×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -


飲んで笑って忘れてしまえ


扉を開けた瞬間、思わず眉間に皺が寄るくらいの強いアルコール臭が荼毘の鼻を刺激した。それと同時に、ワハハハハハ!!と大音量の笑い声が鼓膜を激しく震わせ、荼毘は開けた扉を閉じかけようとした。しかし、その前に「あら、荼毘じゃない」とゆっくりと酒を煽るマグネに見つかり、すっかりとそのタイミングを失ってしまっていた。

「貴方も飲む?何がいいかしら?」
「……それよりも何があったんだ?」
「ああ、名前ちゃんのこと?帰ってきてからずっとあれよ」

荼毘の冷めきった視線の先にいる人物。それは、酒瓶をラッパ飲みして高笑いをしている名前であった。周辺には空になった酒瓶が幾つも転がっており、それをスピナーがぶつぶつと文句を垂れながらも拾っては片付けていた。

「あはははははは!!酒!!飲まずにはいられない!!」

そして、彼女の足元には見覚えのない不可思議な機械が小さく音を立てながらもあちこち動いていた。ガン、ガン、と死柄木の足を何度も突撃している。その度に死柄木は足で踏み潰そうとするのだが、慌てた黒霧に止められていた。
なんなんだこのカオスな空間は。

「あいつ、笑い上戸なんだな」

そのカオスの中心にいる名前を見て、荼毘はポツリと呟く。

「みたいね。今でも十分に飲みすぎているのに、まだこれ以上飲もうとするのよ。止めてくれない?」
「……なんで俺が」
「だって、あの子のお世話係なんでしょう?荼毘せ・ん・ぱ・い」
「ウゼェ」

ここの連中は名前に関して何かあるとすぐに荼毘に報告して、どうにかしてくれないかと全て丸投げしてくる。お世話係と言うだけなのに、と不満は拭えない。ワンオペ育児の大変さが身に染みて分かる。

「あ!荼毘せんぱーい!」

フラフラと覚束無い足取りで名前は荼毘に近づいてくる。彼女が笑う度にその吐息からアルコールの匂いが強く香る。一体どれだけの量を飲んだというのか。荼毘は自然と顔を顰めた。

「おい、転げるぞ」
「へーき!へーき!荼毘先輩も飲もうよー!!美味しいよー!!」
「いらない。1人で飲め」
「もう!釣れない!冷たい!荼毘先輩ノリ悪い!そんなんじゃモテないぞ!!」
「うぜえな。瓶に躓く前に席に座っとけ」
「あははははははは!!荼毘先輩が二人いるー!!」
「お前、本当に大丈夫か」

顔を真っ赤にして機嫌よく笑う名前を見て、何かいいことでもあったのだろうかと荼毘は思う。しかし、その足取りは見ていてとても不安になるものだったので、荼毘は無理矢理名前をマグネの隣に座らせた。マグネに目配せすれば、彼女はすぐに察したらしい。お酒の代わりにお冷の入ったグラスを用意して、名前の手にそれを押し込んだ。随分と気の利くオカマらしい。名前の世話をマグネに任せて、荼毘は名前から少し離れた席に腰を落ち着けた。

「おい、何があったんだ。うぜえくらいに随分と気分が良さそうだが」
「俺が知るかよ。帰ってきてから、黒霧の言葉も聞かず酒を開けて飲んで開けて飲んでを繰り返してあのザマだ」

死柄木に問えば、彼は少し疲労した様子を見せながらも答えてくれた。荼毘が来る前、名前に散々絡まれたのだろう。名前から姿を隠すように、Mr.コンプレスを盾にしていた。そんな彼、Mr.コンプレスは丁度アジトに訪れたらしい義爛と共にタブレットを見つめている。旧知の仲でありそうなトゥワイスと義爛なら分かるが、Mr.コンプレスとの組み合わせは珍しいと荼毘の目を引いていた。

「こいつだな」
「だろうな。まさか社長のご子息とは、名前ちゃんもやるもんだ」

話の内容はあまり和やかなものでは無いらしい。しかも、今騒ぎの中心となっている名前が話題となっているようだ。
荼毘は黒霧から差し出されたお通しを口に運びながら、また数の減った酒棚をぼんやりと眺める。そして、名前がここまで飲んでおいて黒霧がなんの口出しもしてこないのは珍しいと、荼毘はそこで違和感に気づいた。

「止めなくてもいいのか」
「止めたいのは山々ですが、お気持ちはお察しできるものですから…」
「そんなに嬉しい出来事か?」
「まさか。逆だよ、逆」

義爛が横から口を挟んでくる。彼はこの中で誰よりも名前との付き合いが長い。名前も闇のブローカーである義爛を「おじさん」などと気さくに呼んでいるのだから、その奇妙な繋がりは浅くはないことが伺える。

