引き分けドロー | ナノ
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サヨナラだけで終わらせない  




 不死川は後悔している。

 たまたま立ち寄った小さな村。その近くで鬼を見かけ、朝日で焼いて殺した。その村に被害は出ていないか確認するために、不死川はそこを少し覗いてみることにした。
 季節は秋。燃えるような色した葉達が落ちた地面を踏みしめながら、そこへ向かった。その村は随分とのんびりとしていて、鬼のおの字も出なさそうな辺境の地だった。

「鬼が出るんだよ!だって、みのるが言ってたんだもん!」

 そんなのどかな場所で、必死にそう訴える女がひとりいた。それが、苗字名前であった。

「みのるのお父さんとお母さんは鬼に食べられたって!」
「名前、あなたまでやめなさい。みのるちゃんは心が病んじゃったのよ。きっと襲ってきた盗賊が鬼のように恐ろしかったのね」
「違うって!本当の鬼だったんだよ!だって、食べられてた!体の一部が無くなってたじゃん!」

 そう言い募る名前だが、母親らしき女性はそんな彼女にすっかり呆れてしまっているようだった。周囲も哀れみの目で名前を見つめている。悲しい事件ゆえに精神を病み、空想の生き物を作り出したと思われている。なんとも哀れな少女だった。
 だから、つい不死川は声をかけてしまった。みのるという人物を信じては周囲から否定される彼女を、少しでも肯定してあげたかったのだ。
 
「鬼なら俺が倒した」
「え?」

 そのことを今の不死川は深く、深く、後悔している。
 ここで声をかけなければ、名前は不死川についてきて鬼殺隊に入ることはなかっただろう。しつこく引っ付いてくる彼女を無理矢理にでも引き離せばよかったのだ。鬼について説明などしなければ、名前は家族をなくした親友のために鬼を倒そうだなんて思いもしなかっただろう。周囲の言うように、鬼を幻想の存在にしてしまえばよかったのだ。

「一緒に鬼のいない平和な世界にしようね」
「……弱っちいお前にできるかよォ」
「む!この前は1人で任務に行ったもーん!」
「大怪我してきて威張ってんじゃねえよ」
「実弥だってそうじゃん!!」
「俺のは用途が別なんだよ!!テメェと一緒にすんな!!」
「こらこら、2人とも。喧嘩はやめろよ」
「うえーん、匡近ー!実弥がいじめてくるー!」

 名前が鬼のことも、不死川のことも知らずに、あののどかな村で絵を描いて暮らし続けていれば。
 そしたら、きっとあんな無惨な姿で死ぬことなんてなかったのだろう。

 名前、お前は俺なんかと出会わなければよかったんだ。

「私、実弥のこと1人にしないよ、絶対に」

 ごめん。ごめんな。手を合わせて何度も謝罪する。だが、いくら語りかけても、あの元気な声はもう聞こえない。不死川の言葉に反発して噛み付いてくる子犬みたいな喧しさが、酷く恋しい。
 あの時声をかけなければ。鬼の話をしなければ。ついてくる彼女を強く拒めば。匡近が死んだ時、彼女を無理にでも鬼殺隊から追い出していれば。
 そしたら、彼女はきっと鬼のいない世界で、幸せそうに絵を描きながら、生きていたかもしれない。

 そのことを、不死川はずっとずっと、後悔している。







「そんな娘などおりません。とうの昔にどこかヘ行きましたよ」

 その言葉と共に扉がぴしゃりと閉められる。呆然とそれを見つめ、不死川はため息をついた。そして、静かに元来た道を戻る。
 季節は秋。冷たい風が不死川を慰めるかのように、その頬を優しく撫でた。そろそろ日も落ちかけてくる頃。最近では鬼が活発になる夜が早くやってくるようになった。沈みゆく夕日を見つめ、寂しさを覚えた。

「いつまで隠れてる気だァ」

 夕日から視線をそらさずに、唸るようにそう呟けば、夕日と同じ色した木々から音もなく、大きなものが落ちてきた。派手な出で立ち、髪色、目立つ巨体。落ちてきたのは、音柱である宇髄天元であった。

「気づいていたか」
「当たり前だ」

 物陰に隠れ、ひっそりと不死川の後をついてきていた宇髄の気配に不死川は気づいていた。いや、宇髄は逆に自身の気配を気づかせていたのだろう。元とはいえ忍びだ。そんな彼が本気で身を潜ませようとすれば、柱とはいえ不死川でもそれを察知するのは骨が折れる。
 さて、宇髄がそんな面倒な真似をしてまで不死川に近づいた理由。それを、彼はなんとなくではあるが、心当たりがあった。

