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小さじ1杯分の


身体的にも精神的にも、荼毘は疲れていた。黒霧から渡されたグラスを煽り、椅子に深く座り込む。深く溜息をつき、ぼんやりと視線を宙に彷徨わせた。
隣からはすやすやと健やかな寝息が聞こえる。脳天気な名前の寝顔を見れば、つい口についてしまいそうな文句も溜息に変わる。なんだか力が抜けてしまう。そんな彼女も遊び回った今日は流石に疲れたらしい。酒を1杯口にしただけで、すぐに夢の中の世界へと旅立って行った。

「ありがとうございます」
「あ?」

すると、グラスを拭う黒霧から礼を述べられた。その声は酷く穏やかだった。

「彼女、元気が出たみたいなので」
「こっちは逆になくしたけどな」
「お疲れ様でした」

嫌味はさらりと流された。子供のような癇癪を起こしやすい死柄木や、不運に巻き込まれてばかりの名前の世話をしているだけある。荼毘の嫌味は大して気にも留めるほどではなかったようだ。

『ニュースをお伝えします』

テレビでは今日起こった幾多の事件や、芸能人が不倫しただの離婚しただのどうだっていい騒動や、先日から似たような内容のニュースが流れている。興味のない内容ばかりを流すニュースを見ているのは、情報収集の一環だ。現に死柄木はつまらなさすぎて欠伸を噛み殺している。だが、オールマイトが出たらテレビが壊されかねないので、その場合はすぐに消せるようにリモコンは黒霧の手元にある。

「遊園地で何かありましたか?」
「なんで」
「いえ、お二人の纏う空気が変わった気がしたので」

黒霧の言葉に荼毘は口を閉ざした。無言は肯定の意とはよく言うものだ。それを理解していても、荼毘は何も言えなかった。
変わったことなどはない。ただいつものように名前に振り回され、そして逆に荼毘もいつもの仕返しと言わんばかりに振り回しただけだ。それだけだ。それなのに、荼毘は今日の自分はらしくないと自覚していた。
果たして、自分はこんな面倒なものに付き合う性格だっただろうか。誰かの怪我を心配などするタイプであろうか。泣き顔を見たくないだなんて、そんな考えが過ぎる優しさなんて持っていたか。誰かを傷つけることを躊躇する甘さを、持っていたか。
おかしい。おかしいすぎる。荼毘は名前と会ってから、いや、名前に関することになると、自分が自分でなくなっていく感覚に囚われるのだ。それが不快で、気持ちが悪くて、そして、嫌ではない。それが、問題なのだ。

「特に、名前が」
「名前が?」
「おや、気づいていなかったのですか?」
「何がだ」
「彼女、貴方に惚れてますよ」

黒霧は明日の天気を伝えるかのような軽さで言う。正直どうでもいいのだろう。彼は物腰柔らかく優しい人格者に見せて、案外冷たいところがある。彼は死柄木がこのヴィラン連合を引っ張れるリーダーとして支えること以外興味が無いのだ。だから、他人事のように言える。実際に他人事であるから、当たり前であるが。

「まじかよ。こいつ、趣味悪いな」
「お前よりマシだ」

横から死柄木が口を挟んでくる。とはいえ、荼毘も死柄木の立場であれば同じようなことを思っていたに違いない。死柄木は面白そうにニヤニヤと笑っていた。

「貴方の隣にいる苗字名前は、心底幸せそうに笑っていましたからね。無自覚かもしれませんが」
「気づいてねえだろうよ」
「名前は分かりやすいからな」
「彼女だけでなく、女性は恋をすると分かりやすいですよ」
「へえ?」

黒霧が気づいて、当の本人である荼毘が気づかないわけがなかった。誰に対しても親しみのある態度を示す名前なので、正直確証まではいかなかったが、それなりの好意を持っているのだろうと気づいていた。だから、観覧車では少し揶揄ってやったのだ。ちょっと顔を近づけて、少しそういった空気を漂わせれば、名前はどんな反応を示してくれるのか。思ったよりも、簡単に引っかかってくれて存分に笑わせてもらった。少し無防備過ぎるところは考えものではあるけれど。

