×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -


欲しくても手に入らない



 長い長い道を歩いていく。前にはオーバーホール、後ろには顔にくちばしみたいなお面をつけたヤクザ1人。多分、クロノと呼ばれている人だ。そんなふたりに挟まれながらも、名前はただひたすら口を閉ざして足を動かすだけの機械になることに徹していた。だって、怖いんだもの。
 敵連合に所属しているからとはいえ、ヤクザとか敵が怖くないという訳では無い。元は一般人だ。普通の人達と同じように、生き物としての生存本能が働き、それを恐怖として伝達してくれる。敵連合の仲間たちは名前にとって、すごく優しい人たちだから怖くないのだけれど、自分に悪意を持ってもおかしくない人達に対して恐れを抱かぬほど、名前は肝が太くはなかったし、身も心も強くはなかった。

「ここだ」

 ようやくたどり着いたのはとある一室であった。ずいぶんとまた遠い部屋であった。日頃の運動不足が解消されたかと思えるくらい、あちこち歩き回された。
 名前は質素な作りをした扉を眺める。静かだ。怖いくらいに、静かなのだ。ここの中に、あの女の子はいる。そう思うと、胸は大きくざわついた。

「……君に頼みたいことは2つ。そのうちのひとつがこの娘のことだ」

 オーバーホールは扉を開いた。室内は電気が点いておらず、うっすらとした暗闇に覆われていた。名前は部屋の中を目を凝らして見つめてみる。真ん中に大きなベッド、周りには小さな子供が好きそうな玩具など色々な物が積み重なって置いてあった。そして、ベッドの中にあの少女はいた。
 彼女は部屋に突如侵入してきた廊下の光に目を細めたが、そこに大きな影があるのを見て、その表情をきつく強ばらせていた。布団のシーツを強く握り、ふるふると震えている。まるで、肉食動物の前に放り出された、小さな草食動物みたいだった。

「壊理、これからお前の世話をする人だ」
「え?」
「どうも俺たちは、この子の機嫌をとるのが下手みたいでね。男だからか、裏に身を置いているからか、近頃の子供の機敏と言うものが理解できないんだ。そのせいか、この前もきつく叱りすぎて、逃げられてしまってね」

 それだけが理由ではないだろう。小さな子供が起こすような軽い癇癪や、ワガママとはまた違う。逆らうことを、救われることを、諦めた悲しい顔。こんな幼い子供がするような顔じゃないのだ。名前は、そんな反発心を視線に乗せて、オーバーホールに送った。だが、彼はそれに気づいているのかいないのか、素知らぬ振りをみせ、穏やかに話を続ける。

「君ならば壊理の面倒を上手く見れるんじゃないかって思ったわけだ。同性であれば、年齢は違えど考えは分かるだろうし、好みも把握出来ているだろう。よろしく頼むよ」
「それ、私でいいの?」

 ただ足を動かすだけの機械となっていた名前は、そこでようやく口を開いた。どうしても気になって仕方がなかったのだ。
 先日死柄木と共にここに話し合いに来た時に聞いた内容によれば、壊理は今回彼らの考える計画上で核となる重要な存在なのだろう。出向に向かう前、トガとトゥワイス、名前の3人に対して、死柄木もそう言葉を漏らしていたので、間違いないはずだ。
 更に言えば、特に名前は壊里と1度面識もあるため、オーバーホールも警戒をしていたように思える。絡みつくような視線が、末恐ろしくてたまらなかったから。そして、この組織の設計を見る限り、彼は油断も隙もない非常に細かいタイプと見えるため、簡単に名前と壊理を引き合せることは無いと踏んでいた。どう近づいてやろうかと色々画策していたのに対して、初日であっさりと顔を合わせられたのは、少々拍子抜けであった。

