強気な態度にも納得が出来るほど、ギラヒムは強かった。 純粋な剣技でも相当な強さを発揮するというのに、厄介なことに距離を取れば手品のように短剣を飛ばしてきたりする――最初は盾で防いでいたが何度も受け止めているうちに壊れてしまい、残骸が床に打ち捨てられている――し、瞬間移動をする。間合いを取っても直ぐに詰められてしまう上に、一度姿を消されるといつ現れるのかリンクには知る術がない。そのため、相手の出方を待つ受身の戦術しか取れずにいた。 そして今もまた、瞬時に真横に現れたギラヒムが振り下ろした剣を、受け止めるのが精一杯の状況だった。 「くっ……!」 「フフ、結構やるじゃないか」 ギチギチと交差した互いの剣が悲鳴を上げるが、鍔迫り合いになってもギラヒムから余裕の笑みが消えることはなかった。細身の身体からは想像もつかない力だ。それに対してリンクは歯を食いしばって相手の剣を押し返そうとする。 もはやどちらが優勢なのかは一目瞭然だった。 ギラヒムがどこに現れるのかはおおよそ予想はつく――攻撃対象はリンクしかいないので、必ずリンクの傍に出現する。短剣を飛ばしてくる場合は距離をあけてくる上、ちょっとした隙があるのでその間に位置は特定出来る――ものの、いつでも好きなタイミングでどこからでも攻撃を仕掛けられる側と、常に相手の出方を警戒して仕掛けられる側では精神的なプレッシャーは段違いだ。 体力だけでなく精神的にも疲労が蓄積していくばかりで、長引けば長引くほどリンクの立場は不利へと追いやられる。 これではジリ貧だが、リンクには決め手がなかった。 「このまま君を甚振るのも楽しそうではあるが、ワタシも暇じゃないんでね、そろそろ終わりにしたいところだよ」 言うや否や、拮抗していたはずの力の天秤が一方的にリンクの方へと傾く。ギラヒムが剣から力を抜いたのだ。 あまりにも突然に押し戻す力が消えて手応えがなくなったせいで、リンクの体勢が前のめりに崩れる。慌てて体勢を立て直そうとするが、その隙を見逃すような相手ではなかった。 ギラヒムの剣が下から斜め上へと鋭く閃く。 「しまっ……!」 剣が手元から弾かれ、宙を舞った。咄嗟に飛ばされた剣を目で追ってしまったリンクに、ギラヒムが追い討ちをかける。 遠くでカラン、と剣が音を立てて床に落ちる音と、ギラヒムの剣がリンクの左肩を真っ直ぐに貫いたのはほぼ同時だった。 「ぐぅうう……っ!」 焼け付くような痛みに獣のような呻き声が零れた。大地に降りてきてから生傷は絶えなかったが、これほどの痛みを感じたことは未だかつてない。意識が真っ白に飛びそうになる。 「全治百年にするにはまだ生ぬるいかな?」 ギラヒムはリンクの肩に剣を突き刺したまま、左手で首を締め付けて舌なめずりをする。その様はさながら獲物を捕食しようとする蛇のようだった。 「かはっ……」 左肩を襲う痛みと、首を絞め付けられているせいでままならない呼吸に、身体から力が抜けていく。左肩の傷口から溢れた血が指先を伝う感覚はあるのに、指ひとつ動かすこともままならない。瞼裏がちかちかして意識が白む。 このまま負けるわけにはいかないのに、この状況を打破する方法を考える余裕もない。ここで終わるのかという予感が嫌でも脳裏を過ぎる。 しかし、不意に首を締めつける力が弱まった。リンクを嬲るような目つきで見ていたギラヒムの視線がふとその背後へと移る。 一体何を見ている? その疑問は直ぐに解き明かされた。 「リンクを離しなさい」 いつの間にか実体化したフィアが、弾き飛ばされたはずの女神の剣を手にし、ピタリと刀身をギラヒムの首筋に宛がっていたのだ。 一歩でも動こうものなら、その白銀の煌めきがギラヒムの首を切り裂くに違いない。 だがギラヒムは余裕な態度を崩さない。それどころかフィアを嘲るように笑ってみせた。 「いけ好かない小娘が。自分が宿る剣を振るおうなんて、愚かなことを」 「何を言ってるの? 私は剣の扱いがそんなに上手くないから、早くしないと手が滑ってしまうわよ」 フィアも冷静な態度を貫く。 しかしリンクの位置からだと剣を握る手が震えているのがはっきりと分かった。その震えが剣先に伝わって、カタカタと揺れる。 そのせいで背後から剣を突きつけている相手――ギラヒムにも震えていることがはっきりと伝わってしまう。ギラヒムは声を立てて笑った。 「ハハハ! そんな下らないはったりがワタシに通用すると思うなよ、馬鹿が! 精霊が自分の剣を扱えたらマスターの意味なんてないんだよ!」 