いい夢を見させて
ヒキガエルの肝に、コウモリの爪、トウガラシ、3度右回りに撹拌。
鍋から緑色の蒸気が上がったところで、今度は逆向きに攪拌して、澄んだ液体になるまで煮込んで完成。
材料の準備を終えたところで、再び黒板に書かれたその手順を確認する。
今日の課題は楽勝だ、というのは誰もが思うところだったようで、地下牢教室で調合を行う生徒たちも、心なしかいつもの授業より緊張感が薄い。
魔法薬学の時間にはいつも青ざめた顔をしているあのネビルでさえも、今日は血色の良さそうな様子で、材料刻みに集中しているようだ。

さて、始めますか、と息をつき、鍋に材料を投入して火にかける。
まずは右に3回、少し煮込んで、今度は左に、1回、2回、3回、4回ーー、
液体はその色を変えながら緩やかに回転し、その渦巻きの中を材料がぐるぐるぐるぐると回って、ゆっくりとその姿は小さくなっていく。
ぐるぐるぐるぐると、回って、
ぐるぐるぐるぐるぐるぐるとーー、
まわって、まわってーー、




「ーー、!」
怒号のような声に名前を呼ばれ、は、と意識が浮上する。
つんと鼻を刺激する、焦げ臭い香り。
まさか、私は居眠りしてしまっていたのだろうかーー。
普通はあり得ないことではあるが、それを確信に変えるかのように、目の前には、黒く燻る私の鍋と、同じように真っ黒い姿をした、教授。

「…授業後に残りたまえ」
罰則だ、と告げるスネイプ教授の声には確かな怒りが滲んでいて。
スネイプはさっさとその場を離れ、今だ状況の整理がつかない私の前には、焦げついた鍋だけが残っていた。



授業がようやく終わり、生徒たちは足早に教室を去ってゆく。
残ったのは、スネイプ教授と私と、つい先ほどまで必死に洗っていたが、やはり黒ずんだままの鍋だけ。
さて、と口火を切ったのはスネイプの方で。
「Mis.****、君には新薬の開発に付き合ってもらおう」
そう言って薄ら笑いを浮かべる教授に、思わず顔が引き攣る。
何かとんでもなく良からぬことを企んでいるかのような、その口元の歪み。
この陰険教授、まさか、私を被験体か何かにするつもりなのでは…。
この人ならやりかねないと、ただの思いつきのつもりが不安は増していくばかり。
だがしかし。
そうであったとして、どうして罰則の内容にケチなど付けられようか。
見上げた先のスネイプの真っ暗な瞳は、やはり意地悪く鈍い光をたたえながら此方を見下ろしていて。
せめてもの反抗に、と見つめ返せば、教授はそれが私の強がりだと分かっているとばかりに、ふ、と鼻を鳴らしてみせた。


出頭するよう指定されたのは、夕食後、スネイプ教授の執務室。
罰則は何度か受けたことがあるとはいえ、先生の執務室で、というのは初めてのことで、妙な緊張感に襲われる。
夕食も喉を通るわけもなく、デザートも大好物のタルトだったというのに、クリームの上に乗ったいちごをつまんで、口に押し込むように食べるのが精一杯だった。
同じ寮の友人に心配されながらちらりと職員席の方に視線をやるも、そこに教授の姿は無く。
もう罰則の準備に取り掛かっているのだろうかと考えると、ますます気がげんなりとして、もはやどうしようも無い。
いっそさっさと教授のところへ行って、罰則を終わらせてしまおう。
そう思い立って、友人に別れを告げる。
今生の別れにならないといいけど、と言った友人は、私がよっぽどひどい表情をしたのだろうか、ただの冗談だと、急いで私を元気づけるようにそう言った。

エントランスホールから教授の執務室がある地下へと降りる階段は季節を問わず寒々としていて、そこを降りる者の気分を一層深く落ち込ませる。
スリザリンの談話室もこの地下にあるという噂を聞いたことがあるが、一体どうしたらこんな陰気な場所で寝泊まりできるというのだろうか。
地下牢教室のようなスリザリンの談話室を思い描き、そこでの生活を思い浮かべて眉をひそめる。

そんなことを考えながら暗い廊下を進んだ先に、これまた暗い色の木製の扉。
扉の、目の高さより少し上のところに付けられたネームプレートに書かれた名前が教授のものであることを確認し、はあ、とため息をつく。
地下が迷宮のように入り組んでさえいれば、道に迷い続けたまま、ここにつくこともなかったのに、と、階段からまっすぐ進んだ先にあるこの部屋を恨んでみるも、それももう仕方のないこと。
ドアノブに手をかけ、冷たい金属の感触に少し身体がふるりと震えてーー。

「ノックもせずに入るつもりかね」
突然背後から聞こえた声に、うひゃあっ!、と思わず変な声をあげて、くるりと回れ右をした先には、もちろんスネイプ教授の姿。
薬品が詰まっているらしい大量の小瓶と、なんだかよくわからない干物のようなものがたくさん入った木箱を抱えた教授は、少し呆れたような表情をして此方を見下ろす。
動揺が収まらず立ち尽くしたままの私に、そこをどけたまえ、と苛立ったように教授が言い、その言葉で私はようやく脇によけて教授を通した。
教授が扉を開けた先は、やはり地下牢教室とさして変わらぬ陰気さを醸し出していて、壁一面の棚には教授が抱えているのよりもふた回りほど大きい瓶が並び、中では見慣れない生き物がホルマリン漬けされている。
部屋の中央には大きな木製のデスク、その上には生徒のレポートであろう、大量の羊皮紙が積み上げられていて。
その羊皮紙の山と山の間に木箱を下ろした教授が杖を一振りすると、デスクの前に、教室に並んでいるような机と椅子、そして鍋が姿を現した。
座りたまえ、と教授が椅子を指し、私は大人しくそこに腰を下ろす。
教授は羊皮紙の山から一枚を取り、私の前に差し出した。
そこに書かれているのは、 薬品の調合手順。六つ程の手順に分かれたその調合方法自体は、さして難しいものではないがーー。

「君の罰則だ、これを調合した上でその効能を身を持って試したまえ」
スネイプの言葉に、え、と顔を上げる。
決して冗談を言っているわけではないことはこの男の性格上わかっていたことだが、涼しい顔をして此方を見るその姿が、よりそれを証明してみせているわけで。
改めて羊皮紙に書かれた神経質そうな字に目を落とす。
動作は難しくない。難しくないがーー。

ーー罰則にしては、時間がかかりすぎる。
右回りの攪拌を三時間半、次に右左右右左右左の順の攪拌を42度繰り返して…。
ざっと見ただけで、どう考えても今日中に寮に帰れないことは確かで。

「あの、教授、消灯時間がーー」
「ああ…、そのことは障害になるまい」
そのための執務室だ、とにやりと笑ってみせるスネイプ教授に返す言葉など、もはやあるわけもない。



ぐつぐつと煮立つかわいそうないきものたち。
私の手で丁寧にみじん切りにされた彼らは、湯を白濁した混沌に変え、秩序が生まれるその瞬間を待ち続ける。

時計回りの攪拌を一定のスピードで行うよう魔法をかけ、三時間半の経過を待つ。
額の汗を拭い、ずっと立ちっぱなしだった足を休めるため、椅子に再び腰を下ろして息をついた。
束の間の休息。三時間半もの長さがあろうとも、この後の作業を考えると、今の安らぎは一瞬でしかない。
単純な一方向への攪拌ならばこうして魔法で制御することも可能だが、途中で何度も方向が切り替わるものは、切り替えのポイントを一定の場所にとどめるのが非常に困難なため、魔法での制御は普通は不可能なのだ。
少なくとも私には、とデスクの方を見やる。
そこでレポートの採点に取り組んでいる教授はこちらの視線にも気づかない様子で、かりかりと羽ペンを走らせていて。
ーー魔法薬の第一人者とも言うべきこの男は、きっとその制御さえも軽々とこなしてしまうに違いない。
それはもう、可能性の問題というよりは確信に近かったが、そんなことを今聞いても、まともな返答が得られるとは思えない。

それにしても。
新薬の調合なんて自分でやればいいのに。
きっとこの男なら、レポートの採点の傍らでもこの薬を調合できるに違いない。
それをわざわざ罰則にして、居眠りした生徒の休養時間を奪うのが楽しいのだろうか。
なんて意地の悪い教師なんだーー。
そうして怒りを膨らませて、やはりこちらをちらりとも見ない教授に、べー、と舌を出してみせる。
あんたなんか嫌いだ。



いつの間にやら三時間半が経過し、山場とも言うべき攪拌作業へと入るため、再び椅子から立ち上がり、鍋を覗き込む。
液体の色は、黄土。そして臭いも。
これが正解なのかどうかもわからず、助けを求めて教授の方に視線を送る。
ーーやはりこちらを見ていない。

もういいと言わんばかりに杖をひっつかみ、手順通りの攪拌を開始する。
新薬の調合を本当に生徒に任せっきりにするだなんて。
もう薬が爆発しようが何しようが、構うもんか。

そんなやけくその思いとは裏腹に、薬はその色合いを変化させていく。
くすんでは鮮やかに色づき、また色あせては咲き乱れる赤。
香りも、先ほどまでの土臭さはなんだったのかと思うほどの甘い蜜のようなものへと変化し、鼻腔をくすぐる。
攪拌する毎に液体は甘やかなものから官能的刺激へと移り変わり。
嗅覚が犯されるような、濃密な香り。
やがてそれはあらゆる感覚を突き抜け、一つの像を結ぶ。
気持ちの悪いホルマリン漬けも、緑がかった陰気な執務室も、意地の悪い教師も、羊皮紙も、木箱も床も重力さえも、消えてーー。