「壊理は君のことを気に入ると思った。それだけで充分だ」
「それだけ?」
「ああ」

 オーバーホールはこれ以上話すつもりは無いと言わんばかりに、部屋の中に体を滑り込ませて進んでいく。名前もその後を恐る恐るとついていった。
 だが、これはラッキーという言葉で片付けてもいい好機なのだろうか。そう疑心に思う自分もいた。出来すぎていると、馬鹿な名前でも気づいたのだ。しかし、いくら考えてもオーバーホールの思惑に見当もつかない名前が今できることはその好機にしがみつくだけだ。
 オーバーホールの背中に引っ付いていた名前はベッドの近くまで行くと、壊理と顔を合わせた。ビクビクと怯えた瞳と視線が交わり、名前はそっと腰を曲げて、彼女と目線を同じ高さにした。そして、安心させるように、ゆっくりと頬を持ち上げて笑う。

「エリちゃん、こんにちは。私、名前って言うの。これからよろしくね」

 名前の顔をまじまじと見る壊理の目は、徐々に大きくなっていった。恐らくつい先日会ったことを思い出したのだろう。何故ここにいるのか、言葉がなくても表情だけでしっかりとその問いを投げかけてくれた。

「よしよし」

 名前はそっと手を伸ばし、その小さな頭を優しく撫でてあげた。触れた瞬間、びくりと体が大きく跳ねたが、名前は慎重に慎重に髪の流れにそって指を通す。すると、少しずつ警戒心が薄れてきたのか、真水のように透き通った綺麗な瞳が、柔らかく細められていくのが見えた。
 あの時、助けられなかった分も含めて、この少女を守ってあげたい。幼気な壊理の姿を見て、名前はその想いをさらに強くした。何とかしてこの死穢八斎會から救い出さなくてはならない。今の名前に無理でも、もしかしたら、他の人であれば。そう、例えば、あの時会った幼いヒーローたちのような。

「壊理もお姉さんができて嬉しいだろう。お姉さんに迷惑をかけないよう、いい子にしていてくれ」

 名前は心を閉ざした壊理に意識を向けすぎているあまり、気づくことが出来なかった。オーバーホールの言葉の意味も、名前の背後にいるオーバーホールを見て、壊理が再び怯えの色を見せたことも。そして、オーバーホールが手袋を脱ぐ素振りを見せ、その手で名前に触れようと見せたことも。
 また、壊理が悪さをすれば、歯向かおうとすれば、逃げ出そうとすれば。今目の前で優しく笑うこの人はいなくなってしまう。以前壊理の世話を任せられていた人のように、簡単に殺されてしまう。壊理のせいで、不幸になってしまう人ができてしまう。オーバーホールは、そうやって小さな子供のほんの少しの希望ですら、容赦なく摘み取ってしまった。
 それは、壊理にとって、大層効き目のある脅しであり、いい子でいさせるための一番の薬でもあった。







 壊理の部屋を出て、名前はまたオーバーホールの後をついていく。まだ彼女のそばにいたいと告げたが、「君には頼みたいことが2つあると言っただろう」と諌められ、渋々とあの部屋を出た。絶望に染った大きな目が名前の背中を追いかける。それが、たまらなく名残惜しさを感じさせた。名前は「またね」と言いながらも手を振った。壊理はその手に何も返さず、ただ閉じられていく扉を静かに見守っていた。
 
「ねえ、オーバーフォールさん……あ、噛んだ。オービャーホールさん……うーん…」

 どうも彼の名前は呼びにくい。長くて横文字なのは、苦手だ。何故こんなにも難しい名前をしているのだろうか。多分、本名ではないと思うけれども。なんて、名前はオーバーホールに内心責任転嫁する。そんなカミカミの名前に、オーバーホールは心底呆れたような目をして振り返ってきた。

「オーさんはどうしてここまでするんですか?」
「……どうして、とは?」

 名前を略した。あっけらかんと、悪意もなしに。オーバーホールの眉がピクピクと動いているのをクロノは気づいていたが、当人である名前に至っては全く気づいていなかった。

「ここまで入念に大きな計画を立ててるからさ、それって何かしら理由がないと出来ないだろうなーって思って」
「……それを言う理由が見当たらないな」
「え?うーん、私のやる気が上がるから、とか?ほら、すると幸運も上手く動いてくれるかも!」

