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この手に空は届きそうだった


 神様にお礼を告げるにはどうしたらいいのだろう。名前は祖母に尋ねた。父や母はまた変なことを言っていると取り合ってくれないので、名前は和やかな笑顔で何でも受け入れてくれる祖母にだけ相談をしてみた。
 すると、彼女はお供え物がいいんじゃないかしら、と。ゴソゴソと曲がった腰で、冷蔵庫の中を漁り始めた。そして、あらあらと小首を傾げながらも、名前の元にあるものを差し出す。

「これしかなかったわ。仕方ないから、これでお礼をしなさいな」
「わかった!」

 名前はそれを受け取ると、姉からのお下がりとして貰い受けたバッグの中に詰め込み、元気いっぱいに外を飛び出して行った。それを、祖母は優しい眼差しで見送ってくれた。

「神様ー!どこー!神様ー!」

 名前はあちこち走り回る。人通りの多い町中。薄暗い路地。ゴミ箱の中。誰かの秘密基地。自販機の下。隅々まで探した。神様神様神様と連呼しながらも、チョロチョロと動き回る名前を、周囲は奇妙な目で見てきたけれど、やはり目当ての人物は見つけられなかった。
 やはり神様だから気軽に会えないのだろうか。会えたのも奇跡みたいなものなのかもしれない。それなら、2回も会えた自分はなんて幸運なんだろう!そう喜んだ後、名前はすぐさま肩を落とした。
 だって、それだと名前は非常に困るのだ。何せ名前はこの前助けてもらったお礼をしなくてはいけない。そして、あわよくば神様と仲良くなりたいと思っているのだ。奇跡は頻繁に起きないからこそ、奇跡と呼ぶ。もう二度と会うことがなかったら、どうしよう。
 名前は、ふう、とため息をついた。バッグの中が重い。一度休憩をしようと、川沿いの土手に腰を落とす。さらさらと流れる川の音が心地よく、吹く風も大変涼やかだった。空は青く何処までも澄み渡っている。あの果てに、神様がいるのだろうか。遠すぎて、小さな名前には届かないように思えた。

「何黄昏てんだよ」
「うぎゃっ!?」

 すると、背後から突然かかってきた声に、名前は体を跳ねさせる。あ、でも、この鈴のような声は、と。名前はぐるりと首を回して、慌てて背後を振り返った。

「驚きすぎだろ。無防備なやつだな」
「神様だ!!!!」
「は?」

 そこには、名前がずっと探していた神様の姿があった。白い髪が絹のように1本1本きめ細やかに揺れている。名前を映すその瞳は、つるつると艶がかかっていた。やはり、何度見ても彼は綺麗だった。
 すると、神様は名前の突拍子と無い発言に、何言ってんだこいつ、と言う感情をそのまま表現するかのように顔を歪めた。形の整った眉尻が引くついている。それを気にすることなく、名前はとりあえず彼の手を強く握った。

「お願い!まだ消えないで!」
「何言ってんだお前。頭大丈夫かよ」

 手は簡単に振りほどかれた。というより、掴んだ気はしたけれど、避けられたみたいだった。なんだろう、不思議な感覚だ。
 だが、避けられたのならば仕方が無い。とりあえず1番優先すべき用件だけを消える前に告げようと、そそくさと動いた。

「神様、この前は助けてくれてありがとう!これは、そのお礼!!」
「待て。その前に色々と突っ込みたいところがあるんだが」
「家にはこれしか無かったから!これでお許しください!!」
「聞けよ」

 名前がバッグから取りだし、神様に押し付けたもの。それは、何処か懐かしさを覚える形をしたラムネであった。冷蔵庫から出して、随分と時間が経ってしまったせいか、瓶は生温くなってしまっている。神様はそれを受け取り、不思議そうな顔をしてみせた。

「これ、ラムネ?」
「うん!」
「へえ」

 神様はラムネに多少興味を持ったのか、名前の隣に座り込んだ。しゅわしゅわと控えめに泡を浮かばせる透明の瓶を、彼は楽しげに眺めている。それが人離れした見目の割には、年相応な幼い表情に見えて仕方がなかった。

「私の分もあるから一緒に飲もー!」

 名前はバッグからもう一個ラムネを取り出して、ニコニコと笑った。神様は好きにしろとだけ呟いた。
 名前はリングから玉押しを外すと、それで瓶を蓋しているガラス玉を押した。ぐりぐりと何度か続けていると、ガラス玉が瓶の中に落ちていく。すると、しゅわしゅわとラムネが溢れ出てきたため、名前は慌てて口付けて飲んだ。走り回ったせいで、瓶の中の炭酸に刺激を与えてしまっていたらしい。飲みきれず口から漏れた透明な液体が、顎から首を伝って落ちていく。勿体ないな、と少し落ち込んだ。

「神様は飲まないの?」
「飲むに決まってんだろ。静かにしてろ」

 神様は眉をきゅっと寄せて難しい顔をしながら、名前と同じような手つきで玉押しを用いてガラス玉を瓶の中に落とし込んだ。覚束無い手つきとあまりにも真剣すぎる眼差しが、ちょっと面白かった。しかし、神様は名前と違って、ガラス玉をゆっくりと少しずつ落とし込んだからか、中の炭酸はしゅわしゅわと激しく弾けることはなく、平和に開封を終えていた。神様は自慢げに笑みを浮かべる。なんか悔しい。

「美味しいねえ」
「……悪くねえな」

 返ってきた言葉に名前はニコニコと笑った。憧れの神様とこうしてお話が出来ることが、とても嬉しくてたまらなかったのだ。神様はそんな名前を横目で見て、そして、すぐに逸らした。アホ面、との辛辣な発言と一緒に添えて。

