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首を巻く欲の色は紅


 ふう、ふう、と荒れた息を何とか整える。目に熱が集まり、視界が歪む。少しでも気を抜けば、この体は膝から崩れ落ちてしまいそうだった。それを何とか保つ。震える指で、トリガーに触れる。1度これに触れた時は、あまりの勢いで後ろに倒れた。撃ち抜いた窓ガラスには穴が開き、バラバラに崩れ落ちていった。それを思い出して、背筋にヒヤッとしたものが走る。それでも、必死にそれを相手に向け、名前は後ろに慎重に下がる。

「君は俺を撃てない」

 銃口を向けられたヒーローは冷静に言う。その目は波風立てぬ水面のように静かであった。その言葉は決してまやかしなどなく、事実なのだと確信しているかのようで。名前はギクリと肩を揺らした。

「銃口が震えている。人を撃つのは初めてだな。怖いのだろう?」

 彼の言葉は真実だ。名前の体はガクガクと震えており、握っている銃も情けなく揺れている。銃口のピントも合わず、ブレブレだ。図星を突かれた名前は唇をかみ締めた。揺るぎのない事実であるが故に、何も言い返せなかったのだ。

「君は敵ではない。君に人は殺せない。なぜなら、君は至って普通の女の子だからだ」

 知っている。名前は普通の人間だ。ほんの少し不運で、たまに幸運を持ち帰ってくるくらいで。特に目を見張るような能力や個性があるわけでもなく、人を傷つけたり逆に傷つけられる度胸も無情さも持ち合わせていない。それを、名前は知っていたし、恐らく荼毘たち敵連合も理解しているはずだ。
 それなのに、名前が彼らと共に在ろうとしているのは。

「で、でも、私は、敵だよ。敵連合の人達のことが好きだから、一緒にいたいんだ」

 好きな人と共にいたい。その願いが悪いことを意味することになるだなんて、想像もできなかった。世界中を敵に回しても愛せるかなんて、ドラマや映画みたいな展開が現実にあるとは思いもしなかったのだ。それに、罪悪感はあれど後悔はない。

「君は、ストックホルム症候群って知っているか?」
「へ?」

 ヒーローは神妙な顔して言う。まるで、小さな子供を言い聞かせるような、優しくも有無を言わさぬ口調であった。

「犯罪者と長く共にいることで、情や好意が生まれ、犯罪者に依存や執着を抱いてしまうことだ。分かるね?君のそれは、錯覚だ」
「ち、違う!そんなんじゃない!私の気持ちは本物だもん!」

 名前は叫んだ。錯覚であればどれほどよかったか。そんな簡単な言葉で済むくらいの感情であれば、名前はあれほど悩んだり、葛藤したりなどしなかった。名前があれだけ考えて、傷ついて、逆に傷つけて、選びとった選択肢は、あっさりとかき消されるような幻惑では無いはずだ。
 名前は敵連合が好きだ。例え、ヒーローの言う通り錯覚だとしても、その感情だけが名前の全てで、それだけが彼女の紛れもない真実なのだ。

「君は操られてる。あいつらにいいように利用されてるだけなんだ。目を覚ませ」
「……っ!それなら、それでいいよ。でも、私はみんなと一緒にいるって決めたから!だから、貴方の手は取れない!」

 ジリジリと近づいてくるヒーローから逃げるように名前は後ろに下がっていく。彼は銃口を向けられているというのに、平然と名前に手を伸ばしてくる。撃たないといけない。そう思うのに、指は震えて何も出来ない。やだ、やだ、やだ、と拒絶の言葉を連ねて逃げることしか出来ない。こんなんじゃ、銃だってなんの意味をなさない。

「そうだ、こいつは敵じゃねえ」

 とん、と背中に温かな熱が触れる。聞きなれた冷たい声が背後から聞こえた。張り詰めていた息を、はっと吐き出す。だびせんぱい、と呟いた言葉は子供みたいに拙いものだった。

「お前……!!」
「ヒーローがこんな隙だらけでいいのかよ。敵の前でのんびり会話なんて、油断しすぎじゃねえか?」

 後ろを振り返れば、そこには間違いなく荼毘の姿があった。焼け焦げた独特な香り。じっとりとした炎の熱。軽薄にせせら笑う口元。体の所々に切り傷はあるが、どうやら無事であったようだ。名前はぶわっと目尻に涙を貯めた。よかった。彼が生きていてくれて。こうして自分の元に来てくれて。
 荼毘は名前と目を合わせる。そこからは何を考えているのか分からなかったが、何処か楽しげで歪な光が宿っているのは見えた。