目を開けた時、まだ夢の中にいるのかと錯覚してしまった。
見たことのない部屋。
橙の灯が周りを柔らかに照らし出し、私が今ベッドに横たわっていることを教えてくれていた。
ぐ、と身を起こすと、小さくスプリンクラーの軋む音。
私は、寝ていたのだろうか。
ここに至るまでの経緯をなんとか思い出そうと記憶を探っていると、きい、とドアが軋むような音。
差し込んだ光の筋を追った先には、見覚えのある細長いシルエット。

目が覚めたか、と声をかけられ、罰則のことが思い起こされて。
「私、倒れて…?」
じゃあ、ここは、と問えば、私の寝室だ、と答えが返る。
スネイプの背後に見える瓶の行列に、ここが執務室からつながる部屋なのだと思い至り、改めて部屋を見渡す。
謎の物体が並べられることもなく、簡素ながらまともな部屋。
地下牢教室とスネイプ、という組み合わせを見慣れた私には意外に思われたが、部屋に何処と無く漂う薬品の香りは、スネイプ教授と廊下ですれ違ったときに感じる香りと確かに同じもののように感じられる。

そうか、ここでこの人は寝泊まりしているのか、としみじみ実感したところで、ふと自分の置かれた状況に立ち返って。
じゃあ、この私が横になっていたベッドは…!

そこまで考えて思考停止したところで、戸口に立っていたスネイプがこちらに近づいてきて。
なんだか恥ずかしいような思いに駆られ、思わず身を小さくしてしまう。
ベッド脇に立った教授が取り出したのは、ほんのりとピンクに染まった液体が入った小瓶。

「これを飲みたまえ」
え、と突然の命令に戸惑いの声を上げてしまう。
「これは君が先ほど調合した睡眠導入薬だ。生ける屍の水薬のように強力で即効性のある毒物ではなく、純粋に不眠症の解決のために私が考えたものだ」
まあ、まさか調合中の蒸気に当てられて倒れられるとは思っていなかったが、と付け加え、スネイプは少し苦々しげに口元を歪める。

「でも、なぜ私が不眠症なのを…」
ふん、と愚問だと言わんばかりに鼻を鳴らし、教授は答える。
「最近の君の調合には正確性が欠ける。そもそも今回のように調合中に居眠りするなど明らかに異常だ。隈は魔法で必死に隠しているつもりのようだがな」
こちらを向いた目が目元を観察するようにじっと動きを止め、まるで目そのものを見つめられているかのような錯覚を覚え、思わず目をそらす。

「じゃあ、なぜ私に…?」
その質問に、教授は少しだけ、ぴくりと口元を動かしたように見えなくもない。
しかし、早く薬を飲みたまえ、と、質問に答えるでもなく、スネイプはもとの表情に戻って、有無を言わせぬ口調でそう言った。
なおも食い下がろうと口を開くも、いいから飲みなさい、と続けざまに言われ、仕方なく小瓶を手に取る。
本当に飲んで大丈夫なのか…?
憎まれているはずの相手から貰った薬を飲み干せというのは、何と言われてもやはり難しいもので。
小瓶を目の前に逡巡するこちらの様子に痺れを切らしたのか、教授は突然私の手から小瓶をぐいと取り上げる。
飲まずに帰してもらえる、と思ったのは束の間、その後の教授の行動は、私の予想を遥かに、遥かに超えていた。
教授はコルクを開けて小瓶の中身を一気にあおり、そのままこちらに身を屈めて。
何か言う隙も無く、唇を塞ぐ、少しかさついた感触。
そのままその隙間から液体が流し込まれ、調合の時よりも柔らかな香りが鼻腔いっぱいに広がる。
あまりのことに硬直したはずの身体が、すぐに緩やかに心地よい脱力感を覚え始めて。
聞きたいことはいっぱいある。でも、今はこのまま――、


その様子を見つめ、スネイプはうつらうつらとしている***を覗き込む。
焦点が定まらない様子の***の黒い瞳は、本当ならば衝撃と怒りで此方をにらみつけてでもいるのだろうか。


「――その薬はお前のためのものだ」

小さくそう囁いて、その頬を少しだけ撫ぜ、再び身体を起こす。
疑問はたくさんあることだろう、私自身でさえどうしてこのような行動に出たのか、はっきりとは分かりかねているのだから。
だがしかし、それはこれから、ゆっくり時間をかけて意味を見いだせばいい。
今はただ――、

「いい夢を、」




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