「まあ、その感情は都合がいい。上手く扱えよ、荼毘」

歌うように死柄木は言う。言われるまでもない。もとよりそのつもりであった。後々利用価値があるかもしれないと、内心ほくそ笑んだのは否定しない。だが、どうも彼女からの好意はそれだけで終わらない気がするのだ。

「ミイラ取りがミイラになる、なんてことはなきよう」

黒霧は冷静に忠告する。周囲をよく見ていて、鋭い彼のことだ。もしかしたら、荼毘の様子を見て何かしら思うところがあるのかもしれない。

『速報です!速報です!〇〇遊園地の新アトラクション内で焼死体が複数発見されました!』

すると、先程まで穏やかに流れていたワイドショーが慌ただしいものに変わった。その場にいたものはついそちらに視線を向ける。生中継なのだろう。荼毘からしたら見覚えのあるポップなゲートを背景に、男性キャスターがマイクをもって鬼気迫るかのように話していた。

「おや、ここは先程までお二人が行かれていた場所ですね」
「私も行きたかったです…」
「お前は名前と喧嘩してただろうが」
「もういいです!名前ちゃん、恋する乙女ですから!」
「お前の判断基準は相変わらず分かんねえな」

つい先日まで喧嘩していたはずのトガはニコニコと楽しげに笑顔を浮かべて、名前の寝顔を眺めていた。早く起きないかとソワソワと待つ姿は、散歩に行きたがる犬のように見えた。

『今分かる範囲での被害者はーーー』

キャスターから明かされる被害者たちの名前とその写真。つい最近聞き覚えのあるそれと、見覚えのある顔写真。「あっ」と声を漏らしたのは果たして誰であったか。テレビから与えられた情報を見聞きした一同は、ゆったりとした動作で、荼毘に視線を移す。彼はテレビに顔を向けることなく、ウィスキーを静かに舐めていた。

「先越されちゃいましたねェ…」
「ああ、全くだ」

残念そうにトガとMr.はそう言葉を零す。しかし、それからは隠しきれぬ喜色が見え隠れしていた。

「言うなよ」
「なんでだ?」
「……」

Mr.の疑問に荼毘は答えなかった。ただなんとなくではあるが、Mr.は目の前でただ酒を煽る男の心情を察した。
名前がやけ酒して大暴れしまくった日。あの時、トガからとんでもない提案を受けた時、彼女は言った。
ーーーううん、私はセンパイが幸せでいてくれるならそれでいいよ。
荼毘はもしかしたら彼女のそんな言葉を叶えてやろうとしているのではないかと。彼女の健気でいじらしい願いを守ってやっているのではないかと。そう思えてならなかったのだ。
Mr.が荼毘の立場であったら、きっと彼と同じ判断をしただろう。彼女を悲しませたくないし、いつまでも良き観客でいて欲しいからだ。それは、Mr.が名前を気に入っているということに踏まえ、基本紳士的な性格をしているからである。
だからこそ、Mr.は違和感が拭えなかった。だって、Mr.が知る限り荼毘は紳士的でもなければ、小さじ1杯分もの甘さだって持ち合わせてはいないはずなのだから。冷酷非道で容赦などしない。必要がないと判断すれば、少しでも彼の触れてはならない領域に達せば、その身は青く燃え上がり灰になる。人を傷つけることに慣れていて、躊躇などしない男。Mr.の知る荼毘は正にそれだ。
そんな彼が、小さじ1杯分ほどの優しさと甘さを持って、不器用ながらに名前を気遣っている。それが、不思議でならなかった。

「合わなさそうなのになあ」
「は?」
「いや、こちらの話だ。俺はお前の味方さ」
「……意味がわからないが遠慮する」

これは確かにミイラになるか、あるいは、なんて。Mr.はそんな予感をそっと胸の内に秘めておいた。