「う……?」

眩しい光に耐えきれず目を開けると、さっき私を連れ去ろうとした男が見えた。 「おはよう、気分はどうだい?」 額に銃口を押し付けられているこの状況に、到底釣り合わない優しい声で彼は私に聞いた。ええと、どう答えたらいいんだろう? 後ろで縛られた腕に縄が食い込んで、少しでも動かそうとしたら痛みが走る。それでも人間の身体というのは不思議なもので、こんな状態でもいつもやっているはずのことが一番気になってしまう。 「水」 私が掠れた声で呟くと、彼は目を見開いた。

「水を下さいませんか」

決して喉が渇いているわけではなかった、ただ寝起きの口内はバイ菌がいっぱいいると知っていたので、とにかく普段通り洗い流してしまいたかったのだ。彼はどう解釈したか知らないけれど、銃をしまう代わりに懐から小さな瓶を取り出して、 「口開けて」 と言ってくれたので、まあ根っから悪い人ではないのだろうと勝手に思った。その瓶の中身が毒薬などでないのならば。

「ん、……っく、ぅ」

こくん、こくんと、流し入れられた液体を喉に通す。特別変な味はしなくて、本当にただの水のよう。口の端から飲みきれなかった水が つう、と溢れて、小瓶の蓋を閉めたあとの彼の指がそれをぐいと拭ってくれた。私は満たされた証拠にため息をつきながら、小瓶を再び懐にしまいこむ彼の顔を見て、なんて綺麗な人なんだろうと思った。

「頭は冴えたかい」
「何が欲しいんですか?」

私が発した、前後で対応しないその言葉に彼は少し面食らったようだった。

「お金でも地位でも名声でも何でも望むままに差し上げますから、どうかお引き取り下さい」

もう慣れていた。誰かに狙われることも、縛られ拘束されることも、銃を向けられることも。父様の仕事上、仕方がないことなのだと受け入れてきた。どうせ皆目的は同じだった。人間って本当に嫌な生き物。私は14歳にして諦めていた、自分らしく自分の人生を歩むことを。すでにこさえられたレールの上を行くだけの未来。勝手に決められている、好きでもない相手との結婚。家柄に恵まれた私を、皆が羨ましげに見つめるけれど、換われるものなら換わって欲しかった。財産ならば全部あげてしまっても構わない、私には必要のないものだ。

「そんなものには興味ないんだよ」

綺麗な彼はやっぱり綺麗な顔をして笑う。彼は私にとって、とても魅力的だった。今まで私を誘拐して身代金をとろうとした人たちは皆、いかにも悪人らしい、醜い形相をしていたから。

「俺は君が欲しい」

淡々と言う彼は照れもしない。私は少なからず驚いて、思わず えっ、と声をあげてしまった。私が欲しい?それはどういう意味なのだろう。精神を?それとも肉体を? 年の近い男とあまり関わりを持ってこなかった私は、彼の言葉が理解できない。何も言えず固まっていると、 「安心してね、強姦なんてしないから」 と、また笑顔でそう言われた。やっぱり綺麗な人だと、場違いながら思った。

「君は、自分の父親が何をするつもりか、知っているかい」
「……父様、が?」
「ああ。莫大な資産を持つ有権者で、政府関係者でもある君の父親はね、今、政府を乗っとる計画を立てているらしくて」

私はなんとなく理解した。多分人質なのだ。父様は私を溺愛しているから、私を拐って、父様を脅す気なんだろう。

「無駄だと思います」
「無駄?」
「私を使って父様を脅すなんて、無駄なことです」

私の言葉を、挑発とも強がりとも取れなかったらしい彼は、少しだけ皺を寄せて、面白くなさそうな顔をした。 「……どうしてだい?」 私は躊躇ったけれど、ちゃんと本当のことを言うべきだと思った。どうせ静かにしていたって、解放してもらえやしないだろう。ならば何とか彼の隙を見つけて潜り込まないと。

「父様は確かに私を可愛がってくれています。ですがそれは愛情からではありません。私を名字家の娘として立派に育て上げ、名家の男性と婚約させることで、自らの地位と評価を上げる為です。私は言わば、父様の道具であり、愛されてなどいません。誘拐された所で、使い勝手の良かった道具をひとつ奪われただけの話です。父様は痛くも痒くもありません。私に人質の価値などないのです」

それに、万が一私の誘拐によって父様の地位が危うくなることがあっても、犯人は父様専属の兵士に殺されて、まるで何もなかったようになるだろう。この人がどこの誰だかなんて知らないけれど、見る限りは頭脳派で、決して追手から逃げ延びる可能性があるようには見えなかった。私は諦めていた、誰も私をここから救い出して、外の世界に連れていってはくれはしないのだ。

「残念だけど、それは君が決めることじゃあないんでね。俺はご令嬢を拐ってこいと言われただけで、お父様を脅すのは管轄外だ。わかったら余計な口は叩かない方がいいよ、俺の機嫌を損ねるから」

彼の長い指が私の顎に触れる。そのままくい、と持ち上げられ、思わずどきりとした。縛られている腕が痛くて、それどころではないはずなのに、初めて間近で見る『男の人』に、私の心臓は否応なく跳ねる。 「なんならもう一度君の視界も言葉も奪ってしまおうか」 にこにこと笑顔のまま、彼は辛辣な言葉を浴びせてくる。私はそれでもまた、やはり違うことの方が気になってしまって。 「名前」 私にしては珍しく、しっかりした声だった。

「貴方の名前が知りたいです」


20110228 amemura



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