「あの子がやけ酒する時は大抵悪い事があった時だ。飲んで、笑って、忘れてしまいたいんだろうさ」
「ああやって笑うのもいつもか?」
「今回はひどい方だがね」

義爛はウィスキーを舌で舐めながら言う。その言葉に荼毘は意外だと感じた。名前は喜怒哀楽が素直に表にでる。だからこそ、悪い事があった時は素直に泣くか、あるいは怒るか、そうするものだと思っていたのだ。逆に酒に頼って笑わなくては、その感情を消化できないというのも不器用なものだ。

「今日名前ちゃんの元恋人とその今の相手に会ってしまってね。酷い言葉を投げかけられてしまって、ショックを受けてるんだ」
「あいつもショックを受けることとかあるんだな」
「お前は名前ちゃんを何だと思ってるんだ」

Mr.は冷静にツッコミを入れる。まさに的確である。

「はめられたんだろうな。ほら、コレ見てみろ」

そう言って義爛は先程までMr.と共に見ていたタブレットを荼毘と死柄木に見せる。そこには、とあるネット記事が映し出されていた。
内容としては有名な大企業のご子息の婚約についてである。どうやら社内結婚らしい。相手はバリバリのキャリアウーマンかつ重要なポストに身を置いているとのことだ。
しかし、何故こうも記事になっているのかと言うと、ヒーローランキングNo.2であるエンデヴァーのスポンサーであるからのようだ。だからなのか、エンデヴァーからのコメントも一緒に記載されている。それにサラリと目を通すが、荼毘にとってはどうだっていいくだらないニュースのひとつだ。

「この企業のご子息が名前ちゃんの元恋人だよ」
「へえ、こいつがか」
「社長の息子か。相変わらず運はいいんだな。このまま付き合えていたら玉の輿も夢じゃなかっただろうに」

元恋人らしき人物は爽やかな笑顔を浮かべて、記事に映っていた。その左手薬指にはシンプルな指輪が嵌め込まれている。

「そして、この女は名前ちゃんの上司だ。」

ご子息の隣で綺麗な笑顔を浮かべる女性が、名前から男を略奪したのだろう。彼女も男とお揃いの指輪を左手薬指に嵌めていた。確かに荼毘から見ても、この女性は大変見目が美しくあった。そんな彼女に擦り寄りでもされたら、男として心が揺り動かされるものがあるだろう。荼毘自身としては食指は動かないが、一般的な男性として客観的に見れば納得はできる。

「じゃあ、邪魔者の名前を消すために男と別れてすぐにこの女が名前を退職させたってわけか」
「それが妥当だろうね。名前ちゃんの不運であっても、恋人との別れと退職が共に襲い来るのはあまりにも出来すぎている。ハメられたと考えられるね」
「やっぱりあいつ運がねえな」

荼毘は同情の目を名前に向けた。そんな彼女はマグネに介抱されて、少し落ち着きを取り戻したらしい。カウンターに蹲って、「結婚まで考えてたのにー!」と次は嘆いている。笑ったり泣いたり忙しいものだ。

「名前ちゃん、好きな人いるんだね!その人に近づきたいって思いますよね。その人みたいになりたいって思いますよね。でも、我慢できなくなって、その人自身になりたいって思いますよね」

ひょっこりと名前とマグネの間に顔を出したトガは、何処まで話を理解しているのかは謎だが、恍惚とした表情を浮かべて名前に矢継ぎ早に言葉を連ねていた。

「ねえ、名前ちゃんの好きな人はどんな人なんですか?私はボロボロで血の香りがする人が好きです」
「ボロボロ?血?」

酔いで頭が回っていない名前は、ぼんやりとした瞳をトガに向ける。トガの話す内容が理解出来ていないのだろう。そりゃそうだ。近くにいたマグネや、荼毘、死柄木等だって、理解し難いのだから。

「ねえ、名前ちゃん、一緒にいれないなら、私が殺してきましょうか?」

トガは凶悪なまでに、そして純粋な笑顔を浮かべて名前に提案する。
しかし、名前は視線を宙にやり、暫し思案すると静かに首を横に振った。

「いいよ、それは。だって、センパイになりたいって私は思わないもん」
「え?」

トガは名前の言葉に体を固まらせる。否定されるとは思ってもいなかったかのような反応だった。

「だって、一緒になっちゃうと、好きも言えないし言われないし、ぎゅってすることもチューすることも、話が合わなくて喧嘩することも、その後に泣きながら仲直りすることも出来ないんだよ?
私はそれはやだなあ」

マグネから受け取った水を一気に喉に通しながら、名前は言う。
彼女の中では、センパイとの記憶は苦いものがある。でも、それと同じようにふと思い出せば顔が綻ぶような、甘い記憶だって存在していることは事実なのだ。それをなぞるかのように、名前は幸せそうに語った。

「…でも、でも、もうその人とはそんなこと出来ないですよね?それなら、同じになるしかないですよね?」

トガは焦った様子で、名前を納得させるかのように言う。しかし、名前は首を再び横に振った。

「ううん、私はセンパイが幸せでいてくれるならそれでいいよ。」

名前は思う。私ではセンパイを幸せにすることは出来なかった。そして、センパイが選んだあの上司ならば、きっと幸せにできるのだろうと。悲しいけれど、それが答えだ。それならば、名前ができることは、ただひたすら2人の幸せを願うことだけなのだ。

