出来る範囲
ヘタレ男と口悪女
「…寒い」
折角気持ちよく眠っていたというのに、春にあるまじき寒さで目が覚めてしまった。
ぼやけた眼を擦りながら真っ暗な部屋の隅に置いてある時計に眼をやれば、短針と長針は真夜中の三時を指していて。
自分が眠った時間を計算してみて、溜め息が漏れた。
「一時間しか経ってない」
けして深い眠りだったわけではないけれど、一時間しか寝てないにしては結構頭はスッキリしていて、布団の中へと再び潜った意味はなさそうだった。
「…何か飲、」
水でも飲んでこようと身体を起き上がらせた瞬間、風呂場のほうから、がたり、と音がして言葉を止めた。
一瞬、隣の家からかと思ったけど、如何考えてもその音は自分の家の風呂場から聞こえてきていて。
誰がさせた音か、という事は瞬時に理解した。
この家で自分以外に音を発生させる人間は一人しか居ない。
多分、寝ている間に任務から帰ってきたんだろう。
暗闇に慣れた目で部屋を見れば、忍具が入ったポーチやら手甲やらがベッドの傍にある机の上に置いてあった。
きっと、寝室に私を覗きに来て、そこで一息吐いたんだ。
その光景を頭の中で思い描いてフッと笑った時、風呂場のドアが開いた音がして慌てて布団に潜った。
別に寝たふりなんてする必要なんてないけど、条件反射でそうなってしまうのは普段のあいつの行いの所為で、私の性格の所為じゃない。
ガチャリと音を立ててドアが開いた瞬間、絶対寝たふりなんてバレるよなとか今更思ってしまったけど、もう遅い。
ドアが閉まる音がした数秒後、体重がかかってベッドの右側が軋んだ。
私が背を向けている側へ座ったアイツから、ふわりと石鹸の香りがしてきて、その何秒後かに、ふう、と息を吐く声が聞こえくると、続け様にガシガシと頭を拭く音まで聞こえてきた。
何時もと同じ行動をしているとわかった瞬間、ああ本当に帰ってきたんだという安著で口元が緩んでいった。
だけど、そんな事をすればコイツにバレてしまうから、小さく唇を噛み締めて堪えていると、カカシが頭部に触れてきて、その反動で身体が跳ねてしまいそうになった。
「ただーいま…」
極僅かの掠れた声、というより殆ど吐息だけで発せられた言葉に、胸がギュッと軋む。
その言い方が、心底安心したというように聞こえてきたから。
ああ、もう。
如何して、こいつは普段そういう事を表に出さないんだろう。
ヘタレた姿も本当のこいつだろうけど、如何して今のような部分を隠そうとするんだろう。
そんなの、全部受け止めてやるのに。
そうは思うけど、隠したいことは人間誰しもある事だし、プライドってもんが許さないんだろうし、私に気を使ってるというのもあるんだろう。
だから私も知らないフリをして、隠れてフォローする。
多分、全然フォローなんてなってないんだろうけど、出来るだけのフォローをしてやる。
私は出来る範囲の事を全てやってやれば良い。
コイツはヘタレだけど、出来ない事を他人に求めるほど自己中心的な考えは持ってないから。
一回、スーッと髪を梳くと、手は髪から離れていき、今度は肩へと置かれた。
そして、背面側のマットのスプリングが軋む音がすると、側頭部辺りに柔らかい何かが長い間押し当てられ、漸く離れた後、先程と同じ言葉を呟いたカカシ。
起こさない程度に呟かれた言葉と、押し当てられては離れ、また数秒押し当てられ…と繰り返し繰り返し行われる口付けに更に胸が疼く。
もう寝たふりなんてバレてもいいから、眼を開けて抱きついてやろうなんて思った瞬間。
背面のマットのスプリングは更に軋み、布団が捲られた数秒後、温まった身体に全身が包まれた。
少し強めに、だけど痛いほどではなくて。
四肢は全て私に絡んできていて、胸も頬も全て私に擦り寄らせていて。
髪に掛かる吐息と、背中に僅かに感じる上下する胸が、生きて帰ってきたよ、と伝えてきているように思えた。
こいつの全てが愛しい。
なんて思ったけれど、こいつには絶対に教えてやらない。
そういうのは、出来る範囲に入ってないから。
だけど、あんたが私の傍が安心すると言うなら、ずっとずっと傍に居てやるよ。
それなら、何時までも出来る自信があるから。
そう心の中で呟いた頃、背面から寝息が聞こえてきて。
私も半分落ち掛けていた眠りに意識を全て投げ出した。
(2008/04/22)
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