洞窟の中は薄暗く、肌寒く感じるほど涼しかった。
 この洞窟に来るのは実は初めてではないのだが、あの時はリンクが一緒だったし、小さい頃は今よりもずっと無謀で怖いもの知らずだった。いや、無謀なのは今も変わらないか。
 今引き返せば遅くはない、直ぐ戻れる。そう思いながらも足は止まらず、恐る恐る慎重に、先へと進んでいく。

 何度かこうもり――キースに襲われたが、木の棒でぶん殴って何とか対処できた。
 これでも一応、騎士学校に通う身。身を守る術はきちんと学んできたのだ。全くの無力というわけではない。といっても、それほど得意ではないのだが。

 洞窟の半ばに達すると、大きな水溜りの周囲に漂う小さな光を見つけた。その淡く美しい光に、私は見覚えがあった。
「ホタル……」
 つい緊張感も忘れて、口元を緩ませる。
 小さい頃、リンクに強引に引き連れられながらこの洞窟を探検しに来たとき、確か同じ場所でこのホタルを見つけた。その光の美しさに見入ったものだった。ついでに洞窟から出た後は、大人たちにこってり絞られた。
 おぼろげな過去の中で一際鮮明に残っている印象的で懐かしい思い出だ。

 そんな風に過去の記憶に気をとられていた私は、背後から鋭く突っ込んでくる影に直前まで気付かなかった。
 バサバサと羽ばたく音にはっと振り向いたときには、キースはキィキィと甲高い鳴き声を上げ、こちらに向かって体当たりをかまそうとする瞬間だった。
 距離が近すぎる。
「きゃっ!」
 短く悲鳴を上げながら、慌てて体当たりの軌道から避けようと無理やり身体を捻った。おかげで体当たりは避けれたものの、無理な体勢でバランスを崩してそのまま水たまりの中へと転びこむ。握り締めていた木の棒を手放して、受身を取ろうとしたが、失敗。
 ばしゃん、と激しい水音と水柱が立った。
「つめたっ」
 全身にかかった冷たい水の感触にぞわりと肌が粟立たせながら、私はキースから間合いを取るために素早く起き上がろうとした。しかし水を吸って重くなった服のせいで動きが鈍重になり、起き上がるころにはすでにキースは次の攻撃態勢に入っていた。これは突進の軌道から避けることが出来ない。
 私はその攻撃を喰らう覚悟を決め、歯を食いしばった――が、痛みと衝撃は襲ってこなかった。
 シュッと鋭く風を切る音がしたと思ったら、視界からキースの姿が消えた。本当に一瞬の出来事だったので何が起こったのか理解できなかった。
 私は目を丸くして、何事かと周囲を見渡すと、少し離れた地面にキースが転がって絶命していた。その身体は一本の剣で貫かれている。よく見ると、騎士学校の授業でよく使う練習用の剣だ。
 私はそれを見て誰の仕業なのかを瞬時に悟った。
「フィア!!」
 私の名を呼ぶ声は、思ったとおりのもの。不覚にも安堵で身体からふっと力が抜けて、再び水溜りにダイブしそうになった。勿論、慌てて踏み止まる。
 私は離れた場所に立っている声の主――リンクの方を振り向いた。目が会うと、険しい眼差しで睨まれた。私は誤魔化すようにへらりと笑った。
 すると慌てて洞窟までやってきたのか、肩で息をするほど呼吸の乱れたリンクが、足が濡れるのも構わずに水音を立てながら私の元へと駆け寄ってくる。それを見て、さっさと水溜りから出とけばよかったと見当違いなことを考えた。
 一気に気が抜けたせいか、ぼんやりとしている私の肩をリンクはがしりと掴みかかかった。
「怪我は!?」
「な、ないです……」
 ずずっと覗き込んでくる顔の、その凄まじい気迫に、ぱちぱちと目を忙しく瞬きながら私は答えた。思わず敬語になってしまった。
「本当に!?」
「ほ、本当に……」
 こくこくと必死に頷くと、信じてくれたらしい。リンクは肩から手を離し、釣り上がった眼差しを和らげて、はぁ、と大きく息を吐いた。
「よかった……ロスターさんからフィアが洞窟に入っていったって聞いたときは、どうしようかと思ったけど……」
 そういえばよく滝の近くにいるんだっけ、ロスターおじいさん。気付かなかった。
「あ、見られてたんだ」
「見られてたんだ、じゃないだろ。こっちは心配して慌てて来たっていうのに……」
 ぶつぶつと呟きながら、リンクは投擲してキースの身体を貫いた剣を拾い上げに向かう。キースの屍は既に消えていた。魔物は死体が残らないものなのだ。
「そっか、助けに来てくれたのね。ありがとう、リンク」
 水場からじゃばじゃばと出ると、私は息を切らせるほど慌てて助けに来てくれたリンクの背中に向かって素直に礼を述べた。
 リンクはちらりと顔だけ振り向いて、これみよがしに溜め息を吐いた。
「……どういたしまして。まったく、フィアはいつもは冷静なのに、時々無茶をするから危なっかしくて目が離せないよ」
「……リンクほどじゃないわよ」自分がここにいることがどれだけ無謀なことかは分かっていたので、反論できない。私は負け惜しみのように呟いて、そっと目を逸らした。そして今はそのことについて言われると勝てる気がしなかったので、話題の転換を試みることにする。そもそもこれが本題なのだが。「そんなことより、滝の裏側にあなたのロフトバードがいるみたいなの。早く助けに行きましょうよ」
