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幸運でなくてもいいと笑う


 高速道路を走るトラック。そこには、死柄木、荼毘、Mr.コンプレス、そしてそれを運転するスピナーがいた。
 傷ついた死穢八斎會のメンバーと、不運にも救急車が足らずに敵病院に運ばれることになった名前を乗せた車は周囲への警戒を怠らぬよう高速道路を走り抜ける。その目の前に、敵連合は立ちはだかった。
 警察も敵連合の存在に気づいたのだろう。驚愕、そしてほんの少しの恐怖を滲ませた、呆然とした顔を晒している。なんて間抜け面構えをしているのか。

「荼毘、間違って名前ちゃんまで燃やしたら危ないから程々にな」
「何言ってんだ。あいつは幸運だろ。なんとかなるさ」
「あの子は幸運も不運も紙一重だぞ」

 チリチリ、と。荼毘の手から青い炎が漏れている。彼は気づいているのだろうか。トガたちから電話で報告があった時から、ずっとこの調子だ。拗らせてんなあ、とコンプレスは内心思う。口にしないのは、身も心も燃やされたくないからだ。

「さて」

 荼毘の手から、青い炎が舞い上がった。熱くて、冷たい、炎だ。それは、容赦なく、なんの躊躇もなく、あまりにも非情に、後ろを走る車に襲いかかった。





 声も出ず。体も動かず。名前は気づけば、輸送車に詰め込まれていた。敵連合に繋がる鍵になるとか、ようやく無事に保護できたとか、喜色に塗れた声がかかる。それを、名前はまるでテレビで流れるニュースを見るかのような心地で眺めていた。まるで他人事だ。しかし、そうせざるを得ない、と言ったが正しかった。
 ただ唯一名前の心を安堵の波で揺れ動かしたのは、エリが無事にヒーローたちの手に保護されたということ。それだけを聞ければ満足だった。
 車の中で名前は簡易的な治療が施されていた。オーバーホールを含めた死穢八斎會のメンバーたちは別の車で運ばれているらしい。今自分がどこに連れていかれているのか、どんな状況に陥っているのか、名前には分からない。
 指先が小さく震える。クロノの個性が切れかかってきているのかもしれない。しかし、この場で動けるようになったとして、名前に果たして何が出来るというのだろうか。ヒーローたちを押しのけて敵連合の元に帰れるかと言われると、答えは明白にNOであろう。奇跡的な幸運が名前を救いあげることがない限り、名前は彼らの元に戻ることは出来ない。
 でも、何故だろうか。名前は悲観的な気持ちに陥っていなかった。トゥワイスの個性で作り出されたコンプレスの言葉、きっとみんなが助けてくれるという希望があるからか。まだ自分の幸運を信じているからなのか。死柄木に能天気なやつだなあ、と小言を零されるくらいには、少し楽観的すぎる思考をしていた。自覚済みだ。でも、仕方がないだろう。名前をそんなふうにしたのは、彼らだ。

 その時だ。大きな爆発音と衝撃がこの車を襲う。グラッと視界が大きく揺れた。体がふわりと浮いて、何かに叩きつけられる。息が詰まった。痛みも一線を超えれば、無になる。
 目を開ければ、正にそれは惨状だった。名前を運んでいた車は横転したようで、まるで重力が逆さまになったみたいに名前の見える景色は変わっていた。
 隣から唸り声が聞こえる。名前と共にこの車に乗って、名前を治療してくれていた人だ。それを一瞥して、名前は震える指先を叱咤する。今がチャンスだ。ここから逃げ出せる最大の幸運。これを逃がせるはずがない。ズルズルと体を動かしていく。カタツムリのごとくゆったりとした動きだが、名前は懸命に車の出口に向かって這いずった。
 すると、ガタン、と扉が開かれる。外の世界から遮断されていた車内に、淡い太陽の光が差し込んだ。そして、その光を背後に抱えて、黒い影を移す青い炎。名前は目を細めて、その人影をじっと見つめた。どくん、どくん、と胸が素早く鼓動する。は、と詰めていた息を吐き出した。

「生きてんのか」
 
 心地のいい、懐かしくも思える低音。久々に聞くそれは、相変わらず鋭利なものだ。久しぶりに顔を合わせてすぐ交わした言葉とは思えない。そう悪態を吐きたいのに、名前の心を激しく揺さぶるのは、紛れもない歓喜で。名前はその喜びの形を口にした。

「……だび、せんぱい……」

 声が出た。濡れた舌が動いた。ようやく起動した己の声帯は、久方ぶりの彼の鼓膜を揺らすには、あまりにも情けないものだった。恥ずかしい、なんて見当違いの羞恥を覚えるのは、名前も恋に盲目な乙女だからか。乙女という年齢かどうかは触れないで欲しいが。
 コツコツ、と音を立ててこちらに近づく彼の輪郭がハッキリと浮かびあがる。それを、名前は網膜に焼き付けんとばかりに、目を見開いて視線で追いかけた。外から流れ込んできた風が、焦げた香りを名前の元に運んでくる。荼毘の匂いだ。この匂いが、名前を更に安堵させる。

「情けねえな」

 名前の目の前までやってきた荼毘は膝を曲げて、名前と視線を合わせるように屈み込む。ツギハギだらけの手が伸びて、名前の鼻の横にこびり付いていた血を拭う。酷い顔をしているのだろう。何せ何度も地面に顔をぶつけられたのだ。鼻から血は溢れ、口も腫れるまで切れている。顔のあちこちには痛々しい痣をこさえていた。それを視線でなぞる青色の瞳は小さな歪みをみせた。