「……先程の家の者は?」
「テメェに言う義理はねえ」
「名前に関係してんだろ」
「………だったら、なんだァ?」

 そう威嚇するように睨みつける。しかし、不死川が想像していたよりも、宇髄はただ真っ直ぐな目をしていた。真摯に、懇願するように、不死川を見つめてくる。そして、躊躇なく、あっさりとその頭を下げてきた。

「……頼む。名前のことを、教えてくれ」

 そんな目をしないでほしい。そんな引き絞るような声で、彼女の名前を呼ばないでほしい。まるで、鏡を見ているような気分になるから。
 いつもならば不死川の視線の上にある派手な色した頭は、今では見下ろす位置にある。普通ならば見えるはずのないその旋毛を眺め、不死川はため息をついた。
 "実弥は優しいね"と。懐かしい親友の声が聞こえた気がした。

「……名前の幼なじみだ」

 同じ村で育ち、姉妹同然に育った友。それが、みのるという少女だった。名前はいつも得意げに語っていた。村1番の美女で、誰もがみのるに初恋を経験していた、と。

「その友の家族が鬼に殺され、そいつは精神を病んだ。一人ぼっちになっちまったもんで、まだ幼かったそいつは村を出て親戚の元に向かったと聞いた、が…」

 名前はずっと彼女の身を案じていた。元気に過ごしているのか。鬼の脅威に晒されず、平和に生きているのか。どんな男の告白にも首を横に振っていた彼女に、一生を添い遂げたいと思える相手はできたのか。そして、幸せであるのか。
 親友のことをぽつりと零す時、彼女は寂しさを紛らわせるように、筆をとっていた。

ーーーきっと美人になってるんだろうねえ。実弥も一目見たら惚れちゃうかも。

 なんて、会った時と変わらないド下手くそな絵でみのるの姿を描いていた。これでも長い付き合いだ。不死川は名前の描く歪な絵を判別できた。

「そのみのるって女は……?」
「預けられた親戚の家がさっきのところだ。唯一の手がかりだったが、会うことは叶わなかった」

 そう言って、不死川は懐から1枚の手紙を取りだした。宇髄はそれを見て、目を見開く。

「それは……」
「あいつの遺書だ。お館様から預かった」
 
 宇髄が息を飲む。その切れ長の瞳が大きく揺らめいていた。色んな感情が織り交ぜになった目が必死に紙1枚を見つめる。何故それをお前が持ってるんだという嫉妬、大切な存在の一欠片を必死になって愛おしむ一途な情愛、何を書かれているのかという興味、そして、それを知ることへのほんの少しの恐怖。それが、透けて見えた。元忍びの癖に、今の宇髄は随分と分かりやすい。ただの普通の男にしか見えなかった。

「俺は、こいつの望みを少しでも叶えてやりてえんだ」

 だから、不死川はわざわざ名前と出会った彼女の故郷の地に向かった。名前は会えなくなってしまった親友を気にかけており、また勝手に家を出ていってしまったことで家族に対して大きな罪悪感を抱いていた。そのことも、遺書に残っている。それを見て、不死川は彼女の"悔い"を晴らそうと動いたのだ。
 名前の死を知った彼女の母親は泣き崩れ、「信じられない」と不死川を罵った。勝手に出ていったことに対して名前が悔いていたこと、そして鬼殺隊へと連れ出してしまったことへの詫びを告げて、不死川は母親に頭を下げた。名前の死を認められぬ母親は、名前の遺骨を拒絶したが、きっとそれも愛の形のひとつであろう。
 名前の兄は、「そうですか」と静かに呟き、みのるが引き取られた場所を教えてくれた。不死川が礼を述べ、背中を見せてしばらく歩いたあと、後ろを振り返れば、彼女の兄は蹲り声も漏らさず泣いていた。
 名前は愛されていた。それを感じられただけでも、不死川は十分だった。
 
「お前は、名前のことをよく知っているんだな」

 宇髄は空気を吐くように、そう呟く。取り繕うとしたそれは随分と固くなっていたが、節々から隠しきれぬ羨望と自嘲が見えた。

「……テメェよりはな」

 でも、と。内心言葉を続ける。不死川は脳裏には頬を赤らめて笑う彼女の姿が鮮やかに焼き付いていた。

ーーー実弥、私ね、好きな人出来た。

 そうはにかむ彼女の姿はまさに恋する乙女そのもので。そんないじらしい姿を不死川は初めて見た。
 確かに不死川しか知らぬ名前の一面もあるのだろう。だが、それと同時に不死川は知らない、宇髄だけが知る名前の一面もあるのだ。それだけでは飽き足らず、もっと欲しいと望むのは、あまりにも傲慢だと思えた。
 彼女は、宇髄の元にその心を明け渡していたというのに。