「でも、ありがとうね、トガちゃん。慰めてくれて」

ぽん、と名前はトガの頭を撫でくり回す。元気の無い自身を心配して、声をかけてくれたことを名前は理解出来ていた。
しかし、トガはその手を振り払うとそそくさと名前の元から離れていった。あれ?と名前は首を傾げる。トガとは会ったばかりの時から親しくしていたが、手を跳ね除けられたことは初めてだったのだ。気を悪くさせてしまっただろうか。何かしたっけ?と名前は回らぬ頭を無理にでも動かして考えた。

「拗ねてんな」
「苗字名前はこれまでトガヒミコの言うことを否定したことがありませんからね。予想外の反応に戸惑っているのでしょう」
「餓鬼かよ」
「そりゃあ餓鬼だからな」

2人のやり取りを傍観していた者達は何となくトガの心情を察していた。
トガが名前に懐いていた理由。それは、ネジが何本か外れたトガを名前が1度も否定したことがないからだ。というより、二人の間にまともな会話が成り立ったことはなく、トガの言う内容を名前がねじ曲げていい方向に受け取っていただけである。
今回も名前自身はねじ曲げていい方向に受け取ってはいたが、トガの提案や考えを否定したことで彼女は気を悪くしたらしい。部屋の隅っこで唇を尖らせて、ムスッとしている。それを見て、名前は戸惑っていた。まるで、姉妹喧嘩の1つの光景である。

「でも彼女の言うこともわかるよ。この2人のことを圧縮してやれば良かったと俺は後悔ばかりだからな」

Mr.は恨めしげに呟く。会って間もないが可愛がっている仲間を傷つけられ、随分と怒っているらしい。

「随分とご立腹だな」
「そりゃそうだ。死神だのなんだの言われたんだぞ」
「ふうん、死神ね」

確かに名前の不運っぷりを見れば、何かが取り憑いているのではないかと不安に思えるだろう。当の本人は全く気にしないどころか、笑って受け入れているが。しかし、他人からしたらその不運がこちらに来てしまったらと思うと恐ろしくも思えるのだろう。実際そばにいたところで、不運は名前自身にしか訪れないけれども。それはここ暫く名前を傍に置いていたこの敵連合なら誰もが知っている事実だ。

「あ、荼毘、これどうぞ」
「蟹?」

すると、荼毘の目の前に大きな蟹が出される。見た限り中に入っている身も引き締まっていて、肉厚である。何故こんな高級な代物がこのカウンターに並べられているのか。なんとなくだが想像はついた。

「名前が抽選で当ててきたんですよ」
「……なるほど」
「ちなみにこれもです」

黒霧は死柄木の足に何度も体当たりを繰り返すお掃除ロボットを指さす。死柄木が蹴り飛ばそうとする度に黒霧から注意されている。

「なるほど、幸運が働いたんだな」
「よほど不運な遭遇だったんでしょう。1等から3等までしっかりと当ててきましたよ」

黒霧はそう言って荼毘の目の前に、2枚のチケットをチラつかせた。蟹をほじくり返しながらもそれを眺めれば、ここの近くにある遊園地の名前が書いてあった。
なんだか嫌な予感がする。

「荼毘、気晴らしに名前とここで遊んで来てもらってもいいでしょうか」
「……断る」
「なぜです?絶叫系とか怖いんですか?」
「んなわけあるか。なんで俺なんだ」
「だって、貴方は世話係でしょう。傷ついた心を癒すのも先輩の務めですよ」

有無を言わさず黒霧は無理矢理荼毘の手に2枚のチケットを握りこませた。燃やして捨ててやろうかという考えが過ったが、その前にMr.が「名前ちゃんが楽しみにしていた」と荼毘に耳打ちしたものだから、青い炎は引っ込めた。

「本当はトガヒミコに頼む予定だったんですが、拗ねちゃったみたいですので」
「はあ…」
「俺らも仕事があるんだ。任せたよ、荼毘」

Mr.の言葉に荼毘は横目で睨みつける。

「最初から最後までお前が責任負えよ」
「何言ってんだ、報告、連絡、相談したじゃないか」

ああ、そうだ。ここでは荼毘はワンオペ育児を強いられていたのだった。名前に関することは、全て荼毘に押し付けられるのだ。重々しくため息をつくが、食べる蟹は味は変わらず大変美味である。これが、名前の不運の味だ。

名前の元恋人とその相手は名前の不運がどれだけの幸運を持ち帰ってくるのか、知らないのだろう。だから、死神だなんて言って遠ざけられたのだ。見る目のない奴らめ、と荼毘は内心毒吐く。

「期間は今月までらしいので、それまでによろしくお願いします」
「………チッ」

お掃除ロボットは死柄木から次は荼毘に標的を変えたらしい。ゴツン、ゴツン、と体当たりしてくる機体を軽く蹴飛ばしながら、荼毘はチケット2枚を乱暴にコートのポケットの中に突っ込んだ。