟まれたまま、私はどうしたものかと頭を捻らせた。とりあえずキッドには申し訳ないけど、どうかこのままお帰り頂きたいな。今日は朝から仕事の関係で海外へ旅立つ両親を見送って、その足で今日からお世話になる幼馴染の新一の家へとやって来たのだ。それからずっと買い物して掃除して荷解きして…と本当に色々あって疲れてるんだよ。だからもう本当に今日はこのまま休ませておくれよ…。そんな当人の気持ちは何処へいったのか、私を間にして2人はやいのやいのと言い合いをしている。だけど一体どうしてキッドは私を誘拐しに来たのか…、確かにキッドの正体を知っている私としては、心当たりが完全に無い訳ではない。知り合いという時点で何かあるんだろうし…いや、それが何なのかは皆目見当もつかないんだけど

「とりあえずキッドは離れて。そして帰って。」

ぺしぺしと後ろから腰に回された手を叩けば、後ろでくすりとキッドが笑うのが分かった。それに若干イラっとしていれば、何故か突然にふわりと床から足が離れ、それに驚いてぎゃ!と小さく悲鳴をあげれば、どうしてか私よりも焦った新一の声が耳に届いた

「柚子っ!」
「では、名探偵。どうやら柚子嬢はお疲れの様なので、私はこれにて失礼したいと思います。」
「って、ちょっと待ってキッド待って!」

いつの間にかベランダの柵の上へと移動しているキッドと私。私はキッドに横抱きで抱えられたまま、落ちる!此処2階!危ない!なんてプチパニック状態で。とにかくキッドの腕から降りようとすれば、逃げられない様に更に強く抱きしめられてしまう。ええい!離せ!そんな私の抵抗なんて気にするまでもないという顔のキッドに、小さな苛立ちが募ってくる。お前なんて新一にコテンパにやられてしまえばいいんだ!そう思って新一に助けを求めようと視線を向ければ、彼は何処から持ち出したのかサッカーボールを蹴り上げようと大きく右足をスイングさせていた。え、ちょ、まさかそのボール、キッドに向かって蹴るつもりですか!?

「っちょ、新一!私!まだ、いる!」
「ご安心あれ。」

そう落ち着き払ったキッドは、自分の胸元に手を差し入れ、真っ白な銃をカチャリとボールへと向けて構えた。パシュン!新一がボールを蹴り上げたと同時に、キッドが撃った銃口からは1枚のトランプが飛び出し、あの固いサッカーボールをたった1枚のトランプでパンクさせてしまった。一体、あのトランプ銃はどうなってるんだ…。そのまま空気が抜け、ただの皮となってしまったサッカーボールはパサリと床へと落ち、そのことに新一は大きく舌打ちをした。そんな新一に、「じゃあな、探偵。」ニヤリと聞こえてきそうな笑みを浮かべたキッドは、そのままピンク色の煙を放つ煙玉を床へと叩きつけ、私を抱えたまま工藤邸を後にしやがったのだ



「キッド。今、下してくれるなら別に怒ったりしないから、早く下ろして。」

近くの屋上からハングライダーで飛びたったキッドは、そのまま離してくれる筈もなく、私を小脇に抱えたまま器用に黒羽邸へと向かっていた

「ねぇ、ちょっと黙ってないでさ。本当に怒るよ?」

下からキッドの顔を覗きこんでみても、月明かりがモノクルに反射していて、彼が今どんな表情をしているのかが分からなかった。それが何だか嫌で、私は痺れを切らした様に、彼の腕を強く掴んだ

「ねぇ、私はもう帰りたいの!キッド!ねぇ!もう…、快斗!って、わぁ!」

途端、ぐらりと平行線を保っていたハングライダーが傾き、風に煽られる様にしてそのまま急降下していく。私は声にならない声をあげ、本格的に死んでしまうんじゃないかという恐怖心から、ぎゅっと目を瞑って快斗の腕にしがみ付いた。だけど地面に叩きつけられるなんてことはなく、気づいた時には私は快斗に支えられて何処かのビルの屋上に立っていた

「…び、びっくりした…。」

下ろしてとは言ったけど、こんな断りもなしにジェットコースター紛いなことをするなんて、あんまりじゃないだろうか。一言文句を言ってやろうかとキッと、彼を睨み付けてやれば何故か快斗の方がじとりとした不満気な目をして、私を見つめていた

「お前、あの探偵と仲良すぎんじゃねぇの?」

そして開け口一番にこれだ。今日の快斗は本当に謎すぎる。何がしたいのかさっぱり分からないよ。この間だって私が両親が不在の間、新一の家でお世話になるって話をしたら興味なさ気にふーん、って流してたくせにさ。それなのに私を誘拐するなんて一体、何を考えてるのやら。それに新一は、幼稚園の頃から連れ添ってきた幼馴染の一人なんだから、仲が良くて当たり前じゃないか。快斗だって知っている筈なのに。本当に何を言ってるんだ?と首を傾げてみれば、彼はぐっと眉間に皺を寄せて、それに!と少々、声を荒げてみせた