「ひとつ聞く」

 不死川は拳を握った。ひゅるりと、不死川と宇髄の間に一陣の風が吹く。

「宇髄、お前は、名前のことをどう思っていた」

 宇髄の指の先がぴくりと動く。それを視界の端に捉えながら、不死川は真っ直ぐに宇髄を見つめる。逃げを許さないと言わんばかりに。

「……それは、どういう意味だ?」
「あいつは、お前を慕っていたぜ」

 ストレートな言葉に、宇髄は虚を突かれる。もしや、あれだけ分かりやすいアプローチに気づいていなかったのかと不審に思うが、すぐにそれは違うと断じた。
 宇髄は名前の想いに薄々気づいていた。だが、彼はその感情に無意識に目を逸らしていた。ぬるま湯に浸ったような優しい日常に甘えていたのだ。だから、名前の感情に驚いている訳ではなく、直視するしかない真実を突きつけられ、心を大きく揺さぶられているのだろう。

「お前の1番は3人の女房なんだろう」
「……ああ」
「名前は、それと同等か。あるいは、それを上回るか」
「……否、だ」

 その答えを耳にした瞬間、不死川は握っていた拳をそのまま宇髄の頬にぶつけた。だが、さすが柱と言うべきか、渾身の力でぶつけた拳を受けながらも、宇髄はその場で膝をつかず、持ちこたえた。いや、きっと避けられたはずだ。それを、宇髄はわざと受け止めたのだ。ムカつく野郎だと、不死川は内心吐き捨てた。

「あいつの男を見る目は最悪だな」
「……なんでだ。派手に最高だろうが」

 不死川は背を向けた。これ以上、この男に言うことは何も無いだろう。そんな不死川を引き止める声が背後から聞こえた。

「1番にはなれねえよ。俺の中の優先順位はもう既に派手に決まっている。俺は、何があっても3人の女房を優先的に助けるぜ」
「……そうかい」
「1番にはなれねえよ、でも」

「名前は、あいつは、俺にとって特別だった。それだけは紛れもなく、真実だ」

 そう告白する宇髄の声は、あまりにも苦しげで、そして泣きそうになるくらいに優しかった。
 名前の言っていた言葉をふと思い出す。恋とは、嬉しくて楽しいのだけれど、それと同時に苦しくて切ないのだと。胸がホワホワとして踊るけれど、きゅーっと痛くなることがある。胸に手を当てて、そう語っていた彼女は、やっぱり不死川の知らない顔をしていた。
 今でもそうだ。目の前にいる宇髄は不死川の見たことのない顔をして、普段ではありえないような醜態も晒している。
 どうやら恋とは儘ならぬものらしい。なるほど、そうか、そういうものなのか。不死川はこの時ようやく、3人の嫁がいる宇髄に無謀な恋をしていた名前の想いが、ほんの少しだけ理解出来た気がした。

「……そうかい」
 
 不死川は口元だけ笑みを浮かべた。名前の淡く色づいた頬が少しでも報われた気がしたのだ。

「……お前は、どうなんだ?」
「あ?」
「同期なんだろ?喧嘩する度にこっちに泣きついてきてたんだぜ」

 じとっとした目で見つめられ、不死川は喉を鳴らして笑った。
 子供の意地の張り合いのようなもので、不死川と名前の喧嘩は思いの外長引く。その度に匡近がそれを取り持っていたほどだ。しかし、名前は突然喧嘩した次の日に1人で不死川の元に訪れ、自ら仲直りをしてくるようになった。機嫌を治すには早い期間だと不思議に思っていたのだが、その理由が今わかった気がする。

「昔、約束したんだ」

 今でも思い出す。親友の優しい声を。柔らかな笑顔を。ボロボロな姿でぐーすか寝こける名前の頭を撫でながら、不死川の前に出された匡近の小指を。

「妹みたいなこいつを、今度こそ守ってやろうって」

 下の兄弟を亡くした者同士だからこそ、誓い合った約束だった。失った影を追いかけるように、彼女に亡くした兄弟たちの姿を重ねていた。
 それは、守ることの出来ない約束だったけれど。この誓いを、守ろうという意思を、忘れたことは無い。

「……鬼は、全てぶっ殺す」

 鬼は全てを奪っていく。大切な家族を、友人を、仲間を。善良な人間から次々といなくなっていく。そんなこと許せない。許せるわけなどない。
 全ての元凶を倒す。消す。殺してやる。それまで、不死川はこの命の灯火を燃やし続けなければならない。

ーーー一緒に鬼のいない平和な世界にしようね。

 そうカラコロと笑う声が今でも耳の中で鳴り響く。
 ああ、してやるさ。お前の望んでいた世界に、お前の親友が何処かで平和に過ごして行けるように、お前のような目に遭う人がもういなくなるように。
 この憎しみを忘れやしないだろう、絶対に。

「そうだな」

 宇髄も不死川の怒りに静かに同意した。
 そして、その怒りに同調するように燃える夕日が沈んでいく姿を、2人は無言で静かに眺めていた。


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