 なんとか苦し紛れの言い訳を紡ぐ。そりゃあ簡単に話してくれるとは思ってもいなかったけれど、ここまでつっけんどんな対応されると、むしろ気になる。隠されていると更に暴きたくなると意地悪な気持ちになってしまうのは、敵連合の影響を受けているからだろうか。
 だが、オーバーホールは名前の建前も一理あると考えてくれたのか、暫し思案しているようであった。押せばいけるかな。そう思ったのも無理はない。死穢八斎會としては、狙っていた敵連合との提携を結ぶことができ、順調に物事が進んでいた。上手くいっている時ほど、視野というものは狭くなるものだ。なので、彼はほんの少し尻尾を見せた。それは、不運なことに相手は運だけしか取り柄のない非力な女だから、という油断もあったからかもしれない。

「ーーーこの死穢八斎會を潰さないためだ。もっともっと成り上がって、この裏社会を支配する。そして……」

 そう重々しく語られた言葉は夢物語のように聞こえるのに、どうしようもなく心の奥底から吐き出された本音のように思えた。この時のオーバーホールは先程まで貼り付けていた上っ面も剥がした、ただ1人の男にしか見えなかったのだ。

「そして?」

 名前は先を促す。ぐっと、彼の拳が強く握られた。

「……いや、それだけだ」
「そっか」

 オーバーホールは不自然に言葉を途切らせたあと、無理矢理そこで終わらせた。これ以上話すつもりは無い。そう言わんばかりに、早足で進むその背中は名前のことを拒絶していた。
 
「すごいね、オーさんは」
「は?」

 名前の突拍子のない発言に、オーバーホールが怪訝そうな声を上げる。でも、名前は変わらずニコニコと笑っていた。

「自分のため以外にこうして一生懸命になれるのは、すごいことだなって」

 とはいえ、それは実際簡単に褒められてもいいような所業では無いけれど。でも、彼の持ち出した計画が突発的に思いついたものでは無いことは理解出来た。何日も、何年も、時間をかけて、きっと熟考を繰り返してきたのだと思う。でなければ、個性を打ち消す血清なんてそんな恐ろしいものを生半可な努力で作り出せるわけが無い。きっと色々なものを積み重ねてここまでやってきたのだろう。なんとなくだが、名前はそれがわかった気がした。
 だからこそ、止めたいとも思う。その分だけ、あの少女は苦しくて怖い思いも沢山しているだろうから。

「君に言われてもな」

 そうポツリと落とされた言葉は、静かな空気にじんわりと溶けた。突き放した言い方ではあるが、何処かそれは寂しそうに思えた。
 名前でないならば、彼は一体誰に認められたかったのだろうか。






「ここが、君がこれから過ごしてもらう部屋だ」

 連れてこられた場所はこれまた殺風景な一室であった。簡素なベッドと、机と椅子、それくらいしかない。生活感のないもの寂しい部屋だな、と名前は思いながらも、部屋の中を見渡す。地下だから、もちろん窓もない。ずっとここにいるのは気が狂ってしまいそうだ。

「さて、もうひとつの頼みについて話そうか」
「あ、うん」

 そういえばそんな話があったな、と今更ながら思い出す。すっかり忘れてました、と素直に感情を表に出す名前を、オーバーホールは冷めた目で一瞥した。うわ、視線が痛い。

「君には存分に個性を発揮してもらわねば此方としては困る。不運を幸運に転換させる能力。つまり、君の個性を発揮させるには、不運が必要だ」
「まあ、そういうことになるかな?」
「俺は用心を重ねるタイプでね。君には、いつでもその幸運を発揮してもらいたいんだ。だからーーー」

 すると、オーバーホールの背後から、何人かのヤクザの姿が現れた。いつの間にいたのか、名前は全く気づかなかった。彼らはものものしい雰囲気を纏っており、名前は自然と足を後退させる。ゾワゾワと背筋に何かが走り抜ける感覚に、身が竦んでいた。
 そんな名前を嘲笑うように、貶めるように、オーバーホールは氷のような顔をして告げる。

「君には不運になってもらう、ラッキーガール」

 約束ね。あの時絡めた小指を、名前は弱々しく握りしめた。
 荼毘先輩。助けを求めるように呟いたそれは、言葉にすることは叶わなかった。