「さっきのアレだって何だよ!距離、近すぎんだろォが!」
「不可抗力でしょ。あれは新一が悪いんだから私は知らないよ。」
「そういうとこだってんだよ!隙がありすぎんだよお前は!」
「はい?隙とか言ったってそんな抽象的な言葉じゃ分かんない!じゃあ何?私は毎日毎日、警戒しながら生きていかなきゃいけないっての!?」
「そんなこと言ってねぇだろ!?」
「言ってることと同じだよ!」

がるるるる、と犬が向かい合って威嚇し合うようにお互いを睨み付けながら、勢い任せに言葉を投げ合った。ああ言ったらこう言う。いつまでたっても終わりそうにないその言い合いの途中で、私はふと我に返っていつの間に、ヒートアップさせられていたことに気づき、空気を変えようとこほんと小さく咳払いをした

「それで?どうして私を誘拐なんてしたの。」
「…誘拐じゃねぇよ。盗んだんだよ。」
「いや、世間一般的に見て、対象物が人間ならこれ立派な誘拐だから。」

未だに不満気な顔したまま、快斗は私から視線を外した。キッドの姿でそんな子供らしい表情をするもんだから、何だか新鮮な気がして私はまじまじとそんな快斗を凝視してしまう。そんな私の視線に気づいているのかいないのか、快斗はぼそりと言葉を口にした

「……悪かった。」

微かに聞き取れたそれに、私はやれやれと苦笑して息を吐いた。素直に謝ってくれたなら何より。それにそんな顔して謝られたら、許さない訳にはいかないじゃないか

「いいよ。今回はもう怒らないからさ、それにどうせこんなことした理由も教えてはくれないんでしょ?」

快斗としっかりと目を合わせて、にっこりと笑みを向けた。この誘拐事件については許そうではないか。だけどそれとこれとは話は別だ。その理由を聞く権利は私にはあるはずでしょ。遠回しに、さっさと理由を吐けよと笑顔に込めて聞いてみれば、うぐっと、快斗は黙り込んでしまった。それでもにっこにっこと下から快斗を見ていれば、一体どうしたのか。彼はハットとモノクルを脱ぎ捨てると、ドカリとその場に座り込んでだぁーっ!と謎の奇声を発しながらわしゃわしゃと自分の頭を掻き毟った。え、ちょ、どうしたの!?そんな彼の前に私もしゃがみ込んで問おうとすれば快人は、「嫌だったんだよ。」と、何処か吹っ切れたような、そんな顔をして口を開いた

「柚子があの探偵の家に居候するって聞いて、本当は嫌だったんだ。」
「で、でも、その話した時、快斗ってば興味なさ気にしてたじゃん…。」
「必死に隠してたんだよ。」
「…そ、そうなんだ…。」

その時、何故かどうしてか快斗が前に教室で一流のマジシャンはポーカーフェイスが得意なんだぜ!なんて笑顔で語っていたのを思い出してしまった。そうか、快斗は顔に出さない様にしてただけなんだね。…あれ?でもどうして快斗が嫌だなんて思うんだろ?そんな私の思いは全部、顔に出てしまってたんだろう。快斗は苦笑しながら私のそんな右頬をむにっと摘まんだ

「柚子のことが、好きなんだよ。」
「…え?」

突然のそんな告白に私の頭は一瞬では真っ白になってぽかん、と口を開けたまま、ただただ固まってしまった。そんなアホな面を晒しているだろう私を見つめたまま、行き成り快斗はあーあ!と溜息を吐いた

「しっかし、何でお前なんだろうな。アホでドジで間抜けな柚子ちゃんよりも、もーっと可愛い子なんていっぱいいんのによ!」
「な、何ですって!私、アホでドジでも間抜けでもない!」

その聞き捨てならない台詞に、何だってと言い返せば快斗は私の頬を摘まんでいた手をパッと離してその掌で今度は私の頬を包み込んだ

「でも、そんな柚子を好きになっちまったんだから、仕方ねぇよな。」

真っ赤な顔をしてまたもカチリと固まる私を余所に、いつの間に居住まいをただした快斗はキッドの顔をしていた

「では柚子嬢、このまま私に盗まれていただけますか?」

紳士らしく頭を下げ、上目使い気味に此方を覗くその瞳にどうしてか私の心臓はバクバクと早鐘を打っている。一体どうしたというのか、相手はあの快斗だっていうのに。いつも言い合いをして、バカだアホだなんて文句だって言ってしまう相手なのに。そんな彼のことが好きだなんて、そんなことあるはずないに決まってる。きっと、きっとこれは雰囲気にのみ込まれてるだけなんだそうなんだ!そう思っていた筈なのに……だけど、どうしてか私は、快斗のその手を取ってしまったのだ


盗まれてあげましょうか
(新一が私に取り付けた発信機を辿って現れるまで、あと15分)
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