「ヒーローは、一般市民を守らなきゃいけねえ。そうだろ?」

 荼毘の手がするりと名前の首を撫でる。白い包帯は取れかかっている。隙間から赤い火傷の跡が見え隠れしていた。ヒーローはその首をみて、歯噛みした。

「動けば、こいつは火傷じゃすまない」

 それは、脅しだった。荼毘は背後から名前を抱きしめるように腕をまわし、その手を彼女の首になぞらせる。指先からは青い炎が灯り、名前の首を守っていた包帯を黒く焦がしていく。ヒーローは焦ったように「やめろ!」と声をはりあげた。それを見た荼毘は名前の耳元で小さく笑う。その笑い声は、何処か加虐的で楽しげだ。
 世間は、ヒーローは、名前のことを敵連合に囚われた人質だと思い込んでいる。それを逆手にとった策なのだろう。ヒーローは何も言えず、動くことも出来ず、悔しげに表情を歪ませていた。

「動きたきゃ動けよ。この女の命がどうでも良けりゃな」
「ぐぅ……!!」
「出来ねえよなあ?ヒーローだもんな。敵に囚われた可哀想な一般市民を見捨てて殺すわけにはいかねえよなあ?」
「外道が……っ!!」
「敵に人道なんてあるわけねえだろ」

 荼毘は恐ろしいくらいに静かにそう返すと、名前の銃を握る手にそっと触れた。熱い手のひらだった。それを何度も往復して撫で回され、そっとトリガーに指をかけられた。力を、込められる。その感触に名前はゾワッとした恐怖に襲われ、叫んだ。

「だ、荼毘先輩……!!」

 その叫びに答えるように、荼毘はそっと力を抜いた。

「冗談だ。お前は、そのままでいい」
「え?」

 そう零した言葉は、近くにいた名前でさえも思わず聞き返してしまうくらいには小さいもので。ちょっとした騒音にもかき消されて、なかったものとして扱われそうなくらいに、儚いものだった。だけど、それはかき消してしまうには勿体ないくらいには、優しい温度が乗っているように感じた。

「じゃあな」

 名前の手に触れていた荼毘の拳が広げられる。そこからは、青い炎が色鮮やかに燃え上がる。視界いっぱいに広がる青を最後に、名前の目は暗い闇の中に閉ざされた。焦げた匂いと、火のように熱い温度。荼毘の手だ。彼の手が名前の視界を遮っている。

「行くぞ」

 無感情に近い固い声に、名前は何も返せず。ただ頷くだけ。そして、目を覆われたまま名前は荼毘に連れられていった。
 生ぬるい風が名前の首を撫ぜる。そして、ついでと言わんばかりに、それは焼け焦げた包帯を攫っていた。その行先を、誰も知らない。






 
「あのままあのヒーローに助けられたかったか?」

 後ろから従順にちょこちょこと着いてくる名前にそう問いかける。その問いが多少の悪意を含んでいるのは、自覚済だ。そして、思った通り彼女はぐしゃりと顔を崩し、泣きそうなそれに変わった。それを見て、胸がすくような感じがした。我ながら、意地が悪かったと思う。

「そんなこと聞いちゃうの、酷い」
「知ってて聞いた」

 ぐすんと鼻を鳴らす声が後ろから聞こえた。泣き虫は相変わらずだ。荼毘とは違い、名前は素直に感情を表に出す。そういう所が厄介で、そして少し好ましくも思っている。

「私、告白したのに」

 そこを掘り下げてくるとは予想外であった。仮にも思いを告げてきた方なのだから、少しは恥じらいとか照れとかないものなのか。荼毘は乙女心が分からない。

「返すもんはねえって言っただろ」
「そう、だけど……信じては欲しいもん」

 ぐすぐすと言ういじらしい注文に、荼毘はため息で返した。信じていなければ、今この場に彼女はいないと言うのに。そこまで考えが及ばないのか。駆け引き甲斐のない女である。

「……フードを被れ。人目に付く」
「うん…」

 乱雑にフードを被せてやる。名前は恨めしげに上目で荼毘を睨みつけていた。それを黙殺すると、「荼毘先輩のバカ」と罵倒が飛んできた。腹が立ったので、頭を叩いておく。

「いだっ!?」
「ああ、悪い。馬鹿な頭をもっと馬鹿にさせたかもしれねえな」
「むきーっ!何その言い方!」
「事実だろ」
「馬鹿って言う方が馬鹿なんだよ!」

 名前はぷっくりと頬を膨らませる。話題が変わったことに気がついていないらしい。やはり馬鹿なのだと荼毘は再認識した。
 荼毘はちらりと視線を滑らせる。膨れた頬から、細っこい首へ。彼女の首は包帯が外れ、顕になっていた。そこには、まるでとぐろをまいた蛇のように、赤い跡が一周している。見ていて痛々しい。荼毘の着けた火傷のあとだ。時間を置いたからか、だいぶ傷自体は回復しているようだった。しかし、跡は残ったままのようだ。