その言葉が真実かどうかは、フィアがさっと顔色を変えたことで分かってしまう。悔しげに唇をきつく噛み締めた姿に、遠のきそうになる意識の中でリンクはひとつの真実に辿り着こうとしていた。 (フィア……君、本当は……) 「この少年と違って君とは遊ぶ価値すらない。邪魔者はさっさと消えてもらおうか」 ギラヒムがリンクの左肩から剣を引き抜こうとする。それから何をするつもりなのかは考えずとも分かった。 「させ、るかっ……!」 無力感に打ちひしがれるのも、守れないのも、もうご免だ。 リンクは先ほどまでは指先すら動かせなかった身体から力を振り絞り、引き抜かれそうになる剣に掴みかかった。刃がリンクの手のひらを引き裂いて血が流れるが、痛みなんてこの際関係なかった。なりふり構わずに剣を握る手に力を篭めて、それを支柱に片足で思い切りギラヒムの腹を蹴り飛ばした。 油断していたせいもあるのだろう。ギラヒムもさすがに避けることは出来なかった。 拘束していた力が緩み、リンクはその隙を逃さず一気にギラヒムから距離を取るように後ろへと飛び退く。肩に剣が刺さったままだが、痛覚が飛んでしまったのか不思議と痛みを感じなかった。 「……まだそんな余力を残していたとはね」 戦いを始めてからここで初めてギラヒムが顔を苦悶に歪めた。一泡吹かせてやったとリンクはざまあみろと笑おうとしたが、口から血が噴き出たせいで無理だった。 「リンク!」 血を吐いた姿に悲鳴のような声を上げながら、フィアが駆け寄ってきた。来るなと叫ぼうとしたが、言葉が出ない。 しかしギラヒムは興ざめしたかのようにじっと佇み、フィアに手を出そうとはしなかった。むしろ別の何かに気を取られている様でもある。そしてそれが正解だった。 「……ワタシとしたことが、遊びが過ぎたかな。少女の気配が消えている……となれば、もうここに用は無い」 そう言うとギラヒムは指を鳴らす。今度は何をするつもりかと警戒して身を強張らせるリンクたちに、ニヤリと笑う。 いつの間にかリンクの肩に刺さっていた剣がギラヒムの手にあった。 「さよなら空から来た少年。もう許してあげるから、二度とワタシの邪魔をしちゃダメだよ」 じゃないと、次はその程度の怪我ではすまないからね、と言い残し、ギラヒムの姿は瞬く間に虚空へと消えていった。 完全に消え去ったギラヒムを見届けると、リンクは肩を抑えてその場に膝を着いて崩れ落ちた。 前のめりに床に倒れかけるリンクの身体をフィアが慌てて支える。 「……弱いなあ……もっと強く、ならないと、全然、ダメだ……」 血を失いすぎたせいか朦朧とする意識の中で呟く。悔しいと感じることも出来ないほどに完敗してしまった。恐らくは剣の腕だけで競うとしたらあそこまで完璧な負けはしなかっただろうが、そんなことを言っても負け惜しみにしかならないだろう。 「リンクは弱くなんてない。だから今は喋らないで……」 泣きそうな顔をしたフィアにそっと身体を横たえさせられる。 一体こんな顔をした彼女のどこが人形のようだと言うのだろう。感情が無いなんてそんなはずが無い。理由は分からないけれど、自分を抑え込んで馬鹿みたいに演技をしていたに違いない。 そんなことに今更気付くとは、自分も大概鈍感だなとリンクは思い知る。 「……やっぱり、フィアは、フィアだった、な」 今、リンクは死の淵にあるのかもしれない。けれど不思議と夢見心地のように気分が良く、満足感のようなものを覚えていた。 「ごめんなさい、リンク。私、全然役に立てなかった。お願い、死なないで……」 ぽつりぽつりと生暖かい何かがリンクの頬を伝う。 フィアが泣いている。小さい頃から、あんなに笑っていて欲しいと願っていたフィアが。 泣くなと言いたかった。その涙を拭ってやりたかった。けれど口を開くのも、手を上げることも既に億劫だった。 (罰が当たったかな……) そんな考えがぼんやりと浮かんだ。 人形のように感情を見せなくなったフィアが嫌で、心のどこかでゼルダを助けたいと思う気持ちにあえて固執することで目くらましに利用していた。 きちんと向き合おうとしなかったから、フィアを泣かせるような派目になってしまったのだ。 (強くなろう……身も心も、全部) もう泣かせないように。 ただ、その機会があるのかどうか。出来ることならこのまま終わりたくは無いのだが。 しかし願いも虚しく、リンクの意識は段々と遠退き、混沌とした闇の帳へと引き摺りこまれていく。 遠くでフィアが何かを言っている。 意識を失う寸前に、唇に暖かな何かが触れた気がしたが、確かめることは叶わなかった。 |