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埃かぶった青い春



※死ネタが含まれていますので、ご注意ください。


 人が恋に落ちる瞬間なんて、案外呆気ないものだ。

「はあ、だりい」
「悟、そう言うな。こういった力仕事ができるのも今学校には私たちしかいないみたいだし」
「1年は?」
「任務だよ」

 学校の廊下を五条と夏油の最強コンビはのんびりと歩いていた。長すぎる足を持て余した2人のゆっくりとしたスピードというのは、普通の人間からしたら普通のスピードとなるわけなのだが。そんな彼らの手には大きなダンボールが2つ、3つほど乗せられている。これが、五条のげんなりとしている原因だ。
 丁度任務がなかった2人は、この呪術高専で教鞭を振るう夜蛾から、この箱を資料室に持っていくように頼まれた。面倒ごとはごめんだと逃げの一手を打った2人だが、つい先日起こした揉め事を引き合いに出され、渋々と受け入れたのだった。ちなみにコソコソと時期学長だからって浮かれすぎだの、人使いが荒いだの陰口を叩いていたら、拳骨を貰ったのは致し方あるまい。

「資料室ってあまり来たことねえな」
「まあ、わざわざ行く理由もないしね」

 夜蛾から借り受けた鍵で資料室の扉を開ける。扉を開けた瞬間に漂う古臭い埃の香りに、2人して顔を顰めたのは言うまでもなかった。

「汚ねぇなあ。早く置いて行こうぜ」
「そうだね。電気はどこだろう」
「この辺に置いときゃいいだろ」
「先生からまた指導を受けたいのなら、それでもいいんじゃないか」

 資料室の中は真っ暗だった。窓は分厚いカーテンで隙間なく締め切られているようで、重苦しい空気を漂わせている。夏油が手探りで灯りのスイッチを入れる。パッと点いた電気で室内は明るくなったが、その光も何処か薄暗く心許なく思えた。

「机に置けばいいのか?」
「そうだな」

 資料室はたくさんの棚が壁に敷き詰められていた。どの本棚にもノートやファイルのようなもので埋めつくされている。掃除はされていないのか、天井の隅には蜘蛛の巣が張り、ダンボールを置いた机の上も埃で白くなっていた。ここにいたら体調が悪くなりそうだ。早々と退散しようとしたが、五条は興味を惹かれたらしく、棚の本を眺め始めた。相変わらずマイペースな男である。

「何を見ているんだ?」
「滅多にここって来ないだろ。何か面白いもんねえかと思ってな」

 気まぐれな五条らしい理由だ。彼は1冊の本を手に取り、それを棚から抜きとる。ふわっと舞った埃に、うげ、と声を漏らしながら、手でパタパタと煽る。こちらにまで被害が来たものだからたまったもんじゃない。

「これ、アルバムか?」
「多分私たちよりも前の生徒なんだろうね」

 五条が手に取った本はアルバムだったらしく、今よりも画素数が少なく色も褪せた写真が、1枚1枚のページに並べられていた。今と制服は変わらないようで、黒い服を身にまとった男女数人が映っている。笑っているものがほとんどで、時折こちらに手を伸ばし焦っていたり、眉間に皺を寄せ怒っていたり、様々な表情が様々なページの中でカラコロと踊っていた。呪霊と戦う学生とは思えぬほど、どの写真も普通の楽しい学生生活の一コマに見えて、夏油は自然と口元を緩める。しかし、ページの途中から映らなくなった人を見つけ、夏油は緩めた唇をほんの少しだけ噛み締めた。昨日笑いあっていた仲間が明日には帰らぬ人になったなんてことは、ここではよくある話だ。

「……悟?」

 すると、ふと五条の手が止まった。ある1ページに手を添え、サングラスの奥にあるガラス玉がある写真を穴が空くほどに凝視している。その只事ではない様子につられ、彼の見つめる写真に視線を流した。
 すると、そこにはくまのぬいぐるみを手にして、幸せいっぱいに笑う女子生徒が映っていた。何かの祝い事だったのか、同じページにはケーキに刺さった蝋燭に息を吹きかける彼女の姿や、そのケーキをハムスターみたいに頬張る姿、皆でグラスを合わせて乾杯する姿が見受けられた。何気ない幸せが散りばめられた光景に、写真もいいものだな、と夏油は心が温かくなった。夏油自身もいつかこの青春の日々をなかなか悪くなかったと振り返ることが出来るのだろうか。今はまだ分からない。

