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種はしぶとく根を張る


 季節は冬前。吐いた息が白くなり始めた頃だ。綺麗なのは月だけで、それ以外の汚いものは夜の闇が隠してくれる。そんな夜だった。

「そういえば、もう進学先は決めたのかい?」
「ううん、まだー!でも一応近所の高校は受験しようと思ってるよー!」

 名前は手に持っていた刀を振るい、刃にへびりついていた呪いの肉塊や血液を落とした。その刀身を鞘に仕舞う。そして、その辺に飛ばされて転がるサンダルを取りに行き、足を入れた。
 それを、一人の女性が眺めていた。細い体の割には大きな得物を手にして、クスクスと鈴を転がすような笑い声を零している。汚れまみれの名前とは反対に、彼女は身だしなみ1つ崩れておらず、綺麗な姿が保たれていた。

「それなら、呪術師の学校に興味はないかい?」
「呪術師の?」

 初めて聞く情報に名前は目を瞬かせる。呪術師に教育機関があることすら初耳だった。
 そんな名前の心の内など、彼女は手に取るように分かるのだろう。皆最初から呪いを祓えるわけじゃないからね、と正論を告げ、名前の頬に着いた汚れを拭った。
 上から下まで綺麗な身なりをしていた彼女の指が、赤く汚れる。それを見て、名前は申し訳なく思ってしまった。

「私でも行けるの?」
「適性があればね。私から手続きは進めてあげるよ」
「いいの!?私、めちゃくちゃお世話になってるのに、更に面倒かけちゃうや」
「将来への投資さ。君と、君の神様へのね」
「私と、悟くんの…?」

 指に着いた赤を、彼女はペロリと舐める。その仕草ひとつに女としての色気が遺憾無く含まれている。純粋に綺麗な人だな、と名前は1枚の絵画を見ているような気分にさせられた。

「神様に会いたくないかい」

 彼女の一言に、名前の全てが引き込まれた。
 神様。名前の心を捧げた唯一の人。彼に会いたくないか、なんて。そんなの、答えは考える間もなく決まっている。

「会いたい!悟くんに、会いたい!!」

 掴みかからんばかりの勢いで、名前は必死になって答える。そんな名前を見て、彼女は笑みを深めた。





 透けるように白い髪と肌。サングラスの奥に隠された、空よりも美しい瞳。そして、世界を見下ろす冷めた眼差し。想像よりも、随分と背丈は伸びている。人の目を集めるために生まれたと言っても過言ではないほどに、綺麗に整えられた顔立ちに息が詰まってしまいそうだ。圧倒的強者として君臨する、異彩な空気は彼を彼たらしめるもの。
 窓の外にいる鳥が緊張感の欠けらも無い鳴き声を漏らしては、忙しなく飛び去った。それも、耳に入らない。目に映らない。名前の世界に光が差し込む、この瞬間。
 心が叫ぶ。体が震える。だって、間違いない。彼が、彼こそがーーー。

「悟くん!!!!」

 五条悟。名前の神様。
 少年から青年に成長して大きくなったとしても、離れていた時間が記憶を薄れさせていても、名前が心を傾けていた神様は相変わらず変わらなかった。
 会えた喜びに、興奮に、感情が素直に体を動かす。全開の笑顔を浮かべて、彼に手を伸ばした。感動の再会を祝福するように。自分の世界を抱きしめるみたいに。
 しかし、それは何かに阻まれるみたいに、届かずに止まる。名前は突然の出来事に、目を丸くさせた。

「何?五条と知り合いだったの?」
「は?んなわけねーだろ。知らねーよ、こんなちんちくりん」
「知らない!?っていうか、ちんちくりん!?」
「ちんちくりんだろ」

 そう言って、五条は感情のない眼差しで名前の体を上から下まで舐めるようにして視線を動かした。そして、はあ、とこれみよがしにため息をつかれる。なんだその反応、しつれいすぎるだろう。

「君が遅れて入学してきた、私達の同級生ってことで間違いないかな」
「うん!!」

 五条との間を隔てる見えない壁のようなものに、力を入れて手を伸ばす。しかし、五条はそんな名前に対して何処吹く風な態度だ。それに加え名前の手は彼に届く気配が全くない。なにこれ、どうなっているんだ。名前はうー、と唸った。

 無事に高専にたどり着いた名前は、担任に連れられて、これから共に学び、共に呪いと戦う仲間の元へと連れられた。そこにいたのは、3人の生徒。名前と同学年の生徒となる人物たちであった。
 その中には、神様はもちろんのこと、先程煙草を吸っていた女の子もいた。名前と目が合うと、手を挙げられ、そして口元に人差し指を置いて、しーっと言う仕草を見せられた。喫煙を秘密にしろということなのだろう。名前はこくこくと頷いた。
 もう1人は、艶のある黒髪をお団子の形で結っている青年だった。物腰は柔らかく、話口調も優しいものだが、こちらを探るような底の見えない黒々とした目がちょっと怖いなと思った。