「……気にしてる?」

 荼毘の視線に気づいたのだろう。名前が恐る恐ると尋ねてきた。

「そう見えるか?」
「全然!」

 そう断言するのもどうだろうか。それはそれで複雑だ。
 とはいえ、荼毘も名前に傷をつけて悪かっただなんて微塵も思ってはいないし、お世辞でもそれを口にするつもりはなかった。荼毘は荼毘の思った通りの行動に出た。それだけだ。そこに、反省やら後悔やら、まともな人間の感性なんぞ持ち合わせちゃいない。

「治ってるだろ。なんで包帯してんだ」
「うーん、ちょっと目立つかなーって思って。秀ちゃんからの視線が痛くてさ、包帯で隠してたがいいのかなあって」
「そうか」

 名前の首に残った赤い跡は確かに見ていて痛ましいもので、スピナーが顔を歪めているのも容易く想像できる。義爛やコンプレス等、名前に特別甘い人物たちにバレたりしたら、グチグチと小言を言われそうだ。想像するだけでも辟易する。

「ちょっとは気にしてくれてもいいのに」
「期待に応えられず悪いな」
「悪いなんて思ってないでしょ!あーあ、ちょっとでも罪悪感湧いてくれれば、責任取ってよねーって責めれたのに」
「責任?」
「うん。嫁入り前の女の子の体にこんな傷をつけたんだよ?そりゃあ、責任とってもらわないと!」

 ニヨニヨと名前は笑う。こんな傷を残されたら、普通の女であれば塞ぎ込むであろうに。それを逆手にとり、利用する強かさ。度重なる不運により、精神はとんだタフネスに育っているようだ。荼毘は目を細めて、しらっとした視線を隣に送った。
 そして、そこまで思い至り、それもそうかと納得した。それくらいの肝の太さがなければ、一般的な感覚を持ってして敵連合と共にいようなどとは思わないだろう。そう考えれば、交わることの無い縁がどんな因果か分からぬが、複雑に絡み合ってしまったのも、必然だったのかもしれないと不思議と受け入れられた。

「責任ねえ……」
「あれ?意外と乗り気?」
「それは、お前の自業自得だろ」
「なぬ!?」

 ガーン、と名前はショックを受ける。それを横目で見ながら、口元に笑みを浮かべた。責任、だなんて。そんなの、お前の方が取るべきだろう。その言葉は飲み込んでおいた。

「でも、荼毘先輩って悪趣味だ」
「は?」
「だって、私の首をみて、楽しそうに笑ってた」

 そう不満をこぼす名前に、荼毘は些か目を見開いた。笑っていた。荼毘が。名前の首にひっついた赤い跡を見つめて。名前はブツブツと「自分でつけたくせに」と文句を垂れている。しかし、それは荼毘の耳には届かなかった。

 赤い跡は名前の白い首に巻きついている。それが、まるで"首輪"のようだと。そう感じたことなど、目の前にいる脳天気な女に悟られたくなかった。それを見て、荼毘の腹の奥にある欲が満たされた、なんて。そんなことは荼毘自身でも認めたくない感情であった。厄介なものだと、頭に被ったフードを引っ張って表情を隠す。
 名前が将来敵連合から逃げ出し、ヒーローたちの手を取り、平和な日常に戻ったとして。そこで、名前の不運も幸運も笑って受け入れてくれる心優しい男と一緒になったとして。そうなろうとも、名前の首には永遠に荼毘の残した炎の跡が着いているのだ。荼毘との繋がりを残した首輪。それがある限り、名前は荼毘の存在をその身から消すことなどできない。何もかも忘れて、幸せな世界にその身を浸らせることはもう出来ない。首に残った跡をみて、瞳を濁らせ、その顔に暗い影を落とすことになるだろう。
 ざまあみろ。荼毘は喉を鳴らす。

「隠したがいいかなあ、これ。やっぱり目立つかなあ。どう思う?荼毘先輩」

 あの時のマグネの声がリフレインする。"ねえ、貴方は名前ちゃんに何を望むの"と。
 荼毘はふっと笑いながら、名前の首に触れた。急所に触れられているというのに、名前はきょとんとした顔を晒す。

「包帯はしなくていいじゃねえか。そのまま出しとけ」
 
 首輪。所有のしるし。荼毘の歪んだ感情を形作った跡。隠さず、晒せばいい。逃げても、逃げなくても、その首輪のリードの先はここにあるのだから。