「……こいつ、今何してんだろうな」
「え?」

 ふと横を見る。五条はサングラスを外していた。真っ白すぎる肌をほんのりと色づかせ、目に浮かぶ青も溶けてしまいそうなくらいの熱を宿して、写真の中で笑う少女を優しく撫でる。それは、まるで美しいものを見てすっかりと心を奪われ、惚けてしまった人間のような顔だった。その横顔を見て、夏油は思わず唾を飲み込む。

「悟、君、もしかして……」

 この時夏油は自身の親友が恋に落ちた瞬間を目の前にしてしまった。名前も、生きた時代も、今何をしているのかもさっぱりと分からぬ、写真の中でただ満開な笑顔を咲かせる、花のような彼女に。





「先生」
「夏油か。どうした?」
「これについて聞いても?」

 夏油は一枚の写真を懐から取りだし、夜蛾に見せた。そこには、少し厳つい見目をした青年と、表情豊かな少女が、2匹の小さなパンダのぬいぐるみを持って身を寄せあう姿が映っていた。青年は恥ずかしそうな顔を見せ、少女はそんな彼の肩を組んで弾けるような笑顔を浮かべていた。それを見た夜蛾の瞳が小さく揺れ動いた。

「資料室からか」
「そうです。これ、夜蛾先生では?」
「そうだ。如何にも俺だ。よく見つけだしたものだな」

 夏油が指さした人物。それは、写真に映る青年だ。それは、今目の前にいる担任と比べれば多少の初々しさを感じられるが、その面影はどうしようもなく消せない。このパンダのぬいぐるみも恐らく当時の彼のお手製のものなのだろう。今よりも不出来で不格好だが、その名残を感じられる。

「先生の学生時代ですか」
「そうだ。同期がどうも写真に撮りたがる性分でな、俺たちの学年だけアルバムが数冊できるほど写真が溜まっていた」
「え、あれ以外にも?」
「探せばあるだろう」
「でも、写真を撮ろうだなんて、珍しい呪術師もいたものですね」
「呪術師にしては珍しい根明だったからな。人懐っこくて同期だけでなく先輩や後輩とも仲良くしていた。灰原と少し似ているかもしれん」
「それって、もしかして」
「ああ。俺の隣に写ってるこいつだよ」

 夜蛾は優しく目を細めて、自身の隣に写る少女に指を乗せた。それに、確かにそうだろうな、と夏油も納得した。五条と共に見たアルバムの中でも、彼女はこの世の綺麗なものしか知らぬような顔をしていつも笑っていたから。

「名前。懐かしいな」

 名前。それが彼女の名前らしい。この笑顔に似合う、綺麗な響きだと思った。
 夜蛾の目がどこか遠い所へ向かう。夏油たちの知らぬ、彼の青い春の元へと意識が飛んでいるのだろう。ふ、と笑う顔は、アルバムで見た若かりし頃の彼のものと同じだった。

「彼女は、今ーーー?」

 夏油の問いに、夜蛾は瞼を下ろす。傷ついた瞳を生徒から隠すように。失った青い春から逃れるように。そして、静かに首を横に振った。それが、答えだった。
 呪術師にとって死とは身近なものだ。呪術師に悔いのない死などない。そう語る彼は、その言葉通りの現実をずっと目の当たりにしてきたのだろう。
 それは、何も素知らぬ振りをして笑う彼女も同じだったのだろうか。だから、自分はそうでなくともせめて他の誰かは、悔いが無いと思えるような、そんな何気ない幸せをこうして写真という形に残そうとしたのかもしれない。