「神様って、なんだよ」
「え?神様のことだよ」
「俺の事だよな」
「うん」
「なんで?」
「だって、目に見えない悪いやつをやっつけて私を助けてくれたし、いつの間にか現れて、いつの間にか消えてるから!きっと神様だって思ったの!」
「単純すぎるだろ」
「えへへー!」
「褒めてねえぞ」

 カラコロ。カラコロ。2人で音を鳴らしながら、ラムネを飲む。口の中で弾ける炭酸とは違い、酷く穏やかな空気がただ静かに2人を包み込んでいた。ずっとこのまま時間が止まってしまえばいいのにな、と子供ながらの思考に溺れる。名前はずっとにやけっぱなしだった。

「それにね、綺麗だから」
「綺麗?」
「うん。神様、私が見てきた中で一番綺麗なの!!」
「ふうん」

 神様はガラス玉を瓶に詰まらせることなく、器用に傾けている。濡れた唇を薄い舌がぺろりと舐めた。その仕草もやはり様になるものだった。
 その横顔にうっかり見惚れていると、名前が傾けていた瓶の口にガラス玉がコロコロと転がってきた。口の中にラムネが入ってこなくなったことに暫くしてようやく気づき、1度瓶を真っ直ぐに立てる。水泡を引っつけた玉はふわふわとまた静かに沈んでいった。

「お前、馬鹿だよな」
「え!?突然酷い!」
「事実だろ」
「馬鹿って言った方が馬鹿なんだよ!」
「餓鬼かよ」
「餓鬼だもん!!神様もじゃん!!」

 むう、と口を尖らせていると、隣に座る神様はケラケラと笑っていた。それを少し意外に思う。だって、彼が案外普通に笑うものだから。端正な顔がくしゃりと歪んで、目元に皺ができる。綺麗だけど、笑うと可愛いんだな、と胸がドクドクと激しくなった。
 なんだろう、この感じ。初めての感覚に、名前は首を傾げる。何だか気恥ずかしくなって、ラムネを一気に煽った。

「中のビー玉、欲しいけどなかなか取れないんだよねー」

 全てを飲み干し、空になった瓶の中で1人寂しく取り残された透明の玉を見つめる。手を振った。すると、瓶の中のガラス玉はカラカラと簡素な音を鳴らす。

「それ、欲しいのか?」
「うん。とれたら嬉しい!!」
「じゃあ、取ってやるよ」
「えっ!できるの!?」
「俺をなんだと思ってるんだよ」
「神様!!」
「そういうこと。目、瞑ってな」
「? うん!!」

 神様に言われたとおり、名前はぎゅっと強く目を瞑る。その拍子に一緒に唇も突き出ていたらしく、神様は変な顔、とクスクスと空気を震わせていた。それに、ますますへそを曲げ、口もどんどん突き出てくる。すると、噴き出す音も聞こえてきて、早くしてよ!と叫んだ。

「いいぞ、目をあけろ」
「うん!!」
「ほら」

 ころ、と掌の上に転がるもの。それは、ちょっと濡れてベタついたガラス玉だった。硬い瓶の壁を破って、名前の手の上でコロコロと踊っている。わあ、と名前の目がチカチカと輝いた。

「嬉しい!!神様、ありがとう!!」
「ふん、大袈裟なやつだな」

 なんてことないかのように言うけれど、ほっぺたを赤くして無邪気にはしゃぐ名前を見て、神様は何処か得意げにその美しい目を緩めていた。太陽の光を集めたその色は、今目の前で流れる川のように光を薄く反射させていて、少し眩しい。飲み終わったはずのラムネがまたカラコロと頭の中で鳴り響く。

「神様の目はこのビー玉みたいだね」
「あ?」
「ほら、見てて」

 そう言って、名前はガラス玉を空に掲げる。すると、インクを水に垂らしたかのように、透明な色したガラスに空の青がじんわりと溶けていった。するとただのガラス玉が、とても高価な宝石のように見えてくる。今、隣にある瞳と同じように。すごく、すごく、綺麗なのだ。

「これ、神様の目だと思って、大事にするね!!」
「それもそれでどうなんだよ。まあ、いいけど」

 大事そうにガラス玉を握りしめる名前を見て、神様は何処か眩しそうに目を細めた。手に届かない遠いものを見つめるような、自分に無いものを見つけて羨むような、そんな眼差しだ。
 名前はそれが何故か寂しく思えて、神様、と呼んだ。神様はそれに答えなかった。細めた目を1度閉じ、ゆっくりと立ち上がった。

「神様、もう行っちゃうの?」
「帰らないとうるせえ奴らがいるからな」
「また、会える?」

 そう尋ねると、2つのガラス玉が驚いたように、ほんの少しだけ揺らいだ。名前は祈るようにそれをじっと見つめる。

「五条悟」
「え?」
「俺の名前」

 五条悟。神様にも名前があるのだという驚きよりも、その名前までもが綺麗な響きをしているのだと、名前は不思議な心地に襲われた。何度だって口にしたいのに、それが少し勿体なく感じてしまうのは、何故だろうか。

「じゃあ、悟くんだ!!」
「一気に距離が近くなったな」
「えへへ、悟くん、また会おうね!!」
「……気が向いたらな」

 瞼を伏せる。綿毛のように何処かへと飛んでいきそうな白い睫毛が優しく揺れていた。遠かった空の果てが、そこに閉じ込められている。今この手の中にあるガラス玉みたいに、案外空は近いところにあるのかもしれないと思った。