あなたの瞳
凄まじい豪雨の中、全力疾走し何度死ぬかと思いながら陽泉高校の寮にたどり着いた私は寮長さんのご好意により雨が落ち着くまで雨宿りをしていいとのことになった。
「着替え、俺の練習着でいい?」
「あ、ありがとう。」
「ここ、俺の部屋だから着替え終わったら一階のサロンに来てくれれば大丈夫。」
じゃあ着替えてね、と私に着替えと髪を乾かすドライヤーを渡した氷室くんはそう言い残しドアを閉めた。
うん、氷室くんの部屋(寮が個室だと初めて知った)に入ってしまうとはなかなか予想出来なかった。 というより男の子の部屋に入ったこと自体が初めてだよ、わぁお。 寮の個室ということもあってそんなに広くはない。置いてあるのは勉強机、ベッドなど必要最低限の家具とバスケ関連の雑誌にバスケットボール…本当にシンプルな部屋である。
水を吸って重たくなった制服をビニールに入れて氷室くんから借りたバスケの練習着に着替える。 彼のものだから当然大きいが…氷室くん、めちゃめちゃ足が長い。 うん、足が長い人のズボンを借りるとスタイルが平凡の私にはズボン丈が惨めな結果にしかならない。くっそう…
リアルに八頭身ありそうだもんなあ、と思いドライヤーのスイッチを入れる。 髪の毛を乾かしていた時、ふとタンスの上にあるコルクボードに貼られた写真数枚が目に入った。 乾かしながらその写真を見るとほとんどが彼が小さいときの写真で一緒に写っているのは金髪碧眼のナイスバディーな美女と歯を出して笑うやんちゃ坊主という名前がよく似合いそうな赤髪の男の子であった。
ほとんどがバスケットボールを持っているか、バスケの練習中か試合中の写真で私はすぐにこの人たちがこの間話してくれたアレックスさんとタイガくんだと分かった。
本当に楽しそうな写真、バスケが大好きで楽しくて仕方がないのだろう。 写真の中のタイガくんの胸にもあのシルバーリングのネックレスが飾られている。 恐らく練習中だと思われる写真でボールを持って真剣な表情をする氷室くんをタイガくんが嬉しそうな顔をして見ている写真があった。
本当に…血は繋がっていないけど兄弟なんだろうな。
ドライヤーで髪を乾かしながら緩む口元は抑えられそうになかった。
「着替えありがとう。」
着替えが終わった私は自分の荷物を持ち、言われた通り寮生憩いの場であるサロンに来た。 そこには既に着替え終わっている氷室くんがテーブルが設置してある椅子に腰をかけている。 今の時間のサロンには私と氷室くんしかいないのだろうか。 やけに静かだ。
「名前、俺の練習着のサイズ大丈夫だったんだ。」
「体格差はあるけど、私はそこまで小さいわけでもないしね。」
そこまで酷いダボダボではないよ、とテーブルを挟んで氷室くんの前の椅子に腰をかける。
窓を見ると先程よりは勢いが弱まったと思うが、雨はまだまだ酷い。 サロンにあるテレビを氷室くんがつけてニュースを見ると記録的なゲリラ豪雨ということで避難勧告が出ている自治体のテロップが流れている。
「この辺りは土砂崩れとか大丈夫そうだね…もう少し雨が弱まったら傘借りて帰るよ。」
「送ってこうか?」
「いや、道は分かるから大丈夫だよ。 雨がめちゃめちゃ酷い時に雨宿りさせて貰えて助かった、ありがとう。」
ニュースを伝えるアナウンサーの音、窓を叩きつける雨の音、何故か私たちはなにも話さず無言であった。 まだ初めて出会ったあの頃、私は氷室くんと話すことが本当に出来なくて無言の空間が今すぐ逃げたくなるくらい苦痛だった。 でも今は何故か無言でも全く苦痛ではない。むしろ心地よいとさえ思ってしまう。 どういう心境の変化か分からないけど…
どのくらい私たちはそうしていたのだろうか。 いつの間にか窓を叩きつける雨の音が和らいだ気がした。 雨が降り続いていることには変わりないが、先程の雨の勢いはない。 もう少しで帰れそうだ。
「名前が…」
「え?」
「俺の部屋から出てきた時、なんか笑っていたように見えたけど…なんかあったのかい?」
突然そんなことを聞かれて驚いた。 彼の質問に対する答えはきっとこれしかない。
「写真…コルクボードに貼られた写真見てたらなんだか嬉しくなった。」
「写真?」
「うん、きっとあの写真に写っていたのって前に話してくれたアレックスさんとタイガくんだよね。」
氷室くんは頷いた。そして柔らかく笑ってくれた。
「そうだよ、あの写真はアレックスとタイガだ。」
「すごく楽しそうな写真ばっかりで、それに小さい頃の氷室くん、可愛いね。」
「男に可愛いって言うのかい?」
「氷室くんだって私の小さい頃の写真見たじゃん、だからおあいこ様。」
それもそうか、と氷室くんが笑うと私も笑ってしまった。
「タイガくんもやんちゃ坊主って感じで可愛いね。氷室くんのこと…本当にお兄さんだと思っているみたい。 氷室くんがボールを持っているのを見てるタイガくんの写真、本当に目がキラキラしていた。 バスケが上手なお兄さんのことが憧れなのかな?」
この瞬間の彼の表情の変化を私は見逃さなかった。 ふと彼と目を合わせた時、彼の瞳が仄暗かったから。 その仄暗さはまるで光に焦がれるような色。 光を欲する色、光への羨望の色。
「ひむろ…く、ん?」
その仄暗い瞳が怖くなった。 私の戸惑いが分かったのかハッとして我にかえり、私がよく知るいつも通りの彼の顔になった。
「ごめんね、少し疲れていたみたいでボーッとしていた。」
この時の私には彼の仄暗い瞳の理由が分からなかった。 雨はもうだいぶ弱まった。
ただ私が感じたのは違和感、だった。
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