 夏油は資料室の扉を開ける。相変わらず埃っぽい香りだ。しかし、そんな彼の頬を新鮮な味をした空気が優しく撫でた。

「悟、またここにいたのか」
「おー」

 資料室のカーテンは開かれ、閉ざされていた窓は全開となっていた。入り込んでくる涼しい風に、机の上に乗っていた埃が舞う。まるで、雪みたいだ。そんなに綺麗なものでは無いけれど。
 五条は机の上を椅子替わりにして座っていた。座るところだけは埃を払ったのだろう。床にその塊が落ちている。彼の手には、つい先日開いていたものとはまた別のアルバムが開かれていた。恐らくそこにも、彼女はいるのだろう。

「鍵を勝手に持ち出すなよ」
「ちゃんと返してるからいいだろ」

 五条はぼんやりとした返答だけをよこした。その視線はずっとアルバムにしか向けられていない。優しげに細められた青い瞳は、写真の中の彼女を愛おしげになぞる。それを見て、夏油は掌を握った。
 言うべきか、黙っておくべきか。夏油は親友のために悩んだ。彼の想いを傷つけたくない。親友としては、応援したいし、大事にして欲しいとも願う。だが、相手が相手だ。今の五条は、正しく過去の亡霊に取り憑かれた、哀しき愛の奴隷でしかない。
 真実は必ずしも正しいとは限らないのだ。誰かを救うこともあれば、誰かを傷つけることだってある。それを知っている。だからこそ、夏油はーーー。

「悟、その人はーーー」
「こんなに綺麗に笑う人、初めて見たんだ」

 そう語った彼のそれは、恐らく初恋なのだろう。風に揺られた白い髪はこんなにも美しかっただろうか。ガラス玉を通して見た海のような瞳はまるで太陽を反射したみたいに、あまりにも眩しい。いつもは誰かを煽るような意地の悪い笑みは、誰かを慈しむのを覚えたばかりのぎこちなさしか感じられぬ微笑みだった。五条を知るものがその顔を見れば、悲鳴をあげるか、笑うか、薄気味悪がるかのどれかだろう。恋をすると、人は美しくなると聞く。それを、身をもって実感した瞬間だった。
 そうだ。この最強は、夏油の親友は、恋をしている。

「で、何か言ったか?傑」
「……ああ、いや」

 夏油も五条の隣に腰をかけ、アルバムを覗き込む。アルバムの中には、交流会の後なのかボロボロな状態でピースサインで笑う彼女の姿があった。その横には、若き夜蛾もいる。

「他のやついらねえな。切り取ってやろうか」
「やめろ。誰かの大事な思い出も資料のひとつだぞ」
「この男とか特に近すぎんだろ。何抱きしめあってんだ。離れろや」
「無理を言うなよ、悟」

 だがらこの頭のいい男がそのことに気づかぬはずがない。なんせ夏油だって気づいたのだから。それに、知らぬふりをしているのか、夏油のように一度夜蛾に尋ねたのか、夏油は分からない。
 ムスッとした顔をして自身の担任を睨む五条は、年相応に青春を謳歌する至って普通の男子高校生にしか見えない。恋も青春だ。悔いのない終わりなどないのなら、例え歪な形だとしても精一杯馬鹿みたいに踊って楽しむのも、人生だろう。馬鹿をして楽しめるのは、若者の特権なのだから。

「この人の名前、名前っていうらしいよ」
「え、マジ?」

 ぱちぱちと激しく瞬きする姿に、夏油は噴き出した。必死すぎる。いや、多分恋をすると誰もがこうなるのだろう。夏油も疲労していく毎日ですっかりと忘れていた感情だ。

「名前…」

 強く噛み締めるように、貰った飴玉を大事に口の中に転がすみたいに、五条は彼女の名前を口にする。これでいいのだ、きっと。正論を言ったところで、彼は正論をきっと嫌うだろうから。恋くらいは、せめて。

「悟、私は君の想いを応援するよ」

 五条は目を丸くさせると、しかし、すぐにニカッと悪いことを考えた時みたいな、いつもの笑顔を見せた。そして、言う。さすが親友、と。
 彼の青い春の1ページ。それは、春と呼ぶには随分と埃かぶったものだけれど、それもいつかきっと笑える日が来るだろう。何せこれは初恋なのだから。叶わないくらいで、丁度いいのだ。



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