「悟は基本的にひねくれているからね。誰にだってこんな態度さ。気にしなくていい」
「おい、傑、どういうことだよ」
「え!? たしかに昔は口悪かったけど、性格まで悪くなっちゃったの!?」
「あ"ぁ"!? 出会い頭にいい度胸してんな」

 傑と呼ばれた青年に肩を叩かれ、慰められる。強い警戒の色を宿した透明な瞳がこちらを射抜くのを見て、名前はそこでようやく悟った。

 神様は名前のことを覚えていない。

 確かに名前と五条が顔を合わせたのは数回ほど。それも、昔の話だ。彼と離れていた年月は随分と長い。名前がこれまで知らなかった呪いの世界に触れて、多くの知識と経験を積み重ねてきたのと同様、五条も彼自身の人生を積み重ねてきたに違いない。名前との思い出がそれに潰されて、忘却の彼方に消え去ってしまっても、おかしくはない話なのだ。

「あーあ、今日来たばかりなのに、そんな態度されたら、落ち込んじゃうじゃない?」
「は? そんくらいで心折れるくらいなら呪術師向いてねーよ。今すぐやめてここから出ていけば?」
「悟、君は少し協調性を身につけたほうがいいね」
「お得意の説教か? 話なら表で聞いてやるよ」
「寂しんぼか?」

 仕方がないことだ。そう割りきれたらいい。しかし、それでも正直にいえば、名前は少しショックだった。名前が五条のことを覚えているから、同じように彼も名前のことを覚えてるものだと信じ込んでいたのだ。なんだこれ。ちょっと恥ずかしい。そして、悲しい。
 でも、でも、でも。

「ふ、ふふ、ふへへへへへ」
「……笑ってないか?」
「イカれてんな」
「五条のせいじゃない?」
「なんでだよ」

 笑いが込み上げる。胸が踊る。今ここで地面を蹴って跳ねれば、宇宙にまで飛んで行けそうな気分だ。
 そんな名前に、3人は引いたような顔をしていた。そりゃそうだ、笑う要素は1ミリだってありはしないはずの状況だもの。
 でも、名前は笑っていた。嬉しくて仕方がないのだと、幸福がここにあるのだと、言わんばかりに。

「なら、改めてまた友達になろうよ、悟くん!!」
「は?」
「私、苗字名前!好きな人は悟くん!!よろしく!!」
「話聞けや。しかも、どさくさに紛れて告白までしやがって」
「ほら、悟くんも挨拶しなきゃ!」
「やだね」
「え!?なんで!?」
「お前、俺のこと知ってんだろ。じゃあ、必要ねえじゃん」
「でも、挨拶されたら返すのって礼儀じゃん?」
「何真顔で正論ほざいてんだ」

 五条の眉がぴくぴくと動く。それでも、名前はニコニコとした笑顔を絶やさずにいた。二人の間にある温度差が酷い。ある意味大物だな、と誰かが呟いた。

「いいじゃないか、悟。挨拶は基本だよ。これから一緒に戦う仲間だ。そう邪険にするものじゃない」
「うぜ」
「私は夏油傑。よろしくね」
「傑くんね!よろしくー!前髪いいね!似合ってるよ!」
「あ、うん?どうも?」
「次はタバ……ゲフンゲフン!さっき助けてくれたお姉さん!」
「誤魔化し方下手くそじゃん。家入硝子。よろしく」
「しょーこちゃんね!よろしくー!泣きボクロに色気があっていいね!美人さんだね!」
「お前、一人一人にコメント残さねえと死ぬ病気にでもかかってんのか?」
「次は悟くんだよ!」

 キラキラとした目が五条に向く。五条は舌を出すが、じーっと下から見上げてくる視線が変わることは無い。
 うげえ。
 ニコニコ。
 うげえ。
 ニコニコ。
 二人の間の効果音を表すならばこれが適切であろう。両者1歩も譲らぬ熱い戦いである。
 しかし、そんな我慢比べに先に根をあげたのは、五条であった。はあ、とため息をついて、頭を落とす。さら、と星が流れたみたいに髪が揺れた。

「……五条悟。よろしくはしねえぞ」
「うん!!よろしく!!」
「少しは話聞けよ、ホント」

 踏み潰したはずの芽が、顔を出す。少し溶けた雪の隙間から、健気に、懸命に、愛らしく。春なんて、一生来なくてもよかったのに。神様はそう目を伏せた。