「だび、せんぱい」
 
 名前はたどたどしく名を呼ぶ。伸びてきた熱い手に緩慢な動きで擦り寄った。何の感情も浮かばぬ顔をしてこちらを静観する荼毘に、名前は弱々しく笑いかける。
 会いたかった。顔を見たかった。触れたかった。声を聞きたかった。ずっと焦がれていた。きつくても、痛くても、辛くても、彼の顔を脳裏に浮かばせるだけで、必死に耐えることが出来た。恋する乙女は強いのだ。
 
「名前」

 荼毘の名を呼ぶ名前に答えるように、荼毘もその口から名前の名を零した。それが擽ったくて、嬉しくて、胸にじんわりと熱が灯る。もっと、と。そう乞おうとした時、名前はふと気づいた。
 車内の温度が上がっている。じわじわと、じわじわと。煮えたぎるような熱が肌を刺している。名前はまじまじと荼毘を見つめる。彼に出会えたという奇跡みたいな幸運のフィルターを外して、今目の前にたつ男をしっかりと見据えた。

「……ああ、苛つく」

 彼は怒っていた。溢れ出る激情が個性としてチリチリと背中から火花を散らしていた。開ききった瞳孔に宿る青い炎は大きく揺らめいている。名前に触れる手はとんでもない熱を蓄えていた。焼かれる。いや、燃やし焦がされる。そんな予感のする怒りであった。背筋がゾワゾワと栗立つ。彼の熱で暑さを覚えているはずなのに、体はびっくりするくらいにガタガタと震えた。生き物としての当たり前の生存本能。それが、危険だと名前の内側でうるさく訴えてきていた。

「……おこ、ってるの……?」

 返ってきたのは無言だった。肌がピリピリとした熱に焼かれて痛い。そのくせして、荼毘の手はいつもみたいに、いや、もしかするといつもよりも優しかった。まるで、壊れかけの宝物に触れるみたいに、血で固まって肌に張り付いた髪の毛を指先で踊るように払う。
 分からなかった。彼が何に怒っているのか。何を思っているのか。怖いのに、優しいのがますます名前を混乱させる。戸惑う名前に荼毘も気づいたのだろう。不安げに見上げてくる彼女の頭を雑に撫で回してきた。

「バカな女」

 そう忌々しげに吐き出すと、荼毘の体から青い炎は引っ込んだ。名前を見下ろす瞳は柔らかく細められる。まるで、傷ついたガラス玉みたいだった。
 名前が口を開こうとするのより、荼毘が動き出した方が早かった。名前の膝裏に手を差し込み、もう片方の手は背中に添えられる。声を上げる間もなく、彼が何をしようとしているのか理解する前に、名前は荼毘に抱き上げられていた。抵抗しようにも、体は上手く動くことが出来ず、ただ彼に全てを預けることしか出来ずにいた。しかし、何もしないのは心もとないので、恐る恐ると彼の胸元に指をひっかけてしがみついた。

 荼毘は名前を抱えたまま車内から出た。ひゅるりと吹く風が心地いい。空から降り注ぐ太陽の熱にほうっと安堵する。ずっと地下にいたせいか、外の空気が酷く新鮮に思えた。

「名前ちゃん、無事だったか!」

 コンプレスがこちらにやってくる。心配そうに荼毘の腕の中で体を丸めている名前を見つめて、ひゅっと息を飲んだ。あまりにもボロボロな彼女の様子に言葉を失ったらしい。

「やっぱりあいつ殺しておくか」
「やめとけ。リーダーが生かしておいた方が効果的だって言ってんだ」
「そうだが……。手だけじゃ足りねえよ」

 頭上で不穏な話が行き交う。それもそうだ。辺りを見渡せば、和やかな場でないことは明白だった。ガスを撒き散らして轟々と燃えるパトカー。ひっくり返った輸送車たち。気を失って苦しげに横たわる人達。そして、鼻に着く焦げ臭さと共に、鉄っぽい血の香りが鼻を刺激する。
 それから視線を逸らすように顔を俯かせた。誰かを殺した手で、優しく気遣わしげに名前に触れる。それは、とんでもなく酷く不思議なことに思えた。

「無事か、名前」
「……トム部長」
「随分と不細工になって帰ってきたな」
 
 久しぶりの再会だというのに、切れ味が抜群すぎる言葉に口元がひきつる。なにか文句を言いたいけれど、そんな気力はなくて、恨めしげに死柄木を睨みつけた。
 しかし、顔に張りつけた手の隙間から見えた死柄木は酷く愉快げに顔を歪めており、赤い瞳は爛々と輝いていた。随分とご機嫌だ。

「だが、よくやった」

 そんな簡素な言葉は、傷ついた名前を喜ばせるのには十分だった。名前は目元を緩めて、静かに頷く。
 ああ、帰ってこれたのだと。名前はそれをようやく実感して、ぐすりと鼻を鳴らした。また泣いてんのか、と死柄木に呆れられ、コンプレスからは涙を拭われ、荼毘からは重いと文句を言われた。

「すぐ追っ手が来るぞ!!早く乗れ!!」

 スピナーの叫びに3人はトラックの方へと動き出す。名前は荼毘の胸元に頬を擦り寄せながら、ぽつりと独り言のように零した。

「どれだけ辛くても、痛くても、怖くても、苦しくても、耐えててよかった。こうして、みんなの元に帰ってこれたから、幸運を信じて、報われて、本当によかった」

 だから、ありがとう。
 そう告げると、前を歩いていた死柄木がこちらを振り返った。

「バカだな、お前」

「耐えなくとも、幸運でなくとも、俺たちはお前を連れ帰ってたさ」