「元からそのつもりで来たから、そうするつもりさ。だからフィア、君は先に街に戻るんだ」
「何で? ここまで来たんだもの。一緒に行くわよ」
 きょとん、と目を丸くして小首を傾げると、リンクは私から視線を逸らして、心底困ったように頬を掻いた。
「何でって、危ないし……」
「……足手まといって言いたいんでしょ?」
「そういう意味じゃない!」リンクは慌てたように語気を強めて否定した。「僕はただフィアに怪我をして欲しくないんだ。それに……」
「それに?」
「君、ずぶ濡れだから。このままだと風邪引くし……」
 と、何故かそこでリンクは頬を赤らめた。さらには私の濡れた身体を見下ろして、慌てて視線を上に逸らすという挙動不審な態度を取る始末。
「別にそれくらい大丈夫よ。それに多少の怪我くらいどうってことないでしょ。気にしないわよ、私は」
「君が気にしなくても、僕が気にするんだよ」
 何だ、その理屈は。と思ったけど、確かにこれで立場が逆だったら私も気にするだろうとも思う。だからリンクの言い分も分からなくはないが、
「でもここから戻りだとまた魔物に襲われたりするかもしれないわよ? 結局同じじゃないの」
「入り口まで送っていくよ」
「そんな時間の余裕があるの? 二度手間で馬鹿みたいじゃない」
 というか、こうやってここで話してるだけでも大分時間をロスしているのだが。
「でも、フィア、」
 いい加減リンクもしつこい。行くといっているのに。まどろっこしくなった私は、がしっとリンクの剣を握っていない左手を掴んだ。
「ああ、もういいから! 早く行くわよっ!」
 そう言ってリンクの手を引っ張るものの、憎たらしいことにびくともしない。しかしリンクの心を動かすことには成功したらしかった。
「……分かったよ、フィア。一緒に行こう」
 降参だとばかりにリンクが肩を落とした。
 最初からそう言えばよかったのよ。私は満足げに頷いて、掴んでいたリンクの手を離そうとしたが、
「……あの、リンク?」
「何?」
「何? じゃなくてですね、手を……」
 私はそろりと自分の手元へと視線を下げた。私がリンクの手を掴んでいたはずなのに、今度はリンクが私の手を掴んでいた。掴むというか、むしろ握り締めていた。
 自分から掴んだときは何も感じなかったのに、こうやって相手から握られると一気に気恥ずかしさが募る。洞窟が薄暗くてよかった。きっと顔が赤くなっていても分からないだろう。
 ……多分。
「手を?」
 何のこと? とでも言いたげなリンクの態度に、私はへにゃりと情けなく眉を下げた。
「いや、手を離さないと……」
「先に掴んだのはフィアだろ?」
 それなのに何言ってるの? とか、そんな眼差し。
「でも戦いとかの邪魔になるでしょう」
「敵が来たら勿論手は離すさ。でもフィアって結構そそっかしいから、移動のときはちゃんと手を掴んでおかないと、何しでかすか分からないだろ?」
「何しでかすか分からないだろ? って、いやいや……私ちゃんと大人しくしてるわよ。別に何もしないわよ」
 私は手のつけられないペットか何かか。憮然とするが、妙に淡々とした顔をして口を開いたリンクの言葉には黙らざるを得なかった。
「こんなところにろくな武器も持たずに1人で来るような無謀なフィアが? 何もしない? 大人しくしてる?」
「…………分かったわよ……」
 ぐうの音も出ないというのはこういうことだろうか。私は渋々、リンクに掴まれた――握られた手を振り払うのを諦めた。
 リンクだって、そう深い意味があるわけじゃないだろうし、変に意識してもどうしようもないだろう。そう自分に言い聞かせた。
「よし、行こうか」
 今度はリンクが満足げに頷くと、手を握ったまま先導するように前を歩き出した。
 すっかり形勢逆転されてしまったが、悔しいという気持ちは湧いてこない。むしろ懐かしい気持ちになった。
 昔も、こうやって手を引っ張られて、この洞窟を――。
「あ、ねえ、そういえば……」
 ひとつだけ思い当たることがあった私は、ふと弾んだ声で前を歩くリンクに呼びかけてから、何かを探すように転びこんだ水場へと視線を巡らせた。
 しかし探しものの姿は、どこにも見当たらない。
「え?」
 リンクが足を止めてこちらを振り向く。
「あ……ごめん、なんでもないの……」
 私は曖昧に笑って、首を横に振った。リンクは不思議そうな顔をしながら、再び前を向いて歩き出す。
 リンクに手を引かれながら、私は後ろ髪を引かれるような思いでその場を後にした。
 もしかしたら別の場所に移動したのかもしれない。そう思ったが、それから先に進んでも、ホタルの光はもうどこにも見当たらなかった。


  

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