医務室、再び


深い深い海の底。
そんな場所に居るわけじゃないのに、そんな感じがした。
ふわふわ浮いて、否、浮きながら墜ちていく身体に、そっと目を伏せる。

(ここ、どこ?)

ぼう、とする視界と思考の中、誰かの泣き声が聞こえた。
───ううん、泣き声じゃない。
これは、悲鳴だ。
泣くことも出来ないから、泣くように叫んでいる。そんな声だ。

「だ、れ」

叫んでいるのは、誰だろう。
ディーヴァくんではない。アドリビトムのみんなじゃない。
じゃあ、だれ?

「………………」

呼びかけたいのに、もう声にならない。
だれ、ともう一度心の中で呼び掛ければ、誰かがこちらを見た。
かちり、音がするように目が合う。
左右色の違うオッドアイは、憎しみと苦しみと、そして小さな悲しみの光を抱いていた───………。


「お母さん!」

はっと目を覚ます。
そこには心配そうなディーヴァくんの顔。
そしてその奥には、見慣れた天井───医務室だ。
ほっとしたように息を吐くディーヴァくんに、身体を起こそうとすると激痛が走る。
悲鳴にならない声が口から漏れて、ぽわりと暖かく柔らかい光に包まれた。

「せんせ………」

痛みから生まれた涙で視界が歪む中、わたしに治癒術を掛けているのがリフィル先生だとわかり、思わず呼べば、大丈夫よ、と優しい声が返ってくる。
───そっか、大丈夫。
そう思って、再び目蓋を閉じた。




   □■□




「おかあさん」

眠った依都を、ディーヴァが呼ぶ。
彼にだけ許されたその呼称の意味を、未だ誰も知らない。

「ディーヴァ、少し休まないと」
「ここで寝る」

依都の傍を譲らないディーヴァに、私はそっと苦笑した。
どうしたものかしら、と思う。
ディーヴァにとって依都が大切なのはわかる。痛いほどに、よくわかる。
だけど、それと同じぐらい、アドリビトムにとってディーヴァが大切なのだ。
ディーヴァまで体調を崩されたら、今度はカノンノ。
そんなループが待っているのだから、せめて彼で食い止めなければ。

「ディーヴァ」
「でも、先生。お母さんの傍が、一番安らぐ」

瞳を揺らして、不安でいっぱいです、なんて顔をされたら、それを却下できない。
少しでも休んでくれるなら、それに越したことはないのだけれど。

「………仕方ないわね。今回だけよ?」
「うん」

ベッドの脇の椅子に座り、身体を折り曲げてベッドに顎を乗せるディーヴァの頭を撫でる。
運が悪かったことに世界樹の根を守りきれなかったことへの責任感を感じていたディーヴァがバンエルティア号に帰ってきて、まだ因果関係はわからないけれど、「世界樹が傷付いた」と言って、依都が再び医務室送りになったことは相当堪えたみたい。
ジャニスが船にやってきた時以外、依都から離れようとしない。
寂しいのか苦しいのかわからないけれど、ディーヴァは依都の傍にずっと居る。
たまにクラトスがここを訪れて、ディーヴァと2、3言会話して、またこの部屋を出て行く。
その時だけ、ディーヴァは少し安心したようにも見える。

「おかあさん」

ただ静かにそう呼んで、依都の手をそっと握った。
力を込めすぎずに、優しく、優しく。

「ディーヴァ、もう休みなさい」
「うん」

眠る依都にもう一度治癒術を掛け、私は医務室から出た。

「先生、依都は?!」
「ロイド、静かになさい」
「あ、ごめん………」

医務室の前で騒ぐわけにはいかない。
そっとロイドの背を押して、ホールへと出る。
すると何人かが手持ち無沙汰のまま、ホールに集まっていた。
あらあら。

「1回だけ目を覚ましたわ。また寝ちゃったけれど………。もう少し待ちましょう?」

そう言えば、ホールに居る子達はほっとしたように息を吐いた。
特にカイルとリアラ。それからロイドとコレットも。
カイルとリアラは依都を『姉』として慕っているから、ロイドとコレットは『友達』として。

「あの、リフィル先生」
「なにかしら」
「依都姉さんは、大丈夫なの?」
「………これと言った外傷はないの。だから、治癒術も確かに気休めでしかないわ。でもだからって、『大丈夫じゃない』なんて断定は出来ない」

痛みに呻くあの子の姿は、見ていられない。
いつもなら、みんなを優しく暖かに迎える依都。
それが今、なんの因果が痛みに苦しんでいる。
………その事実に胸を痛めているのは、皆同じ。

「ほら、暗くなってる場合じゃないわよ」
「ハロルド」
「やれることやってないと案外ヤサシイ依都も怒るかもよ?」

呆れたようなハロルドの声に、はっとしたのは若い衆。
ホールから機関室へとバタバタ音を立てて降りていく。
………依都が心配なのはわかるけれど、確かにホールで屯されても困るのよね。

「世界樹が傷付いたことと依都が倒れたことは、何か関係があるのかしら」
「そこまでは今の状況じゃあわからないわよ。とにかく、依都がまた目を覚まして、何を感じたか話を聞いてみないと何も言えないじゃない」
「そう、よね」

世界樹が傷付いたと同時に倒れた依都。
世界樹の根から吹き出した『何か』。
多くなった『負』。
これからどうなるか予想が付かない。

「また医務室に行くわ。効くかわからないけれど、気休め程度には、ね」
「そう」

わかったわ、と言ったハロルドに背を向けて、再び医務室に入る。
少しでも依都の痛みが取れるようにと、私はそっと杖を掲げ、治癒術を掛けるのだった。



- 41 -

[] |main| []
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -